声優・神谷浩史、小野大輔のラジオ番組『神谷浩史・小野大輔のDear Girl~Stories~』

声優・神谷浩史さんと小野大輔さんがパーソナリティーを務める文化放送『神谷浩史・小野大輔のDear Girl~Stories~』。放送開始から今年で15年目を迎え、ラジオでは類を見ない多彩なメディアミックス展開が豊富な人気番組です。本記事では番組のコーナーや過去の放送回など、番組の魅力をご紹介します。

今年放送15周年!文化放送『神谷浩史・小野大輔のDear Girl~Stories~』

『進撃の巨人』や『おそ松さん』、『ノラガミ』、『黒子のバスケ』、『デュラララ!!』、『青の祓魔師』、『しろくまカフェ』など、数多くの作品で共演している神谷さんと小野さんがパーソナリティを務める『神谷浩史・小野大輔のDear Girl~Stories~』。番組の愛称は『DGS』です。

2007年にスタートし、今年で放送15年目を迎えます。2人がストーリーテラーとなって「ラジオの前のアナタのためにストーリーをお届けする」というコンセプトで放送され、放送内容はスマホサイト「animelo mix」の企画とも連動しています。

神谷浩史・小野大輔のDear Girl~Stories~
放送局:文化放送
放送日時:毎週土曜 25時00分~25時30分
出演者:神谷浩史、小野大輔
番組ホームページ

twitterハッシュタグは「#dgs」

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※放送情報は変更となる場合があります。

番組の特徴は、ほかラジオ番組でも滅多に見られないようなメディアミックス展開の豊富さです。「animelo mix」では番組レポートや、2人に言ってほしいセリフなどが配信され、それ以外にもこれまでドラマCDやコミックが発売され、公開録音イベントも実施。またラジオの枠にとどまらず、劇場版がこれまで3度上映されています。

また、パーソナリティやスタッフからなる番組発のロックエアーバンド・MASOCHISTIC ONO BAND(通称:MOB)は、2013年に活動を開始し、デビューを飾った日本武道館をはじめ、全国ツアーなど、精力的にライブ活動を行なっています。

『DGS』の人気が形となって証明されたのが、2016年の「第2回アニラジアワード」。「アニラジアワード」は、アニメや声優、ゲームなどに関連したラジオ番組の中から最も好評だったラジオ番組を表彰する賞であり、同番組は面白かった男性声優のラジオ番組に贈られる「BEST MALE RADIO 最優秀男性ラジオ賞」と、そして各賞の投票結果で決まる「RADIO OF THE YEAR 最優秀ラジオ大賞」を受賞しました。

主なコーナー紹介

「ふつすと」
いわゆる普通のお便りのコーナーは、普通のストーリーこと「ふつすと」と呼ばれています。リスナーが番組の感想や、2人に聞きたいことを自由にメールできます。

「Dear Girl談話室」
リスナーから届いた普通のストーリーこと「ふつすと」を紹介するコーナー。ただメールを読み上げるだけではなく、そこから企画が展開し、これまでコントやクイズ大会などが行われてきました。

「Dear Voice」
神谷さんと小野さんに言ってもらいたいセリフ、または放送の中で生まれた名言を募集し、その中から毎週1つのセリフが選ばれ、着信ボイスで配信されます。

これまでに「ミスは取り返せるから気にすんな」、「いつもご飯を作ってくれてありがとう」といったリスナーが聴いて癒されたり、元気づけられたりするものから、「僕のおしりを思いっきりたたいてくれますか?」、「あばぁ~」など、ユニークなものまで数多く配信されてきました。

過去の放送紹介

「震えたもん」神谷浩史、リヴァイ役抜擢も複雑?(2013年4月20日放送)

2人が出演しているアニメ『進撃の巨人』シリーズ。神谷さんは調査兵団所属で最強の兵士であるリヴァイ・アッカーマン、小野さんはその調査兵団の団長だったエルヴィン・スミスを演じています。2人の出演が発表されたのは2013年の春で、『DGS』では『進撃の巨人』キャストに選ばれたことに対する心境を明かしました。

2013年4月20日の放送内の「ふつすと」にて、「出演決定おめでとうございます」とキャストに選出されたことへの祝福のメッセージが紹介されました。以前から度々番組内で話題にしていた注目作品だけあって、出演決定の知らせに2人ともビックリとのこと。しかし、喜び以上に2人の心中は複雑だったようで……。

神谷さんは、「ものすごい好きな作品だから、好きな作品に出られるのはありがたいんだけれども、なんかプレッシャーでもあるじゃない?」、「基本的に自分に自信がないから、作品に関わってそのクオリティに一役買えるんだったらいいけど、買えないかも思っちゃうからね」と語りました。

