松たか子×松村北斗、映画『ファーストキス 1ST KISS』裏話を語る

ニッポン放送では、2月6日(木)に映画『ファーストキス 1ST KISS』の公開を記念した特別番組を放送。メインキャストの松たか子さんとSixTONES・松村北斗さんが出演し、映画にまつわる裏話や特別企画をお届けしました。(ニッポン放送『松たか子と松村北斗のオールナイトニッポンPremium』2025年2月6日放送分)

映画『ファーストキス 1ST KISS』公開記念! 松たか子&松村北斗がパーソナリティ

2月7日(金)に全国公開される映画『ファーストキス 1ST KISS』は、『花束みたいな恋をした』や『怪物』などを手掛けた脚本家・坂元裕二さんと、『ラストマイル』『わたしの幸せな結婚』などで監督を務めた塚原あゆ子さんが初めてタッグを組んだ、オリジナルストーリーによる恋愛映画。夫を事故で亡くした主人公・硯カンナが、第2の人生を歩もうとしていた矢先にタイムトラベルする術を得て、自分と出会う直前の夫・駈と再会し、恋に落ちる物語が描かれています。

映画公開を記念した今回の特番には、主人公のカンナ役を演じた松たか子さん、夫・駈役を演じたSixTONES・松村北斗さんがパーソナリティで登場。番組の進行役は、フリーアナウンサー・荘口彰久さんが担当しました。

松さんは今回、初めて『オールナイトニッポン』のパーソナリティを担当。オープニングでは、過去の別イベントでの経験から「喋りは無理なんです!」 と弱気な姿勢を見せますが、松村さんからは「すごく整ってるし、すごくお茶目で面白い話をするんですよ」、「何気ない会話に引っ掛かりがあるんですよ。"ぬりかべ"って知ってる?"って……」と共演時のエピソードを例に出しながら、松さんのトークを絶賛するのでした。

「オープニング」を3分お試しで今すぐ聴く↓

松さんと松村さんは、今回の映画で初共演。松さんは、今作の出演オファーに「松村くんが駈を担うことで、映画の方向がある程度決まったんだと思う」、「この映画に相応しい俳優を置いてもらった結果、一緒にできたのはとても幸せでした」と語りました。

対する松村さんは、松さんの出演が決まった段階でオファーを受けたとのことで、松さんと坂元さん、塚原さんの名前が並んでいることにプレッシャーや恐怖を感じながらも「この3人で作る作品がこの世に生まれるんだ、っていうワクワクはとんでもなかった」と回顧しました。

「オファーを受けて」を3分お試しで今すぐ聴く↓

番組後半には、監督を務めた塚原さんがゲストで登場し、松さんと松村さんへの印象を語りました。松さんについては「台本の言葉とかをすごく大事にされているんだけど、上に乗っけるのではなくて、"潜った"状態で発してくる。台本の人がそのまま喋ってる感じで、ぞわぞわって来ました」とコメント。塚原さんの"潜る"という表現に、松さんが「もぐらみたいな感じですか?」と反応する場面もありました。

松村さんについては「さらさら器用にこなしていらっしゃる方」と共演前の印象と比較しながら、「自分のハードルが私より高くて、自分に厳しくジャッジされているんだろうな」と口にすると、松村さんは「その次元よりももっと浅いところで正解が分からなくて。現場でも塚原さんにビタ付きくらいで相談して、導いてもらって……」と撮影時の苦労を語ったのでした。

「ゲスト:塚原あゆ子監督」を3分お試しで今すぐ聴く↓

塚原さんは撮影現場で印象的だった出来事に、現在公開されているメイキング動画から、カンナと駈の朝食シーンを挙げました。駈がご飯の上に卵を上手く落とせなかった場面に「駈ってきっとああいう人なんだろうな、って思ってたからウキウキした。うっかりさんな感じのイメージもある」と語ると、松村さんは「変な話、松村北斗のハプニングでもあるので。駈と松村がどうしてもクロスしていっちゃいますよね」を振り返りました。

番組では他にも、松さんの「蕎麦の食べ方」にまつわるエピソードトークや、2人の人生における「ファースト〇〇」を振り返る特別企画で盛り上がったほか、映画のエンディングテーマである優河さんの「next to you」を初のフル解禁でオンエア。Xでは番組ハッシュタグ「#松松ANNP」がトレンド入りしました。

「印象的な出来事」を3分お試しで今すぐ聴く↓

松たか子と松村北斗のオールナイトニッポンPremium
放送局:ニッポン放送
放送日時:2025年2月6日 木曜日 20時00分~21時50分
出演者:松たか子、松村北斗(SixTONES)、アシスタント:荘口彰久 ゲスト:塚原あゆ子

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戦争を知らない世代へ平和の尊さを説く─東京大空襲を生き延びた女性が語る空襲体験

