デビュー10周年イヤーを締め括るAimerに、FM802が1万字超えのロングインタビュー【前編】
10月に“デビュー10周年イヤー”を締め括る自身初の大阪城ホールワンマンライブも控えているAimer。この度FM802がデビューから現在までの活動を、ライブにスポットを当てて15,000字超えのロングインタビューを実施。デビュー当初からAimerをよく知るFM802 番組ディレクターが本人に話を伺いました。ここでは「Live at anywhere」から「blanc et noir」までの前編をお届けします。
初ワンマンライブツアーで、お客さんの存在の大きさを知りました。
ディレクター:改めまして、デビュー10周年おめでとうございます。
Aimer:ありがとうございます。
ディレクター:FM802は、デビューシングルの「六等星の夜」が2011年9月のヘビーローテーションになって、そのころからゲストにも来てもらってるので、もう結構長いお付き合いですね。
Aimer:そうですよね。本当にデビュー当時から事あるたびにFM802には来させていただいて、いろんな番組に出させていただいています。当初はテレビもラジオも初めてで、電波を通じて言葉を発する経験がなかったので、とても緊張の連続でした。(笑)
ディレクター:デビュー前から歌手になりたいという気持ちがあったと思いますが、今10年たって、その当時の思い描いていた未来になっていますか?
Aimer:思い描いていた未来の、その先ですかね。やはり歌を歌う人になりたいと思ってはいたけど、10年も歌い続けることができて、しかもたくさんの方に支えていただいてホールツアーをまわることができて、本当にすごいことだと思います。10年それが続けられているというのは想像してなかったですね。Aimerとして歌い始めるって決めてからは、一つの夢が“デビューした”っていうことで叶って。その先は歌い続けられたらいいなっていう漠然としたことだけで、目の前の一つ一つを一生懸命やってきたっていう感じです。
ディレクター:ちなみに、その辺の未来像のようなものは当初からプロデューサーの玉井健二さんと話をしていましたか?
Aimer:していましたね。当初から今でも変わってなくて、Aimerの音楽をまだ知らない人、あるいは本当に好きな音楽に出会ってない人に出会ってもらって、それをきっかけに、もっと音楽を好きになってもらうこと、音楽の魅力をもっと知ってもらうこと。それが私たちにできる使命みたいなものだね、と最初から言っていました。だから、長く歌い続けられるように10年、20年先を考えてやっていこうねという話をしていましたね。
ディレクター:そういう思いもあったからこそ、今もAimerさんチームと一緒にやれているのかもしれないですね。
Aimer:本当にそうですね。1人だと自分を俯瞰しながら進むことはなかなか難しいですけど、そこはプロデューサーの玉井さんやスタッフの皆さんに本当に支えていただきながらやってきたという感じですね。
ディレクター:そんなふうに始まったAimerさんの10年。今日はライブにスポットを当てて話をしていきたいと思っています。まずデビュー当初は「Live at anywhere」と題したインターネットライブシリーズを頻繁に行ってきていましたが、目の前に実際にお客さんがいない状態のライブをやられていたときは、どういう気持ちでしたか。
Aimer:これはその後お客さんがいるライブをやるようになってから初めて分かりましたが、無観客のほうが大変緊張します。
ディレクター:どういうことですか?
Aimer:目の前に誰もいない、誰か分からない誰かがたくさん画面の向こうから見ているというのは実はとても緊張するんです。だからお客さんが目の前にいるライブを始めるようになって、ライブは緊張するけど、「Live at anywhere」のほうが非常に過酷な環境だったと思ったのを覚えています。
ディレクター:なるほど。レコーディングとかと変わらない気持ちなのかなと思ったりしますけど、そうじゃないんですね。
Aimer:そうですね。レコーディングとはまた違いますね。「Live at anywhere」は、プラネタリウムとか、水族館とか、酒蔵とか、とにかく変わった場所を選んでやっていたので。普段ライブする場所ではないということは、ライブ向きに造ってない建物ですから、一回一回コツをつかむのも大変でした。レコーディングは何回もやり直しができるけど、ライブはそれができないので、常に緊張しています。でも、それがいかにハードルが高いかということを、そのときの自分はそんなに分かっていなかったんです。後になって、すごいことをやっていたのだと分かりました。
ディレクター:それでいうと、「Live at anywhere」を重ねていたときから、人前で歌いたい!という思いはそもそもありましたか?
