日向坂46・森本茉莉 「あざといってよく言われる」オーディション裏話を初告白!

日向坂46のメンバーが週替わりでパーソナリティを務める、文化放送『日向坂46の「ひ」』。

8月23日(日)は、佐々木久美さんと森本茉莉さんが出演し、日向坂メンバーの推しメンに関する話や、森本茉莉さんのオーディション裏話などで盛り上がりました。(文化放送『日向坂46の「ひ」』8月23日(日)放送分)

森本、キャプテン・佐々木を尊敬する理由を語る

8月23日(日)の放送は、キャプテンで1期生の佐々木久美さんと3期生の森本茉莉さんが出演。佐々木さんは、「日向坂で会いましょう」(テレビ東京)で森本さんが初出演した時のエピソードを語りました。

佐々木:「日向坂で会いましょう」に新3期生が初めて来てくれた時に、「目標とする先輩は?」みたいな項目があって、茉莉ちゃんはそこで私の名前を挙げてくれたんです。

森本:そうです。

佐々木:でも、ちょっと私は疑ってるんです。そこ以外で聞いたことないんです(笑)。

森本:この時ですね、アンケートのところで「尊敬する先輩」と「推している先輩」の欄が2つ分かれていて。私、久美さんの有名な「みんな、悔しくないの!?」っていうところと、以前「日向坂で会いましょう」で先輩方が返事していない時に、「みんな返事は!?」って言っているのを見てかっこいいなって思って、それで尊敬のところに書かせていただきました。

佐々木:なるほどねえ。因みに推しているところには誰って書いたの?

森本:潮紗理菜さんと金村美玖さんです(笑)。

佐々木:そうなんだ。でも、尊敬してる欄ってところに書いてくれたのはすごく嬉しいんだけど、私って後輩に「推しメンです」って言われたことないの。やっぱり、キャプテンだから怖いとか思われてるのかなあ。

森本:でもなんか、やっぱりキャプテンという事で……。

佐々木:そんな申し訳ない感じ出さなくていいよ(笑)。でも、尊敬してるって言ってもらえるのはすごく嬉しかった。ありがとう。

グアムから配信!? 坂道合同オーディション裏話

出演メンバーの近況やプライベートの出来事を伝えるコーナー「こんなに話しちゃっていいの?」では、森本さんが「夏の思い出に残った事」として挙げた坂道合同オーディションの話題に。

森本:最終審査前にSHOWROOM配信の期間があるじゃないですか。

佐々木:私たちもあった。

森本:ちょうどその期間にグアムの旅行に行っていて。

佐々木:そうだったの!?

森本:日中に配信する時間が全然なくて。なので私、朝5時から配信をしていて。

佐々木:えっ、それって時差あるの?

森本:1時間くらいあったので、私4時くらいに起きて(笑)。5時から1時間くらい。

ホテルの部屋から生配信を行っていたという森本さんは、配信時の様子を語りました。

森本:ホテルの部屋で撮っていたので、やっぱり隣の部屋にそういう声とか漏れないのかなっていう心配で、結構小さめの声で裏声で話していたんですよ。そうしたら、結構その声が「かわいい」って言ってくださる事が多くて。そこからそういうイメージがついて、あざといってよく言われるようになりました。

佐々木:そうなんだ。今よりももっと裏声のかわいらしい声でお話ししてたんだ。因みに、どんな感じの声なのか聴きたい。

森本:わかりました(笑)。(かわいい声で)「東京都出身。高校2年生。16歳の森本茉莉でーす」。本当にこんな感じでした(笑)。

佐々木:確かにそれはちょっとびっくりするかもしれない(笑)。

森本の「変わっている一面」とは?

エンディングでは、先週の出演メンバー・加藤史帆さんと高橋未来虹さんから寄せられた質問「変わっている一面」について森本さんが答えました。

森本:私はですね、最近気付いたんですけど、結構即興でポエムではないんですけど、本みたいな物語を勝手にお話しするのが好きって事に気付きました。変わってるんですかね?

佐々木:変わってる。いただいてもいいですか(笑)。

森本:本当ですか(笑)。えっとですね、分かりました。ボロボロかもしれないんですけども。「佐々木久美さんが目の前に居ます。佐々木久美さんは今、私の事を見て笑っているのですが、私はそんなに佐々木久美さんから好かれているのでしょうか?」。ちょっと分からなくなっちゃいました(笑)。

佐々木:「好かれているのでしょうか?」で終わりで(笑)。

森本:「好かれているのでしょうか? うーん、好かれています!」。分からなくなっちゃいました(笑)。

佐々木:ごめんね、急に振っちゃったからね(笑)。でも、そういうのを頭の中で……。

森本:そうなんです。いつもはもうちょっと高クオリティだと思うんですけど。

佐々木:そうね(笑)。ぜひブログとかに書いていただいて。

森本:分かりました。

日向坂46の「ひ」
放送局:文化放送
放送日時:毎週日曜 18時30分~19時00分
出演者:佐々木久美、森本茉莉
番組ホームページ
公式X

Twitterハッシュタグは「#ひなたひ」

※放送情報は変更となる場合があります。

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亡き親友との約束胸に「スタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい」

