稲垣吾郎、19年ぶりフォトエッセイ『Blume』発売!「皆さんだったら、これはもう56冊くらい…」

稲垣吾郎さんが架空の女性誌の編集長となり、さまざまなトレンドやカルチャーを紹介する、文化放送『編集長 稲垣吾郎』。9月16日(水)の放送では、稲垣さんのフォトエッセイ『Blume(ブルーメ)』(9月18日(金)発売)の話題や、プライベートトークで盛り上がりました。(文化放送『編集長 稲垣吾郎』9月16日(水)放送分)

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19年ぶりのフォトエッセイ『Blume(ブルーメ)』発売!

9月18日(金)に、稲垣さんの19年ぶりとなるフォトエッセイ『Blume(ブルーメ)』(宝島社)が発売されます。

稲垣:これはもう、『編集長 稲垣吾郎』を聴いてくださっている皆さんだったら、56冊くらい買ってくれるんじゃないですか。56冊はちょっと、いくらなんでも? 確かに。5冊? 6冊?(笑)。 なんか、いっぱいちゃんと売れないと、編集と出版社の方に申し訳ないなあと思って(笑)。

フォトエッセイ『Blume』は、人気ファッション誌「GLOW」での連載「大人男子ライフ」に加筆し、単行本化したもので、未公開カットを含めたフォト・エッセイパート加えて稲垣さんのロングインタビューが収録されています。

稲垣:やっぱり全てスタッフと相談しながら、細かい事まで一つ一つ決めていった手作り感満載の『Blume』なんでね。僕もとても思い入れがありますし、皆さんにも気にいってもらえる内容になってるんじゃないのかなと思いますので。ね、56冊という事で(笑)。まあ、ちょっと「お財布も心配してくださいよ」って感じですよね。じゃあ、5冊? 6冊?

吾郎編集長、浅草でいちごスイーツを堪能

番組のメインコーナー「GORO's Search」では、渋谷に完全会員制のパフェバー「リメークイージー(RemakeEasy)」がオープンするメールを紹介。普段、甘い物をあまり食べないという稲垣さんは、浅草でいちご専門のスイーツ店に立ち寄った時のエピソードを語りました。

稲垣:僕、それ(お店)を見た時に、スターバックスさんの「ゴロッと イチゴ フラペチーノ」を思い出したんですよ。僕、どうしても"ゴロっと"って名前が"吾郎"だけに気になったので。それで買って味わってみた話をしたと思うんですけれども。その事を思い出して、確かに「ゴロッと イチゴ フラペチーノ」美味しかったなあって思って。

ただ、ここはいちご専門のスイーツ店なんで、どう違うのかなあって思って「すみません。いちごのスムージー1つください」って言って買ったんですよ。650円で。フラペチーノとは全然違う。いちごのスムージーが入ってて、上の方にはいちごを凍らせたものを、細かく砕いたものを添えてるわけですよ。だから、要は「ゴロッとフラペチーノ」とは違ったんですよ。とにかく、いちごスイーツ屋さんのいちごスムージーを飲んで美味しかったという話です。

いちごを凍らせたものを粉々にして、かき氷のようにして、一緒にパフェのようにして。太いストローで、暑い浅草の街を闊歩しながら、全身黒ずくめの男がいちごのスムージー飲んでるって、ちょっと皆さん想像してください。怖いですよね。肩にカメラとかぶら下げながら(笑)。でも、本当に美味しかったんですよね。もしかしたら本当、年々甘い物が好きになってきてるかもしれない。

主演舞台『No.9 -不滅の旋律-』再々演「何度もやりたいもんですよ」

リクエストコーナー「GORO's Break Time」では、稲垣さん主演の舞台『No.9 -不滅の旋律-』の再々演が発表された事を受け、『君の輝く夜に~FREE TIME,SHOW TIME~』の再々演を希望するリスナーのメールが届きました。

稲垣:そうなんだよね。確かに『君の輝く夜に』も2回やってる。そっか、次やったら再々演になるのか。そうですね、やっぱり何度もやりたいもんですよ、一つの舞台。僕は飽きるって事がやっぱり無いですし。やればやるほど、やる時によって自分の状態とか世の中の流れとかによっても、違う作品になってきますしね。それは(舞台を)観る皆さんも同じだと思うんですけれども。

僕はやっぱり、この再々演とかをずっとやっていくっていう事を一つのライフワークとしてね、そういう作品がいくつかあるっていうものにはやっぱり憧れますよね。今回、『NO.9』の再々演は本当に嬉しいんですけれども、(『君の輝く夜に』脚本・演出担当の)鈴木聡さんとの作品でも、ずっと続けていけられるような作品があってもいいなあとは思うんですけれどもね。

編集長 稲垣吾郎
放送局:文化放送
放送日時:毎週水曜 21時30分~22時00分
出演者:稲垣吾郎
番組ホームページ

Twitterハッシュタグは「#編集長稲垣吾郎」

※放送情報は変更となる場合があります。

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亡き親友との約束胸に「スタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい」

