ゲストにコブクロが登場!大阪・関西万博1000日前にあたる7月18日に特別プログラムをO.A決定!
2022.07.01 up
大阪・関西万博、開催から1000日前にあたる7月18日月曜日に、スペシャル番組『FM802 HOLIDAY SPECIAL Road to 2025 KICK OFF RADIO!』の放送が決定!
What's 万博!?そもそも万博って何だっけ?そんなアナタのための基本情報の解説から、1000日後に迫る2025年大阪・関西万博の魅力の紹介にも迫ります。そして、3年後、さらには未来に向けて…「アナタには何ができる⁉」「どんなワクワクした未来をデザインする?」様々なテーマについて、考えるきっかけになる3時間。また、7月23日(土)&24日(日)と、開催目前に迫った、FM802がプロデュースの”ほぼ”1,000日前イベント『Road to 2025!! TEAM EXPO FES』の最新情報もお届けします。さらに、放送当日(7月18日)、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンにて行われる「大阪来てな!キャンペーン」キックオフイベントに登場し、大阪・関西万博アンバサダーとしてスペシャルライブを行うコブクロのライブ直後の最速インタビューもお届けします!お楽しみに!
【番組概要】
『FM802 HOLIDAY SPECIAL Road to 2025 KICK OFF RADIO!』
7月18日(月・祝)18:00-21:00
DJ落合健太郎/大抜卓人
詳細ページ:https://funky802.com/pages/pickup_detail/6707
イラン問題から探る、シーア派とスンニ派の違い
2026.03.11 up
ニュースキャスターの長野智子がパーソナリティを務める「長野智子アップデート」(文化放送・月曜日15時~17時、火~金曜日15時~17時35分)、3月11日の放送に毎日新聞論説委員でノンフィクション作家の小倉孝保が出演した。イランの新最高指導者モジタバ・ハメネイ師がイスラム教シーア派の聖地・マシャドで生まれであることに関連し、イラン問題、シーア派とスンニ派の違いを語った。
鈴木敏夫(文化放送解説委員) 「イランの最高指導者を選出する権限を持つ『専門家会議』は、殺害されたハメネイ氏の後継に、その次男であるモジタバ師を選出した、と発表しました。イラン革命防衛隊もモジタバ師への忠誠を表明しています。そのモジタバ師、シーア派の聖地であるマシャドという街で生まれた、という情報も伝わっています」
長野智子 「シーア派について改めて教えてください」
小倉孝保 「僕は2000年から2005年までカイロを拠点に、モロッコからイランまでカバーして。イランは大きな国で、およそ5年弱の間に10回ぐらいは取材し、長期滞在していました。エジプトはスンニ派の国なんです。イスラム教徒が多いけど、シーア派の人はほぼいないと思います。でもイランに出張すると8割がたシーア派の人たちです。スンニ派とシーア派の人たちって、同じイスラム教なのにこんなに違うのか、と感じさせられます」
鈴木 「どういう点で?」
小倉 「なぜシーア派とスンニ派がいるのか、ということから言うと、預言者ムハンマドがイスラムをつくって、亡くなったあとに後継者争いになる。ムハンマドの教義をよく理解した人間で、あとを継いでいこう、と考えたのがスンニ派。これがいまの世界の多数派です。シーア派はどういう人かというと、ムハンマドの家族、血を重視して、その血を継いでいく考え方を重視した人たち」
長野 「はい」
小倉 「ムハンマドの娘婿でいとこでもあるアリという人が中心となって、その人の子どもたちや子供のきょうだいなどで継いでいったものがシーア派なんです。一方でスンニ派が血は関係ない、ムハンマドの考えをいかに理解しているか、ということを重視して。自分たちが後継者だ、と。いまスンニ派、シーア派と呼ばれている人たちの跡目争いが対立を生んだ」
長野 「はい」
小倉 「そこで7世紀初めぐらいからだと思うけど、かなりの戦争状態になる。イランを見るとき『あれ、イラン人ってこういうマインドがあるんだ』と思わされた出来事がいくつかあって。カルバラ、というシーア派の聖地がイラクにある。カルバラで、ムハンマドの後継者とされていたアリの息子、フサインの軍がウマイヤ朝、いまのスンニ派につながる朝の軍とぶつかって虐殺されるんです」
長野 「フサインさんがね」
小倉 「フサインのぶつかった場所、遺体の埋められている場所がカルバラで。シーア派の人にとっては非常に思い入れのある、聖地になっているんです。簡単に虐殺というけど、フサインは(軍に)70人ぐらいしかいなかった。それで4000人の軍に挑んで、女性と子供以外は全員、殺されたといわれています。フサインは体をいったんダマスカスに送られて。殺された、というのを確認してカルバラに戻されて、埋葬されたといわれます」
長野 「うん……」
小倉 「カルバラの悲劇、カルバラの戦いといわれます。西暦680年のことですが、いまもいろいろなところでイラン人がこの話をするんです。するというのは、雑談ではなく、モスクに行ったときのモスクのイスラムの聖職者(法学者)たちが、この話をもう日本人でいえば『平家物語』ってこうだったのかな、というぐらい滔々と上手に物語にしていく。そこで聴いている人が、ものすごく真剣なわけです」