伝説のライブ映画化記念 浜田省吾『A PLACE IN THE SUN at 渚園』スペシャルプログラム

©2023 Road & Sky

ライブを中心として48年にも渡る音楽活動を続け、あまたの著名人がファンを公言し、数々のアーティストに今なお影響を与える 稀代のシンガーソングライター浜田省吾さん。その浜田さんが 今から35年前の1988年に5万5千人を動員して開催した伝説の野外ライブ『A PLACE IN THE SUN at 渚園』が映画化~上映されることを記念して、浜田さんの歌を聞いて育ったというDJ龍太がナビゲートする特別プログラム。番組では全国に先駆けて渚園の貴重なライブ音源をON AIR!。更に、長年 浜田省吾さんと歩んできた当映画の総合プロデューサー 岩熊信彦さんの渚園のステージの舞台裏や制作秘話などを語った貴重なメッセージもお届けします。浜田省吾さんファンのみならず、音楽業界の方にも是非お聴き頂きたいプログラムです。

 

浜田省吾(Shogo Hamada)

1952年 広島県竹原市 生まれ。1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年 アルバム「生まれたところを遠く離れて」、シングル「路地裏の少年」でソロデビュー。デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1983年には福岡・海の中道海浜公園にて初のワンマン野外コンサート "A PLACE IN THE SUN"を開催し25000人を、1988年静岡浜名湖畔「渚園」での "A PLACE IN THE SUN" では当時驚異的ともいえる55000人を動員した。1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行。2023年9月からは全国全20公演のアリーナツアー「ON THE ROAD 2023 Welcome back to The Rock Show youth in the "JUKEBOX"」を行うなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。

 

『A PLACE IN THE SUN at 渚園』

1988年8月20日、静岡県浜名湖畔「渚園(なぎさえん)」で行われた野外コンサート「A PLACE IN THE SUN」は浜田省吾さんにとって三度目となる野外イベント。動員数は約5万5千人。当時のソロアーティストの単独イベントとして最大動員数を記録。日本のコンサート史上屈指の野外イベントでした。これほどの規模のコンサートにも関わらず、この模様は映像パッケージ化・販売されることもなく、「渚園」の様子は89年に出た初の映像集「ON THE ROAD “FILMS”」にしか残されていませんでした。会場にいた人以外にその全体像を知る術がないというまさしく「伝説」のライブ。この模様を4Kデジタルリマスターと5.1chサラウンドミックスで高臨場感を再現した110分のライブ映像が『Shogo Hamada A PLACE IN THE SUN at 渚園 Summer of 1988』。2023年5月5日から全国の映画館で期間限定公開されます。

映画ポスター ©2023 Road & Sky
AIR-G’ SPECIAL PROGRAM 浜田省吾『A PLACE IN THE SUN at 渚園』
放送局:AIR-G'(FM北海道)
放送日時:2023年3月12日 日曜日 19時00分~20時00分
出演者:DJ龍太、ロードアンドスカイ 岩熊信彦
番組ホームページ

※該当回の聴取期間は終了しました。

菅井友香、振付家TAKAHIROと当時の思い出を語る!

サントリー生ビールpresents『菅井友香の#今日も推しとがんばりき』のゲストにダンサー・振付家のTAKAHIROが登場し、菅井と出会った時の印象からグループ最後の楽曲「その日まで」についてまで菅井との思い出を語った。

-TAKAHIRO「菅井さんは不器用なんです」-

菅井とTAKAHIROの出会いは2016年。欅坂46のデビュー曲「サイレントマジョリティー」の振り付けの時だったという。TAKAHIROは当時の菅井について、「菅井さんはいっぱい練習する子でした。いっぱい練習しましたね。『不協和音』の立ち方だけでとか、手の引っ張り方だけで、一時間ぐらいずっとやっていた」と当時のことを振り返った。

また、リスナーからの質問で菅井のグループ時代の最後の楽曲「その日まで」の振り付けにどんな意味を込めたのかについて問われたTAKAHIROは、「あの楽曲は全部が逆再生されるように作ってあったんですが、でも、過去のことだけではなく今の菅井さんが表現できることを大切に、前に進んでいけるように。菅井さんはいっぱい背負ってきましたので。だからそのリュックを一回置いて、ただただ走って風を感じられるように。そういう思いを込めて、振り付けをさせていただきました」と語った。

そんな「その日まで」はミュージックビデオの撮影中に釣りをしている人を待つために一時撮影が中断されることもあったという裏話も語ってくれた。

さらに、リスナーから菅井のパフォーマンスに関する裏話を聞かれたTAKAHIROは、「菅井さんは不器用なんです」と断言。しかし、その不器用さ故の長所があると語った。「不器用だけど、努力するという力を持っていた。感覚でみんながやれるところを努力で全部補おうとする。だから本当にその瞬間を任せたときに、ある程度までは要領のいい人が勝つんだけれども、そこから先の努力でもっと深めることができるから、ステージに立った時に誰よりも輝く瞬間がある」

菅井は、その様にやり遂げられたのはTAKAHIROの存在が大きかったと語り、「少年のような大人でずっと誰より近くにいてくださった」と当時TAKAHIROに感じていたことについて振り返った。

その他、「キミガイナイ」の振り付けについての話やTAKAHIROが櫻坂46の振り付けを考えるうえで一番大切にしていることなど、様々な話が語られた。そちらについては是非タイムフリーで

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