芹ゆう子のラジオ番組『芹ゆう子 お気づきかしら(仮)』

TBSアナウンサー・安住紳一郎さんの"別業態"として話題の人物・芹ゆう子さん。テレビ・ラジオの世界で長年活動しており、現在は宮城県の特産品である「セリ」のPRに情熱を注いでいます。

当記事では、2025年4月からTBSラジオでスタートした新番組『芹ゆう子 お気づきかしら(仮)』についてご紹介します。

"セリ"専門リポーター・芹ゆう子

芹ゆう子さんは、2023年1月26日に放送された『THE TIME,』(TBS系)のコーナー「出張!安住が行く」で、大雪により宮城県名取市からの中継先に間に合わなかった番組MC・安住紳一郎さんの代理で出演。中継先で共演したTBC・後藤舜アナウンサーとのやりとりが話題となりました。

宮城中継の打ち合わせ中、安住さんが描いた落書きから"誕生"した芹さんは、1923年(大正12年)満洲生まれの満102歳。テレビ・ラジオ放送の草創期からアナウンサーとして活動しており、満洲では元NHKアナウンサーで俳優の森繫久彌さんとの共演もあるそうです。現在は、フリーで宮城県の特産品「セリ」専門のリポーターとして活躍中です。

どことなく安住さんに似た声質、歯に衣着せぬ語りとアクの強いキャラクターは視聴者からも好評を博し、その後も『THE TIME,』の番組公式Instagramで行われている生配信企画にも度々登場。初登場からしばらくはペープサート(紙人形)での出演でしたが、活躍の場が広がったことに伴い、2025年4月にロッドパペット(棒遣い人形)の制作が行われ、翌5月にその姿がお披露目されました。

芹ゆう子出演 TBSラジオ『芹ゆう子 お気づきかしら(仮)』

2025年4月からスタートした芹ゆう子さんの冠ラジオ番組。2025年3月下旬にTBSラジオから新番組の正式発表が行われ、3月23日放送分の『安住紳一郎の日曜天国』でも安住さんから番組開始について言及がありました。

日曜早朝の10分間、芹さんが毎回1つのテーマにちなんだトークを展開。豊富な知識をもとに、毒舌や親父ギャグも交えながら時事問題や芸能ネタ、TBSラジオの社史、TBSラジオと関わりが深い人物の知られざる一面といったエピソードを披露しています。

芹さんと聞き手役を務める安住さんとの"掛け合い"が行われているため、『お気づきかしら』の数時間後に放送される『日曜天国』では芹さんの話題が挙がることも。『お気づきかしら(仮)』の初回放送を終えた4月6日放送分の『日曜天国』では、安住さんが「疲れる……。かなりびっくりしましたよ。2人分ということですからね。消耗する」と、番組収録での本音(?)を漏らす場面もありました。

芹ゆう子 お気づきかしら(仮)
放送局:TBSラジオ
放送日時:毎週日曜 5時05分~5時15分
出演者:芹ゆう子
番組ホームページ
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※放送情報は変更となる場合があります。

『芹ゆう子 お気づきかしら(仮)』過去の放送エピソード

2025年4月からスタートした『芹ゆう子 お気づきかしら(仮)』。これまで放送された内容の一部をご紹介します。

「TBSラジオ 春の改編に思うこと」(2025年4月6日放送)
TBSラジオ2025年度春の新番組のラインナップを紹介。

「TBSラジオ 朝のワイド番組についてのさまざま」(2025年4月13日放送)
TBSラジオ朝のワイド番組の変遷や、かつて放送されていた『榎さんのおはようさん〜!』(1978年10月~1998年4月)におけるエピソードを紹介。

「ラジオスターの悲劇」(2025年4月20日放送)
前回に続く形で『榎さんのおはようさん〜!』のパーソナリティを務めた榎本勝起さんのエピソードを紹介。

「アナウンサーって何人いる?!」(2025年4月27日放送)
アナウンサーの肩書で活動する人が全国に約30万人いることについて言及。

「スポーツ大会の衛星中継について」(2025年5月4日放送)
男子ゴルフのメジャー大会「マスターズ」が生中継に移行したエピソードを軸に、海外スポーツ大会における衛生中継の裏話を紹介。

「イギリスの放送局について」(2025年5月11日放送)
イギリスの放送局・BBCの歴史や、BBCに派遣された経験を持つ宮内鎮雄さんのエピソードを紹介。

「ゴルフ解説者のこと」(2025年5月18日放送)
2025年大会をもって「マスターズ」中継の解説を卒業したプロゴルファー・中嶋常幸さんのエピソードを紹介。

「藤田兄弟のこと」(2025年5月25日放送)
前回に続く形で、「マスターズ」生中継の実現に貢献した「藤田兄弟」(藤田潔さん、敦さん)のエピソードを紹介。

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戦争を知らない世代へ平和の尊さを説く─東京大空襲を生き延びた女性が語る空襲体験

