壇蜜、ラジオで結婚後の生活を明かす!「何にも変わらない、亭主元気で留守がいい」

先月11月22日の“いい夫婦の日”に、漫画家・清野とおるさんとの結婚を電撃発表し、話題を集めた壇蜜さん。今回、自身がパーソナリティを務める文化放送『壇蜜の耳蜜』にて、結婚後の生活について初めて語りました。(文化放送『壇蜜の耳蜜』12月16日(月)放送分)

「あ〜お金欲しい!」人間の欲について語る

番組冒頭、壇蜜さんは「欲張るとロクなことがない気がする」とぽつり。アシスタントを務める文化放送アナウンサー・太田英明さんと「人間の適切な欲」について語り合いました。欲望を感じるときを尋ねられた壇蜜さんは……。

壇蜜:元を取ろうとしちゃうとき、ダメだなぁと思うわ……。たとえばバイキングとかキャバクラで元取りたいって人いるじゃないですか。

太田:仕事だってそうですよね。欲望のままにどんどん取っていくのがいいのか、ほどほどにしてひとつひとつを充実させたほうがいいのか……でもお金も欲しいし。

壇蜜:そうなんですよ。お金と時間と仕事の量はうまくいかないじゃないですか。ちょうどいいのがなかなか見つからないよ……。

太田:それで断った仕事に他のタレントさんが入ってすごくもてはやされてたりしたら……。

壇蜜:あ〜おもしろくない! お金欲しい! 

壇蜜、結婚生活は「何も変わらない」

そして番組中盤、リスナーからの結婚祝福メッセージを読み、壇蜜さんは結婚後の生活について語りました。元々猫やヘビ、ナマケモノなど少し変わったペットをたくさん飼っていた壇蜜さんでしたが……。

壇蜜:引越しはしません。別居婚なので。もう新しい物件探せないもん、あんなにいっぱい動物引き連れて! ほぼブレーメンだよ? 楽器の吹けない音楽隊ですよ(笑)。何も変わらない。「亭主元気で留守がいい」。

太田:まぁ僕の中ではフェイクニュース……。

壇蜜:フェイクニュースです。時々配偶者っていう謎の物体が家に来るくらいの現象なんですよ。

ペットのヘビ子からの一言も!

そのほかにも結婚後の生活や心情について語った壇蜜さん。そして最後には、飼っているペットのヘビ・ヘビ子の気持ちになって旦那さんとの関わりを明かす場面も。

ぜひ今回の放送をタイムフリーで聴いて、壇蜜さんの声に癒されてください。

壇蜜の耳蜜
放送局:文化放送
放送日時:毎週月曜 19時30分~20時00分
出演者:壇蜜、太田英明
番組ホームページ

※放送情報は変更となる場合があります。

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亡き親友との約束胸に「スタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい」

プロ野球をはじめ、先日のメジャーリーグ開幕戦、そしてサッカーのJリーグでもよく目立つのが、巨大なフラッグによる応援です。今回は、このスポーツ応援に欠かせないビッグフラッグを染め上げている男性のお話です。

影山洋さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

日本一小さな市・埼玉県蕨市に、一軒の工房があります。有限会社染太郎、スポーツの試合で現れる大きな旗を作る会社です。トップは、影山洋さん、昭和30年生まれの69歳です。

蕨出身の影山さんは、小さい頃は空き地で友達とサッカーボールを蹴ったり、お小遣いがたまると後楽園球場へ行って、王さん・長嶋さんの野球を見て育ちました。そして、百貨店で催事のお知らせをする巨大な垂れ幕を作る会社に勤めます。

仕事に脂がのってきた30代のある日、影山さんは小さい頃のサッカー仲間で、当時の読売クラブに在籍していた奥田卓良選手から、こんな話を聞きました。

「今度、日本でもサッカーのプロリーグが始まるんだ。絶対応援してくれよ!」

「だったら、ヨーロッパみたいに、おっきな応援フラッグを作って、応援するよ!」

影山さんがそう答えて迎えた1993年5月15日のJリーグ開幕の日。国立競技場の熱狂の渦のなかに、奥田さんの姿はありませんでした。奥田さんは不慮の交通事故で、Jリーグを見ることなくこの世を去っていたのです。