小野さんも神谷さんと同じく「『ヤバイ』って僕も思いました」、「ハードル高いわ」と、喜びと同時にプレッシャーを感じているとコメント。

最後に「関わるからには精一杯やらせていただきますし、勢いを殺さないように頑張っていきます」と意気込みを述べていましたが、これまでも数多くの人気作品に関わってきた2人がかなり緊張やプレッシャーを感じていることに対し、リスナーからは「こんなにすごい声優さんでもそう思うんだ」という声も上がっていました。

「付き合ってください」神谷浩史、ハマーンに愛の告白(2010年1月30日放送)

『DGS』では、毎年神谷さんと小野さんの誕生日を祝う「誕生祭」も企画されており、これまで10回以上リスナーの記憶に残る印象深い「誕生祭」が開催されてきました。今回は、2010年に放送された神谷さんの「誕生祭」をご紹介します。

神谷さんはこの年の新年会で「恋愛シミュレーションゲームみたいな恋がしたい」と口にしていたそうで、スタッフはその夢をかなえるべく、神谷さんの理想をかなえる女性をスタジオに招待。そして、目隠しされた神谷さんの隣に女性がスタンバイし、緊張に包まれながら神谷さんが目隠しを外すと、そこにいたのは『機動戦士ガンダムZ』などのガンダムシリーズに登場するハマーン・カーンのマネキンでした!

マネキンだったことに対して「強いて言えば不満ですね」と口を尖らせた神谷さんでしたが、実はこのマネキンにはとんでもない仕掛けが施されていました。「ハマーンちゃんも挨拶してくださいよ」と小野さんが声をかけると、突如「なんだ。ガザCかと思って来てみればヒロCではないか。まあよい、今回神谷浩史の恋人役に立候補したハマーン・カーンである!」とマネキンが話し始めたのでした。

企業の協力もあ理、声だけは吹き込んだという事実に神谷さんもビックリ。「おーい!これはダメだよ!」、「すごいぞこれ!」と鼻息を荒くしていました。

その後、ハマーン・カーンと共に「恋愛シミュレーションゲームみたいな恋がしたい」という神谷さんの夢を叶えるべく、複数の選択肢の中から神谷さんが1つ選び、ハマーン・カーンを喜ばせるという企画が進行。そして最後はハマーン・カーンに「色々とシビれました。僕の心は完全にあなたに奪われてしまいました。もし良かったら付き合ってください」と神谷さんは一世一代の愛の告白を!

しかし、ハマーン・カーンから返ってきた答えは「ごめんなさい!私、あなたとは付き合えません!」という無慈悲なもの。でも神谷さんは「感無量です」と満足そうでした。

「こんなに嬉しいことはない」カラオケでのサプライズに小野大輔は涙(2015年5月2日放送)

『DGS』にはカラオケ店から放送する「カラオケ回」があり、2015年5月2日に放送された「小野大輔誕生祭2015」もそのカラオケ回の1つでした。

この日は、『機動武闘伝Gガンダム』のオープニングテーマである『FLYING IN THE SKY』から始まり、小野さんや番組のスタッフが次々と熱唱していく様子を『カラオケ BIG ECHO新浜松町店』から届けました。

『ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド』のオープニングテーマ『ジョジョ~その血の運命~』を神谷さんと小野さんがデュエットで歌い上げたり、構成作家・ちゃんこさんによる『マジLOVEレボリューションズ』で盛り上がる中、最後の楽曲に選ばれたのは小野さんが2007年にリリースした『だいすき』でした。

「D・A・I・S・U・K・I!だいすき!」という神谷さんの歌い出しに声を上げて笑っていた小野さんでしたが、37歳の抱負を求められると「……こんなに嬉しいことはないです。『DGS』が大好きです!……フゥ~!」と感極まっている様子を見せ、その後「だいすき」の歌詞を「だいすけ」に置き換えて合いの手を入れられると「あ~なんも言えねえ」と少々声を詰まらせていました。

この様子にリスナーからは「感動した」、「小野さんのせいで泣くわ!」など、『DGS』出演者と関係者の絆が多くの反響を呼びました。

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亡き親友との約束胸に「スタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい」

プロ野球をはじめ、先日のメジャーリーグ開幕戦、そしてサッカーのJリーグでもよく目立つのが、巨大なフラッグによる応援です。今回は、このスポーツ応援に欠かせないビッグフラッグを染め上げている男性のお話です。

影山洋さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

日本一小さな市・埼玉県蕨市に、一軒の工房があります。有限会社染太郎、スポーツの試合で現れる大きな旗を作る会社です。トップは、影山洋さん、昭和30年生まれの69歳です。