プロ野球をはじめ、先日のメジャーリーグ開幕戦、そしてサッカーのJリーグでもよく目立つのが、巨大なフラッグによる応援です。今回は、このスポーツ応援に欠かせないビッグフラッグを染め上げている男性のお話です。

影山洋さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

日本一小さな市・埼玉県蕨市に、一軒の工房があります。有限会社染太郎、スポーツの試合で現れる大きな旗を作る会社です。トップは、影山洋さん、昭和30年生まれの69歳です。

蕨出身の影山さんは、小さい頃は空き地で友達とサッカーボールを蹴ったり、お小遣いがたまると後楽園球場へ行って、王さん・長嶋さんの野球を見て育ちました。そして、百貨店で催事のお知らせをする巨大な垂れ幕を作る会社に勤めます。

仕事に脂がのってきた30代のある日、影山さんは小さい頃のサッカー仲間で、当時の読売クラブに在籍していた奥田卓良選手から、こんな話を聞きました。

「今度、日本でもサッカーのプロリーグが始まるんだ。絶対応援してくれよ!」

「だったら、ヨーロッパみたいに、おっきな応援フラッグを作って、応援するよ!」

影山さんがそう答えて迎えた1993年5月15日のJリーグ開幕の日。国立競技場の熱狂の渦のなかに、奥田さんの姿はありませんでした。奥田さんは不慮の交通事故で、Jリーグを見ることなくこの世を去っていたのです。

『奥田との約束を守るためにも、日本のスタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい!』

そう思った影山さんは、会社勤めを辞め、自ら応援フラッグを作る会社を興します。地元・埼玉の浦和レッズの熱いサポーターたちとつながると、話が盛り上がって、今までにない幅50メートルのビッグフラッグを作るプロジェクトが始まりました。

影山さんが手掛けたビッグフラッグの数々

参考になったのはもちろん、影山さんが長年培ってきたデパートの垂れ幕のノウハウ。パソコンもあまり普及していない時代、設計図を元に1枚1枚刷毛で塗る手作業でした。ただ、ビッグフラッグを作っても、出来栄えを確かめられる広いスペースもなければ、対応してもらえる競技場もありませんでした。

ようやく人前で披露できる環境が整ったのは、2001年のJリーグ・レッズ対マリノス戦。埼玉スタジアム2002のこけら落としの試合でした。影山さんたちがドキドキ見守る中、ピッチに大きく真っ赤なフラッグが広げられると、スタンドからは「オーッ!」と地鳴りのような歓声が沸き上がりました。

翌日から、影山さんの会社の電話は、様々なチームからの問い合わせで鳴りやまなくなりました。

「私たちもレッズみたいな、熱い応援をしたいんです!」

数ある問い合わせの中に、情熱のこもったメッセージを届けてくれた人がいました。それは、プロ野球・千葉ロッテマリーンズの応援団の方々でした。影山さんは、競技の違いを乗り越えて、新しい応援スタイルが広まっていくことに、喜びを感じながら、さらに大きい幅75メートルものビッグフラッグを作り上げました。

このフラッグが、千葉・幕張のスタジアムの応援席に広げられると、今度はプロ野球チームの関係者からの問い合わせが相次ぎました。こうしてサッカーではレッズ、野球はマリーンズから始まったビッグフラッグによる応援は、今や多くのスポーツに広まって、当たり前の存在になりました。

蕨市の盛り上げにも活躍する影山洋さん

そしてこの春、影山さんは、東京ドームで行われたメジャーリーグのカブス対ドジャースの開幕戦でも、大役を任されることになりました。それは、初めての国旗。試合開始前のセレモニーで使われる、幅30メートルの日の丸と星条旗の製作でした。

国のシンボル・国旗に汚れを付けたり、穴を開けたりすることは決して許されません。3月10日に納品した後も、影山さんは毎日毎日東京ドームに通って、抜かりのないように、細心の準備をしました。そして、メジャーリーグ機構の厳しいチェックもクリアして、開幕当日を迎えます。

ベーブ・ルースから大谷翔平まで、日米の野球・90年の歴史の映像が流れて、無事に大きな日の丸と星条旗が現れると、影山さんも胸が熱くなりました。

『あの王さん・長嶋さんが躍動した後楽園球場を継いだ東京ドームで行われる、かつてない野球の試合で、自分の本業で関わることが出来ているんだ!』

そして、このメジャーリーグ開幕戦の興奮も冷めやらぬなか、今度はサッカーの日本代表が、8大会連続のFIFAワールドカップ出場を決めました。実は影山さんには、まだまだ大きな夢があります。

「いつか、サッカー日本代表がワールドカップの決勝戦を迎えた日の朝、富士山の近くで、おっきな富士山をバックにおっきな日の丸を掲げて、選手にエールを送りたいんです!」

亡き親友への思いを胸に生まれた、日本におけるビッグフラッグによるスポーツ応援。その応援文化のパイオニア・影山さんの夢は、きっと叶う日が来ると信じて、さらに大きく膨らみ続けます。

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