『奥田との約束を守るためにも、日本のスタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい!』

そう思った影山さんは、会社勤めを辞め、自ら応援フラッグを作る会社を興します。地元・埼玉の浦和レッズの熱いサポーターたちとつながると、話が盛り上がって、今までにない幅50メートルのビッグフラッグを作るプロジェクトが始まりました。

影山さんが手掛けたビッグフラッグの数々

参考になったのはもちろん、影山さんが長年培ってきたデパートの垂れ幕のノウハウ。パソコンもあまり普及していない時代、設計図を元に1枚1枚刷毛で塗る手作業でした。ただ、ビッグフラッグを作っても、出来栄えを確かめられる広いスペースもなければ、対応してもらえる競技場もありませんでした。

ようやく人前で披露できる環境が整ったのは、2001年のJリーグ・レッズ対マリノス戦。埼玉スタジアム2002のこけら落としの試合でした。影山さんたちがドキドキ見守る中、ピッチに大きく真っ赤なフラッグが広げられると、スタンドからは「オーッ!」と地鳴りのような歓声が沸き上がりました。

翌日から、影山さんの会社の電話は、様々なチームからの問い合わせで鳴りやまなくなりました。

「私たちもレッズみたいな、熱い応援をしたいんです!」

数ある問い合わせの中に、情熱のこもったメッセージを届けてくれた人がいました。それは、プロ野球・千葉ロッテマリーンズの応援団の方々でした。影山さんは、競技の違いを乗り越えて、新しい応援スタイルが広まっていくことに、喜びを感じながら、さらに大きい幅75メートルものビッグフラッグを作り上げました。

このフラッグが、千葉・幕張のスタジアムの応援席に広げられると、今度はプロ野球チームの関係者からの問い合わせが相次ぎました。こうしてサッカーではレッズ、野球はマリーンズから始まったビッグフラッグによる応援は、今や多くのスポーツに広まって、当たり前の存在になりました。

蕨市の盛り上げにも活躍する影山洋さん

そしてこの春、影山さんは、東京ドームで行われたメジャーリーグのカブス対ドジャースの開幕戦でも、大役を任されることになりました。それは、初めての国旗。試合開始前のセレモニーで使われる、幅30メートルの日の丸と星条旗の製作でした。

国のシンボル・国旗に汚れを付けたり、穴を開けたりすることは決して許されません。3月10日に納品した後も、影山さんは毎日毎日東京ドームに通って、抜かりのないように、細心の準備をしました。そして、メジャーリーグ機構の厳しいチェックもクリアして、開幕当日を迎えます。

ベーブ・ルースから大谷翔平まで、日米の野球・90年の歴史の映像が流れて、無事に大きな日の丸と星条旗が現れると、影山さんも胸が熱くなりました。

『あの王さん・長嶋さんが躍動した後楽園球場を継いだ東京ドームで行われる、かつてない野球の試合で、自分の本業で関わることが出来ているんだ!』

そして、このメジャーリーグ開幕戦の興奮も冷めやらぬなか、今度はサッカーの日本代表が、8大会連続のFIFAワールドカップ出場を決めました。実は影山さんには、まだまだ大きな夢があります。

「いつか、サッカー日本代表がワールドカップの決勝戦を迎えた日の朝、富士山の近くで、おっきな富士山をバックにおっきな日の丸を掲げて、選手にエールを送りたいんです!」

亡き親友への思いを胸に生まれた、日本におけるビッグフラッグによるスポーツ応援。その応援文化のパイオニア・影山さんの夢は、きっと叶う日が来ると信じて、さらに大きく膨らみ続けます。

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