戦後81年が経ち、太平洋戦争を体験した方は、本当に少なくなりました。当時、空襲を体験した小学生たちも、いまや90歳前後です。今回は、戦争の悲惨さ、平和の尊さを語り継ぐ「空襲体験者」のお話です。

東京大空襲の写真を解説する二瓶治代さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

B29による空襲は、昭和19年6月16日、北九州・八幡製鉄所から始まり、翌年の終戦まで、全国200以上の都市で続きました。中でも、昭和20年3月10日の東京大空襲は、およそ300機のB29から32万発ともいわれる焼夷弾が投下され、下町一帯は火の海に……わずか2時間半の空襲で、およそ10万人もの命が奪われ、「世界史上最大の空襲」ともいわれています。この東京大空襲の惨状を今に伝えているのが、東京都江東区北砂にある「東京大空襲・戦災資料センター」です。

江東区北砂一丁目にある「東京大空襲・戦災資料センター」

もともとは、東京都が「平和祈念館」の建設を進めていました。ところが、財政難から計画は凍結されてしまいます。「それではいけない」と、民間による建設の動きが始まり、4000名を超える人たちから、1億円を超える募金が寄せられました。そして2002年、民立民営の平和博物館、「東京大空襲・戦災資料センター」が開館しました。

焼夷弾のレプリカ。その構造や威力もわかりやすく展示

館内では、空襲の悲惨さを伝える写真や映像、絵画、地図、焼夷弾などが展示され、講演会やシンポジウム、特別展などが行われています。開館当時は、20人ほどの「空襲体験者」が戦争の悲惨さを伝えていました。しかし今、その数は少なくなりました。その中の一人が、二瓶治代さんです。二瓶さんの空襲体験の一部をご紹介します。

~・~・~・~

昭和20年3月10日、私は8歳で、家は亀戸駅の近くにありました。その夜、父が「今夜はいつもと違う、起きろ!」と叫んだので、私は飛び起きました。外に出ると、砂町方面が真っ赤に見えました。家族で防空壕に避難しましたが、やがて人々の叫び声が聞こえてきました。父が「ここにいたら、蒸し焼きになるぞ。防空壕から出ろ!」と言いました。私たちは線路の土手に登りました。そこから見た下町一帯は火の海でした。

燃え盛る炎がゴーッと音を立てて家々をのみ込み、人々は燃えながら走っていました。背中に背負った赤ん坊が燃え、手を引かれた子どもが燃え、転んだ子どもは、その場で火の塊になって燃え尽きていきました。やがて、土手にも火が迫ってきたので、私たちは炎が渦巻く火の海の中を、亀戸駅方面へ逃げました。その途中、被っていた防空頭巾が燃え出し、「頭巾をとれ!」と父が叫び、私はあわてて紐を解こうとしました。その時、父とつないでいた手が離れ、強い風に煽られ、私は炎の中に吹き飛ばされてしまったのです。

気がつくと、家族とはぐれて、一人で逃げ回りました。うずくまっている人が、緑色の炎をあげて燃えているのを見ました。馬が燃えながら走っているのを見ました。どこからか、「こんなことで死んでたまるか。みんな生きるんだ!」と叫ぶ男の人の声を聞きました。

私は動けず、その場にうずくまっていると、意識が遠のいていきました。明け方、私は重なり合った人たちの一番下から、父に引きずり出されました。私の上に重なっていた人たちは、真っ黒な炭になって亡くなっていました。この日、私は、生きたまま焼き殺された多くの死者たちに、命を助けていただいたのだと思っています。

~・~・~・~

二瓶さんが「東京大空襲・戦災資料センター」を初めて訪れたのは、2002年、開館して間もない夏の終わりでした。その時、センターの担当者から「当時の体験を語ってほしい」と頼まれます。「こんな私の話なんて……」と断ろうとしますが、岩手県から修学旅行でやってくる中学生50人のために話してほしいとお願いされます。

戦時中に使われていた防火用水

「東京大空襲のことは、我が子にも話さなかった」という二瓶さん。悩んだ末に、当日を迎えます。用意した原稿に目を落としたまま、20分間、顔を上げられず、空襲体験を語り終えました。「そっと顔を上げたんです。すると50人の生徒さんが全員、じっと私を見つめていたんです。身を乗り出して聞いてくれていた生徒さんもいて、ああ、戦争を知らない子どもたちに勇気をもらった……と涙が溢れました」これがきっかけとなり、二瓶さんは、今も空襲体験を語り続けています。

地図の丸印は東京大空襲の直後、仮埋葬が行われた場所

「戦争で一番の犠牲になるのは、いつの時代も、幼い子どもたちです」二瓶さんの言葉が、戦争を知らない私たちに平和の尊さを問いかけています。

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