吉永小百合は天海祐希をアニキと呼んでいる⁉︎「今回映画でご一緒したら…」

現在公開中の映画『最高の人生の見つけ方』に出演している吉永小百合さんとムロツヨシさんが、ニッポン放送の特別番組に出演! 吉永さんは、共演者の天海祐希さんの印象について語りました。(ニッポン放送『吉永小百合とムロツヨシのオールナイトニッポンGOLD 映画「最高の人生の見つけ方」スペシャル』10月8日(火)放送分)

吉永小百合が死ぬまでにやりたいこと「大海原で泳いでみたい!」

映画『最高の人生の見つけ方』は、大ヒットしたハリウッド映画のリメイク。吉永小百合さんと天海祐希さんが演じる対照的に生きてきた二人が、余命宣告という共通点のもとで偶然出会い、「死ぬまでにやりたいことリスト」を共に叶えていくというストーリー。放送では、それにちなんで「死ぬまでにやってみたいこと」についてトークを繰り広げました。

吉永:私、アウトドアタイプなんですよね。水泳が好きだから、大海原で泳いでみたい!

ムロ:あ〜! 本当に水泳お好きですもんね、大海原で! 今、じゃあ泳いでって言われたら何キロくらい泳げますか?

吉永:3キロまでは泳げます。

ムロ:3キロ行けるかぁ! すっごいなぁー大海原3キロ泳げます?

吉永:はい(笑)

吉永小百合は天海祐希をアニキと呼ぶ⁉︎

立場の違う女性二人の間に次第に友情が芽生えていく点は、映画の見どころのひとつ。現場でも吉永さんと天海さん、二人の相棒っぷりが見られていたようで……。

ムロ:(吉永さんが)天海さんのことを「アニキ」と慕っているという情報も入っておりますが……。

吉永:それはね、(石田)ゆり子ちゃんが「アニキ」って言ってたんですね。で、私も今回映画でご一緒したらやっぱり「アニキだな」って思って、そう言ったんだけど。やっぱり公的にはみんなの前で「アニキ」って言ってほしくないっていう思いが彼女には無きにしもあらず。

ムロ:そう、そう。そうです。だっておキレイな方ですからね。

吉永:ええ、だから「アネキ」にしようかなって(笑)

吉永小百合とムロツヨシの選曲にも注目!

そのほかも映画の魅力や、撮影時のエピソードを語った二人。また、吉永さんが選ぶ渋めの楽曲と、ムロさんの選ぶイマドキな楽曲のバランスに思わずクスッとしてしまうシーンも注目です。

ぜひタイムフリーでお楽しみください!

吉永小百合とムロツヨシのオールナイトニッポンGOLD 映画「最高の人生の見つけ方」スペシャル
放送局:ニッポン放送
放送日時:2019年10月8日 火曜日 22時00分~24時00分
出演者:吉永小百合、ムロツヨシ

※放送情報は変更となる場合があります。

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止まった時計に、また命を。関西から茨城へ移り住んだ68歳が紡ぐ時間

6月10日は「時の記念日」です。誰もが年齢を重ねるほど、時が経つのが早く感じるものです。最近は終活を意識して、人生に残された時間を考えている方も少なくないでしょう。今回は終活を始めたつもりが、忙しい毎日を送ることになった、時計屋さんのお話です。

湯川貴弘さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

東京駅から常磐線の中距離電車で1時間あまりの茨城県牛久市。JR牛久駅前のショッピングセンターにオレンジ色の看板の時計修理専門店があります。お店の名前は、「町の時計屋さん 匠」。開店4年あまりですが、その高い技術に、修理が1年2か月待ちになるほどの人気です。

ご主人の湯川貴弘さんは、兵庫県のご出身で、1957年生まれの68歳。シベリア抑留から引き揚げてきたお父様が開いた時計の専修学校「湯川時計学院」で、高校に通いながら時計の技術を学び始め、23歳からは自らも教壇に立っていました。