戦後81年が経ち、太平洋戦争を体験した方は、本当に少なくなりました。当時、空襲を体験した小学生たちも、いまや90歳前後です。今回は、戦争の悲惨さ、平和の尊さを語り継ぐ「空襲体験者」のお話です。

東京大空襲の写真を解説する二瓶治代さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

B29による空襲は、昭和19年6月16日、北九州・八幡製鉄所から始まり、翌年の終戦まで、全国200以上の都市で続きました。中でも、昭和20年3月10日の東京大空襲は、およそ300機のB29から32万発ともいわれる焼夷弾が投下され、下町一帯は火の海に……わずか2時間半の空襲で、およそ10万人もの命が奪われ、「世界史上最大の空襲」ともいわれています。この東京大空襲の惨状を今に伝えているのが、東京都江東区北砂にある「東京大空襲・戦災資料センター」です。

江東区北砂一丁目にある「東京大空襲・戦災資料センター」

もともとは、東京都が「平和祈念館」の建設を進めていました。ところが、財政難から計画は凍結されてしまいます。「それではいけない」と、民間による建設の動きが始まり、4000名を超える人たちから、1億円を超える募金が寄せられました。そして2002年、民立民営の平和博物館、「東京大空襲・戦災資料センター」が開館しました。

焼夷弾のレプリカ。その構造や威力もわかりやすく展示

館内では、空襲の悲惨さを伝える写真や映像、絵画、地図、焼夷弾などが展示され、講演会やシンポジウム、特別展などが行われています。開館当時は、20人ほどの「空襲体験者」が戦争の悲惨さを伝えていました。しかし今、その数は少なくなりました。その中の一人が、二瓶治代さんです。二瓶さんの空襲体験の一部をご紹介します。

~・~・~・~

昭和20年3月10日、私は8歳で、家は亀戸駅の近くにありました。その夜、父が「今夜はいつもと違う、起きろ!」と叫んだので、私は飛び起きました。外に出ると、砂町方面が真っ赤に見えました。家族で防空壕に避難しましたが、やがて人々の叫び声が聞こえてきました。父が「ここにいたら、蒸し焼きになるぞ。防空壕から出ろ!」と言いました。私たちは線路の土手に登りました。そこから見た下町一帯は火の海でした。

燃え盛る炎がゴーッと音を立てて家々をのみ込み、人々は燃えながら走っていました。背中に背負った赤ん坊が燃え、手を引かれた子どもが燃え、転んだ子どもは、その場で火の塊になって燃え尽きていきました。やがて、土手にも火が迫ってきたので、私たちは炎が渦巻く火の海の中を、亀戸駅方面へ逃げました。その途中、被っていた防空頭巾が燃え出し、「頭巾をとれ!」と父が叫び、私はあわてて紐を解こうとしました。その時、父とつないでいた手が離れ、強い風に煽られ、私は炎の中に吹き飛ばされてしまったのです。

気がつくと、家族とはぐれて、一人で逃げ回りました。うずくまっている人が、緑色の炎をあげて燃えているのを見ました。馬が燃えながら走っているのを見ました。どこからか、「こんなことで死んでたまるか。みんな生きるんだ!」と叫ぶ男の人の声を聞きました。

私は動けず、その場にうずくまっていると、意識が遠のいていきました。明け方、私は重なり合った人たちの一番下から、父に引きずり出されました。私の上に重なっていた人たちは、真っ黒な炭になって亡くなっていました。この日、私は、生きたまま焼き殺された多くの死者たちに、命を助けていただいたのだと思っています。

~・~・~・~

二瓶さんが「東京大空襲・戦災資料センター」を初めて訪れたのは、2002年、開館して間もない夏の終わりでした。その時、センターの担当者から「当時の体験を語ってほしい」と頼まれます。「こんな私の話なんて……」と断ろうとしますが、岩手県から修学旅行でやってくる中学生50人のために話してほしいとお願いされます。

戦時中に使われていた防火用水

「東京大空襲のことは、我が子にも話さなかった」という二瓶さん。悩んだ末に、当日を迎えます。用意した原稿に目を落としたまま、20分間、顔を上げられず、空襲体験を語り終えました。「そっと顔を上げたんです。すると50人の生徒さんが全員、じっと私を見つめていたんです。身を乗り出して聞いてくれていた生徒さんもいて、ああ、戦争を知らない子どもたちに勇気をもらった……と涙が溢れました」これがきっかけとなり、二瓶さんは、今も空襲体験を語り続けています。

地図の丸印は東京大空襲の直後、仮埋葬が行われた場所

「戦争で一番の犠牲になるのは、いつの時代も、幼い子どもたちです」二瓶さんの言葉が、戦争を知らない私たちに平和の尊さを問いかけています。

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