プロ野球をはじめ、先日のメジャーリーグ開幕戦、そしてサッカーのJリーグでもよく目立つのが、巨大なフラッグによる応援です。今回は、このスポーツ応援に欠かせないビッグフラッグを染め上げている男性のお話です。

影山洋さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

日本一小さな市・埼玉県蕨市に、一軒の工房があります。有限会社染太郎、スポーツの試合で現れる大きな旗を作る会社です。トップは、影山洋さん、昭和30年生まれの69歳です。

蕨出身の影山さんは、小さい頃は空き地で友達とサッカーボールを蹴ったり、お小遣いがたまると後楽園球場へ行って、王さん・長嶋さんの野球を見て育ちました。そして、百貨店で催事のお知らせをする巨大な垂れ幕を作る会社に勤めます。

仕事に脂がのってきた30代のある日、影山さんは小さい頃のサッカー仲間で、当時の読売クラブに在籍していた奥田卓良選手から、こんな話を聞きました。

「今度、日本でもサッカーのプロリーグが始まるんだ。絶対応援してくれよ!」

「だったら、ヨーロッパみたいに、おっきな応援フラッグを作って、応援するよ!」

影山さんがそう答えて迎えた1993年5月15日のJリーグ開幕の日。国立競技場の熱狂の渦のなかに、奥田さんの姿はありませんでした。奥田さんは不慮の交通事故で、Jリーグを見ることなくこの世を去っていたのです。

『奥田との約束を守るためにも、日本のスタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい!』

そう思った影山さんは、会社勤めを辞め、自ら応援フラッグを作る会社を興します。地元・埼玉の浦和レッズの熱いサポーターたちとつながると、話が盛り上がって、今までにない幅50メートルのビッグフラッグを作るプロジェクトが始まりました。

影山さんが手掛けたビッグフラッグの数々

参考になったのはもちろん、影山さんが長年培ってきたデパートの垂れ幕のノウハウ。パソコンもあまり普及していない時代、設計図を元に1枚1枚刷毛で塗る手作業でした。ただ、ビッグフラッグを作っても、出来栄えを確かめられる広いスペースもなければ、対応してもらえる競技場もありませんでした。

ようやく人前で披露できる環境が整ったのは、2001年のJリーグ・レッズ対マリノス戦。埼玉スタジアム2002のこけら落としの試合でした。影山さんたちがドキドキ見守る中、ピッチに大きく真っ赤なフラッグが広げられると、スタンドからは「オーッ!」と地鳴りのような歓声が沸き上がりました。

翌日から、影山さんの会社の電話は、様々なチームからの問い合わせで鳴りやまなくなりました。

「私たちもレッズみたいな、熱い応援をしたいんです!」

数ある問い合わせの中に、情熱のこもったメッセージを届けてくれた人がいました。それは、プロ野球・千葉ロッテマリーンズの応援団の方々でした。影山さんは、競技の違いを乗り越えて、新しい応援スタイルが広まっていくことに、喜びを感じながら、さらに大きい幅75メートルものビッグフラッグを作り上げました。

このフラッグが、千葉・幕張のスタジアムの応援席に広げられると、今度はプロ野球チームの関係者からの問い合わせが相次ぎました。こうしてサッカーではレッズ、野球はマリーンズから始まったビッグフラッグによる応援は、今や多くのスポーツに広まって、当たり前の存在になりました。

蕨市の盛り上げにも活躍する影山洋さん

そしてこの春、影山さんは、東京ドームで行われたメジャーリーグのカブス対ドジャースの開幕戦でも、大役を任されることになりました。それは、初めての国旗。試合開始前のセレモニーで使われる、幅30メートルの日の丸と星条旗の製作でした。

国のシンボル・国旗に汚れを付けたり、穴を開けたりすることは決して許されません。3月10日に納品した後も、影山さんは毎日毎日東京ドームに通って、抜かりのないように、細心の準備をしました。そして、メジャーリーグ機構の厳しいチェックもクリアして、開幕当日を迎えます。

ベーブ・ルースから大谷翔平まで、日米の野球・90年の歴史の映像が流れて、無事に大きな日の丸と星条旗が現れると、影山さんも胸が熱くなりました。

『あの王さん・長嶋さんが躍動した後楽園球場を継いだ東京ドームで行われる、かつてない野球の試合で、自分の本業で関わることが出来ているんだ!』

そして、このメジャーリーグ開幕戦の興奮も冷めやらぬなか、今度はサッカーの日本代表が、8大会連続のFIFAワールドカップ出場を決めました。実は影山さんには、まだまだ大きな夢があります。

「いつか、サッカー日本代表がワールドカップの決勝戦を迎えた日の朝、富士山の近くで、おっきな富士山をバックにおっきな日の丸を掲げて、選手にエールを送りたいんです!」

亡き親友への思いを胸に生まれた、日本におけるビッグフラッグによるスポーツ応援。その応援文化のパイオニア・影山さんの夢は、きっと叶う日が来ると信じて、さらに大きく膨らみ続けます。

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