物心ついた時から時計に囲まれて育ってきた湯川さんですが、ものづくりに憧れたのは、車のプラモデルと、アニメ「チキチキマシン猛レース」がきっかけ。作るだけでは飽き足らず、自分で作ったプラモデルの車同士を思い切り衝突させて、どこに力が加わると、どう壊れるのかを調べることに興味を持ちます。

プラモデルを作っては壊し、作っては壊すことで、車の複雑な構造を把握した湯川さん、ものづくりの基本を、プラモデルを通じて体で憶えていきました。自然と興味・関心も時計へと向いて、お父様と一緒にお店と学校を支え、やがてお父様から受け継いでいきました。

「直した時計を手にすると、お客さんが喜んでくれるんです。その喜ぶ顔を見たいという気持ちだけで、修理を続けてきました」

町の時計屋さん匠

そんな湯川さんでしたが、60歳を過ぎた頃、体調を崩してしまったことをきっかけにいわゆる「終活」を始めることを決意、自分のお店を閉めてしまいました。そして、自宅を売り、長年使い込んだ時計の修理道具も一切処分してしまった湯川さんの脳裏に、ふと、こんな考えがよぎります。

『一度きりの人生、せっかくなら、全国から条件に合う住まいを探してみようか?』

2020年、湯川さんはインターネットで北海道から沖縄まで物件を探し始めました。検索条件は「雪があまり降らない」「コンビニ・スーパーが近い」「鉄道駅が近い」の3つ。予算内でこの条件をクリアできる街は、いったいどこか???パソコンの画面に現れた街は……なんと!茨城県取手市でした。

『茨城県ってドコ?大阪の茨木市しか知らんけど、牛肉より豚肉を食べる機会が増えるくらいで、まあ、何とかなるんじゃないか?』

湯川さんは、還暦を過ぎて初めてふるさと・関西を離れ、遠く離れた関東での暮らしを始めましたが、気になったのは、やはり時計です。近所の時計屋さんに電池の交換をお願いしましたが、その作業内容に、どうも納得がいきませんでした。

『お客様のためになる、ちゃんとした時計屋さんが、街に1軒ぐらいはないといけない!』

奮い立った湯川さんは、改めて時計の電池交換が出来る小さなお店「町の時計屋さん 匠」を、取手駅の近くで開きます。最初は電池交換を行う程度でしたが、茨城でも湯川さんの腕の良さが評判を呼んで次第にお客さんが増え、いろいろな時計が持ち込まれるようになっていきました。

「ほかの時計屋さんはどこも直してくれないんです。ご主人ならきっと、出来ますよね?」

そう頼み込まれると職人の血が騒ぐ湯川さん、改めて修理用の道具一式を揃えます。縁あって、取手から郊外の牛久に移転すると、さらに持ち込まれる時計が増えました。実は牛久周辺、まだまだ農家が多くて、昔からの蔵が残っているお宅も多いんですね。その蔵のなかで眠っていた古時計が、お店に運ばれてきたというわけなんです。

大正生まれの時計を修理する湯川さん

日々、100年物の、レトロなぜんまい仕掛けの古い時計と格闘する湯川さんですが、電池で動くクォーツ時計の修理にも対応するなど、時代に合わせ、腕も磨いています。時計メーカーに部品が無くなってしまったら、自らの3Dプリンターで、部品を手作りして、修理してしまいます。

「時計は、結婚の記念で買い求めたり、形見として親から子供に受け継がれたりする、まさに人生の相棒のような存在なんです。そんな大切な時計の針が再び動き始めると、皆さん、涙を流して喜ばれます」

そして湯川さん、時計の鐘が鳴り響くお店で、笑ってこう話してくれました。

「終活を始めたつもりが、前より忙しくなって、今は『時計』に追われてます」

関東・茨城でもまた、様々な人の思いが詰まった時計に、新たな命を吹き込み続けます。

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