蕨出身の影山さんは、小さい頃は空き地で友達とサッカーボールを蹴ったり、お小遣いがたまると後楽園球場へ行って、王さん・長嶋さんの野球を見て育ちました。そして、百貨店で催事のお知らせをする巨大な垂れ幕を作る会社に勤めます。

仕事に脂がのってきた30代のある日、影山さんは小さい頃のサッカー仲間で、当時の読売クラブに在籍していた奥田卓良選手から、こんな話を聞きました。

「今度、日本でもサッカーのプロリーグが始まるんだ。絶対応援してくれよ!」

「だったら、ヨーロッパみたいに、おっきな応援フラッグを作って、応援するよ!」

影山さんがそう答えて迎えた1993年5月15日のJリーグ開幕の日。国立競技場の熱狂の渦のなかに、奥田さんの姿はありませんでした。奥田さんは不慮の交通事故で、Jリーグを見ることなくこの世を去っていたのです。

『奥田との約束を守るためにも、日本のスタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい!』

そう思った影山さんは、会社勤めを辞め、自ら応援フラッグを作る会社を興します。地元・埼玉の浦和レッズの熱いサポーターたちとつながると、話が盛り上がって、今までにない幅50メートルのビッグフラッグを作るプロジェクトが始まりました。

影山さんが手掛けたビッグフラッグの数々

参考になったのはもちろん、影山さんが長年培ってきたデパートの垂れ幕のノウハウ。パソコンもあまり普及していない時代、設計図を元に1枚1枚刷毛で塗る手作業でした。ただ、ビッグフラッグを作っても、出来栄えを確かめられる広いスペースもなければ、対応してもらえる競技場もありませんでした。

ようやく人前で披露できる環境が整ったのは、2001年のJリーグ・レッズ対マリノス戦。埼玉スタジアム2002のこけら落としの試合でした。影山さんたちがドキドキ見守る中、ピッチに大きく真っ赤なフラッグが広げられると、スタンドからは「オーッ!」と地鳴りのような歓声が沸き上がりました。

翌日から、影山さんの会社の電話は、様々なチームからの問い合わせで鳴りやまなくなりました。

「私たちもレッズみたいな、熱い応援をしたいんです!」

数ある問い合わせの中に、情熱のこもったメッセージを届けてくれた人がいました。それは、プロ野球・千葉ロッテマリーンズの応援団の方々でした。影山さんは、競技の違いを乗り越えて、新しい応援スタイルが広まっていくことに、喜びを感じながら、さらに大きい幅75メートルものビッグフラッグを作り上げました。

このフラッグが、千葉・幕張のスタジアムの応援席に広げられると、今度はプロ野球チームの関係者からの問い合わせが相次ぎました。こうしてサッカーではレッズ、野球はマリーンズから始まったビッグフラッグによる応援は、今や多くのスポーツに広まって、当たり前の存在になりました。

蕨市の盛り上げにも活躍する影山洋さん

そしてこの春、影山さんは、東京ドームで行われたメジャーリーグのカブス対ドジャースの開幕戦でも、大役を任されることになりました。それは、初めての国旗。試合開始前のセレモニーで使われる、幅30メートルの日の丸と星条旗の製作でした。

国のシンボル・国旗に汚れを付けたり、穴を開けたりすることは決して許されません。3月10日に納品した後も、影山さんは毎日毎日東京ドームに通って、抜かりのないように、細心の準備をしました。そして、メジャーリーグ機構の厳しいチェックもクリアして、開幕当日を迎えます。

ベーブ・ルースから大谷翔平まで、日米の野球・90年の歴史の映像が流れて、無事に大きな日の丸と星条旗が現れると、影山さんも胸が熱くなりました。

『あの王さん・長嶋さんが躍動した後楽園球場を継いだ東京ドームで行われる、かつてない野球の試合で、自分の本業で関わることが出来ているんだ!』

そして、このメジャーリーグ開幕戦の興奮も冷めやらぬなか、今度はサッカーの日本代表が、8大会連続のFIFAワールドカップ出場を決めました。実は影山さんには、まだまだ大きな夢があります。

「いつか、サッカー日本代表がワールドカップの決勝戦を迎えた日の朝、富士山の近くで、おっきな富士山をバックにおっきな日の丸を掲げて、選手にエールを送りたいんです!」

亡き親友への思いを胸に生まれた、日本におけるビッグフラッグによるスポーツ応援。その応援文化のパイオニア・影山さんの夢は、きっと叶う日が来ると信じて、さらに大きく膨らみ続けます。

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