阿部真央×FM802 DJ・深町絵里 FM802開局30周年記念!「RADIO MAGIC」スペシャル対談
阿部:楽しかったですね。今でも私はラジオでしゃべるのがすごく好きなんですよ。今は、「MUSIC FREAKS」をやっていた10年前よりはしゃべれるようになってると思うし、インタビューでも自分の思ったことを口にできる頭にはなっていると思います。
深町:うん。真央ちゃんの言葉はすごく伝わってきますよね。核の部分をついているというか。
阿部:そういう風に思ってもらえるようになったのは「MUSIC FREAKS」の一人しゃべりのおかげ。生放送で2時間しゃべるのは大変だったんですけど、そこで言葉の瞬発力とか、シナプス的なものが培われましたね。
深町:番組ディレクターに印象的だった回を聞いたら、成人式の日って……。真央ちゃんの地元・大分から生放送したんですよね。“2時間、ブースの外からおかんが見てた”って聞きましたよ(笑)。あと、SEKAI NO OWARIをFM802で初めてかけたのは真央ちゃんだって言ってました。
阿部:そうなんですよ! まだインディーズの時のCDを聴いて、これはすばらしい!って番組で紹介したんです。いや、私の目は間違ってなかったなと思います(笑)。
深町:すごいですよ。先見の明が!
阿部:そうですよ(笑)。私が売れると思った人は、みんな売れてるんですよ。
Aimerさんとか岡崎体育さんとか高橋優さんとか。高橋さんも「MUSIC FREAKS」をやっている時にサンプルをいただいて、それを聴いて何だこりゃ!ってなって……今や大スターですよ(笑)。そういうのってすごくうれしいことで、やっぱ私の感覚って正しいのかもって自信にもなります。
深町:真央ちゃんはセレクターとかリスナーの耳もすごく持ってますよね。さて2011年頃になると辛いことも……。声帯の手術をしました。
阿部:最初の転機って感じでしたね。肉体的な辛さは何てことなく、それよりいわゆるファン離れが辛かったです。声が変わるっていうことへの反応はシビアだなって。当時はなかなか思うことができなかったけど、自分がやりたいこと守りたいことを貫くために変わっていかなきゃいけないって学びましたね。それかから、手術後に「モットー。」っていう曲を出したんですけど、これが2011年のFM802のオンエア回数1位だったみたいなんですよ。で、この曲を翌年のマーキーさん(現・FM COCOLOのDJ)の生誕60周年祭(「MARK`E Rolling 60-It`s great to be alive!」)で、OKAMOTO'Sと一緒に歌わせてもらったんです。
深町:その時の思い出は?
阿部:衣装がチューブトップ+オールインワンだったんですけど、それをOKAMOTO'Sのレイジ君に“すごい露出ですね”みたいな感じでいじられたんですよ(笑)。
今となってはいい思い出です(笑)。もちろんOKAMOTO'Sの演奏はピカイチですし!
深町:そんな2人も今では母となり父となり(笑)。真央さんの出産は2015年。
阿部:そうですね。子どもを授かったのは幸福なことだったなって思います。こんなにかわいがれると思ってなかったってくらい、子どもがかわいい(笑)。ただ同時に自分は個人主義なんだなって感じましたね。一人の時間が必要な人間だなって。それは子供を振り回すってことじゃなく、子どもが寝た後に寝不足になっても一人の時間を作るとか、そういうことですね。
深町:それはアーティストだから?
阿部:いや、人間として。家族も入れない時間を作らないと保てないんだなってわかりましたね。だから時間の使い方とか周りの人とのいい関係性の作り方とかをすごく考えるようになったんです。それはよかったことですね。
深町:産休から復帰した時はどんな感覚だったんですか?
阿部:「Babe.」っていうアルバムで復帰してツアーもして、その時は多少集客的なものやセールスは落ちたんですよ。
深町:なんかさっきから、アーティストっていうかプロモーターさんのする話みたい(笑)。自分のことを冷静に見てるよね。
阿部:ま、そういうのは気にしたくはないけど、でもそこから学ぶこともいっぱいあるんでね。で、その時はそれでもついてきてくれたファンへのありがとう!っていう気持ちがわいたし、離婚とかもあって心ないことを言われたりもしたから、人生で一番踏ん張ってた時期かもしれないですね。
深町:その時、自分を奮い立たせてくれたのは?
阿部:やっぱり息子とファンと近くの友人ですね。私のことをちゃんとわかってくれている人たちの声。そこで心底の感謝を学んだかもしれないです。ファンを大事にしていかなければって思いました。そこから徐々に自分が変わっていった気もします。
深町:それを乗り越えて今年10周年を迎え、5月には10周年記念の第1弾シングル「君の唄(キミノウタ)/答」をリリース。他人を励まして勇気を与え、背中を押す曲だなって感じました。今はどういうモード?
阿部:今は曲でどういうことを伝えられるか?っていうのをシンプルに考えてますね。こういう曲が受けてきたからこうしよう!とか、そういうのは経験としてあるけど、それを打算的には使わない!って決めてます。本当に言いたいことを掘り下げる感覚に近いかな。だから初期の何もわからずに曲を作ってた時に近い。ずっと縛られていた呪縛から抜け出そうしてるって感覚ですね。
深町:すごくいいですね! 今後の展望はどうですか? 20周年、30周年と道は続いていきます。
阿部:これは別に歌手を辞めるとかそういうことじゃないんですけど……。そもそも私は歌うのは好きだけど、音楽好きか?って言われるとそうじゃないんですよ。たまたま自分の表現のツールが歌と曲を書くことだったからやってるんですよね。だからその(純粋に何かで自分を表現したいという)感覚を失わずにいたい。シンガーソングライターだからこうあらねば!みたいなところが、この10年あったんですけど、もうそういうのはいいやってなりました。それはファンをないがしろにするとかではないんです。ただ、そういう(自分が表現したいという)感覚がないと喜んでもらえるものが作れないし、それを生み出せる自分を守れない。それに気づくのに10年かかった気がするんですよ。あとは、アーティストとか女とか母とか、そういうのを置いておいて私は私でありたいっていう。私はこうしたい!っていうのをより貫きたいですね。そしてそうすると楽ですよね。
深町:そうですね。たぶん、みんなそうありたいとは思っているんだろうけど。
阿部:絶対そうですね。ただ、どこにプライオリティを置くかは人それぞれで、例えば女性だから女性らしくすることが幸せだっていう人もいるし。だから、自分の好きなことをするべきなんですよね。私は自分が何者かっていうことを表現することに重きをおいて生きていきたい。歌とかシンガーソングライターにしがみつくのはやめて、何を表現したいのかを見失わないようにしよう!って感じです。
深町:でも今、音楽で表現しているのは楽しい?
阿部:楽しい! だって得意だもんね。10年やったから(笑)。でもこうやって話すのも楽しいです。これもある種の表現だから。そのしゃべることも好きなんだなって知ったきっかけはFM802さんの「MUSIC FREAKS」だった。