宮脇咲良の冠ラジオ『さくのき』最終回「全てはまだ経過だって言いたい」

宮脇咲良さんがパーソナリティを務める、bayfm78『今夜、咲良の木の下で』。9月30日(水)の放送をもって最終回を迎え、宮脇さんが番組開始からの4年半の想いを語りました。(bayfm78『今夜、咲良の木の下で』9月29日(水)放送分)

最終回という響きは『さくのき』には似合わない

今回が4年半にわたって放送されてきた番組の最終回という事もあり、宮脇さんは途中涙ぐむ様子がありながらも胸の内を語りました。

宮脇:前回「来週もこの時間に、咲良の木の下であなたを待ってます」を最後に言ったじゃないですか。そうしたら、ファンの皆さんがもう「言わないでほしい」みたいな。「今だったら、全部嘘だったって言っても許すから言ってほしい」みたいな(笑)。私もすごく悲しくなりました。そこでやっと「ああ、次来るのが本当に最終回なんだなあ」って思って。

なんだかんだ続いてたじゃないですか、私たちって(笑)。「今回はマジで終わるかな」って思ったら続いてたから、「このままずっと続くんだろうなあ」って思ってたから、終わりが来る事を1回も考えた事が無かったんですね。『さくのき』に関しては。危ない橋を渡りながらも、結局渡れるみたいな番組でしたので(笑)。

他の方々の助けもあってだったんですけど、ずっと続くと思ってました。終わりが来る事なんてあるのかなって思ってたし、そもそも最終回って響きが『さくのき』には合わな過ぎる。毎週水曜日にあるのがみんなの習慣でもあったし、精神の支えでもあったから、それが寂しいなあと思いますね。

おじさんファンは「本当にどこにも行かない」

中学2年の時、母親が再婚したという女性リスナーからのメッセージを紹介。再婚当時は父親と会話する事が無かったものの、父親がHKT48の頃から宮脇さんのファンだった事を知り、その後は親子で一緒に宮脇さんファンになる仲に。女性リスナーは「こんなお父さん珍しいんだろうなって思い、良かったなと心から思えるようになりました」と宮脇さんに感謝の言葉を寄せました。

宮脇:大丈夫ですよ。珍しくないと思いますよ。お父さんくらいの方が私の事を応援してるの(笑)。私、結構幅広くアイドルグループをしていたので(笑)。お年……年配の方……何て言うんだ……? あの……おじさん? しかも、おじさんファンは本当にどこにも行かないんですよ。ずっと好きでいてくれるんです!

だから、若いファンの方がどうとかじゃなくて、結構そういう方が多い。もう本当に10年の仲みたいな。私という宮脇咲良がきっかけで、お父さんとそうやって仲良くなれて本当に良かったなと思いますね。

4年半前の自分にアドバイス

終盤には『さくのき』初回放送(2017年4月5日放送)のオープニングが流れ、番組開始から4年半を過ごしてきた宮脇さんが、「当時の自分にメッセージやアドバイスを送るとしたらどんな言葉を送るか」といった番組スタッフからの質問に答えました。

宮脇:4年半……。「覚悟しておけ」って(笑)。でも本当に1つ言いたいのは、その時超悩んでたし、病んでたし、空振りしまくりみたいなイメージだったんですよ。まだ「経過だよ」って言いたいかなと思いますね。その瞬間に私は何も結果を出せてなかったから、「ああ、もう私はここでは出来る事は無いんだ」とか、焦ってばっかりいたんですけど、まだその時って経過だったなって思うし、まだ進んでみないと分からない事っていっぱいあるんですよね。

例えば、私は女性誌に1回も出た事が無かったから、出たいなあと思ってたし、でも絶対無理だろうなって思ってたんですよ。そうしたら、今年は女性誌3つくらい表紙も飾らせてもらったりとかもして、日本に帰ってきてからほとんど女性誌の撮影ばっかりで。そういうのを見たりとかすると、本当に人生って分からないし、負けっていうのは無いのかなって思いました。勝つまでやったら誰も負けないんじゃないって思うので。

勝ち負けが大事ってわけじゃないけど、全てはまだ経過だなって思いますし、私もまだ悩む事はありますけど、まだ経過だなって思ったもん。正直、死ぬまでまだ分からないじゃないですか。これからの人生どうなるか。なので諦めたくもないですし、全てはまだ経過だって言いたいかなと思います。「諦めるにはまだ早いよ」って言いたいと思います。

最後は『さくのき』スタッフやメディア関係者、そして番組リスナーに向けて感謝を語り、4年半に及ぶ放送を締めくくりました。

宮脇:4年半、この番組を愛してくれて本当にありがとうございました。宮脇咲良の『今夜、咲良の木の下で』。お相手は宮脇咲良でした。いつの日か、また咲良の木の下で。

今夜、咲良の木の下で
放送局:BAYFM78
放送日時:毎週水曜 24時00分~24時30分
出演者:宮脇咲良
番組ホームページ

Twitterハッシュタグは「#さくのき」

※放送情報は変更となる場合があります。

ラジコをスマートフォンで聴く

ラジコをパソコンで聴く

プレミアム会員登録をして全国のラジオを聴く!

菅井友香、振付家TAKAHIROと当時の思い出を語る!

サントリー生ビールpresents『菅井友香の#今日も推しとがんばりき』のゲストにダンサー・振付家のTAKAHIROが登場し、菅井と出会った時の印象からグループ最後の楽曲「その日まで」についてまで菅井との思い出を語った。

-TAKAHIRO「菅井さんは不器用なんです」-

菅井とTAKAHIROの出会いは2016年。欅坂46のデビュー曲「サイレントマジョリティー」の振り付けの時だったという。TAKAHIROは当時の菅井について、「菅井さんはいっぱい練習する子でした。いっぱい練習しましたね。『不協和音』の立ち方だけでとか、手の引っ張り方だけで、一時間ぐらいずっとやっていた」と当時のことを振り返った。

また、リスナーからの質問で菅井のグループ時代の最後の楽曲「その日まで」の振り付けにどんな意味を込めたのかについて問われたTAKAHIROは、「あの楽曲は全部が逆再生されるように作ってあったんですが、でも、過去のことだけではなく今の菅井さんが表現できることを大切に、前に進んでいけるように。菅井さんはいっぱい背負ってきましたので。だからそのリュックを一回置いて、ただただ走って風を感じられるように。そういう思いを込めて、振り付けをさせていただきました」と語った。

そんな「その日まで」はミュージックビデオの撮影中に釣りをしている人を待つために一時撮影が中断されることもあったという裏話も語ってくれた。

さらに、リスナーから菅井のパフォーマンスに関する裏話を聞かれたTAKAHIROは、「菅井さんは不器用なんです」と断言。しかし、その不器用さ故の長所があると語った。「不器用だけど、努力するという力を持っていた。感覚でみんながやれるところを努力で全部補おうとする。だから本当にその瞬間を任せたときに、ある程度までは要領のいい人が勝つんだけれども、そこから先の努力でもっと深めることができるから、ステージに立った時に誰よりも輝く瞬間がある」

菅井は、その様にやり遂げられたのはTAKAHIROの存在が大きかったと語り、「少年のような大人でずっと誰より近くにいてくださった」と当時TAKAHIROに感じていたことについて振り返った。

その他、「キミガイナイ」の振り付けについての話やTAKAHIROが櫻坂46の振り付けを考えるうえで一番大切にしていることなど、様々な話が語られた。そちらについては是非タイムフリーで

Facebook

ページトップへ