Aimer:まず「Live at anywhere」が自分のライブとして当たり前になってきていて、お客さんと一緒に作るライブっていうのを体感したことがなかったので、人前で歌いたいという思いはまだ強くはありませんでした。特にファーストアルバム、セカンドアルバムとか、”夜の中"というテーマで歌っていたときは、1人で完結する音楽ばかり作っていました。そこに誰かが介入するというよりは、お客さんがいてもまるで音楽鑑賞していただくようなライブをやっていたので、あまりそういう欲はありませんでした。
ディレクター:それは、もともと歌う人になりたいという思いはあったけど、Aimerさんの中には、そこに”ライブ”はなかった。という感じですか?
Aimer:もちろん誰かのライブを見てとても感動したりとか、心を動かされたりっていうことはありましたけど、ライブアーティストは自分から動いてエネルギーを発して誰かを引っ張っていく。自分にはそれができるのかな。と当初は思っていました。
ディレクター:シングルなどのCD購入者特典では、有観客のライブをやることになって、プラネタリウムや大阪の天満教会というところでやったときもありました。お客さんが入ったライブは、それまでやっていた「Live at anywhere」とは、また全然違う感覚がありましたか?
Aimer:目の前でどのぐらいの方が見てくださっているというのが見て分かるのでそこは違っていましたが、全然違うものではなかったです。その時は、ライブをしても自分の中で完結していて、当時はまだ“ライブをお客さんと一緒に作る”っていう感じはまだなかったです。
ディレクター:そしてデビューして1年目の2012年に、FM802が大阪ミナミ一帯のライブハウスで毎年秋に行っているサーキットイベント「MINAMI WHEEL」ではMusic Club JANUSに出てもらったのですが、入場規制がかかっていました。
Aimer:懐かしいです。
ディレクター:これがイベントの初出演だったということですが、当時のことを覚えていたりしますか?
Aimer:覚えています。楽屋の光景も覚えています。声出しして準備して、ステージに出ていって、あふれるぐらいお客さんがいて、とにかくずっと後ろまで人が立っていて。でも、やはりイベントでも自分のスタイルを貫こうっていうのが最初はありました。あえてイベント用に作るというよりは、このスタイルでどこまでいけるかっていうのをやっていましたね。緊張感もすごいし、お客さんも静かにしないといけない、みたいな空気でした。そのぐらい結構シリアスな、シビアなライブになったことを覚えています。
ディレクター:そしていよいよ2014年にファーストライブという形で「Midnight Sun」の公演が、大阪と東京の2カ所で開催されます。大阪の会場が心斎橋BIGCATで、これが実質的なご自身の初ワンマンライブツアーという形になります。それまではずっと野間康介さんのピアノとAimerさんの二人編成というのが多かった中で、初めてここで、ドラム、ベース、キーボード、2人のギタリストも入れてのライブとなりました。このライブではもうお客さんのことを意識できていましたか?
Aimer:この時に初めて意識することができたと思います。みんながアンコールをしてくれて、こうやって自分の音楽を必要としてくれている人がいるというのを初めて体感しました。
ディレクター:この「Midnight Sun」のライブが、ファンの方と一緒に作るライブというものを認識できた初めての機会という感じですか。
Aimer:原点だったかもしれません。
ディレクター:やはり一番覚えているのは、そういうところですか?
Aimer:はい。もう涙が止まらなくなってきて。こんなに心が動かされるものだっていうのを知りませんでした。そのライブをやって初めて思いましたね。アンコールで自分を呼んでくれる人たちの拍手が聞こえてきて、本当に温かい時間でした。みんながずっとこのときを待っていて、みんなが見守ってくれて、この瞬間固唾をのんで見届けてくれている感じがとても客席から伝わってきて。それが本当に優しくて、感動しました。
ディレクター:そこからライブに向けての意識も、変わっていきましたか?
Aimer:そうですね。