岡林信康とともに紐解く、コロナ禍で生まれた23年ぶりアルバム『J-POP LEGEND FORUM』

日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく FM COCOLO 『J-POP LEGEND FORUM』。2021年3月の特集はついに「岡林信康」が登場!

日本におけるフォーク/ロックのシンボルとして最初のカリスマ的な存在となった岡林信康に、3月3日にリリースされた23年ぶりのオリジナル・アルバム「復活の朝」に関することはもちろん、1968年のレコード・デビューから今日に至るまでの軌跡を全5回にわたってじっくりと語っていただきます。

Part-1の今回は、New Album「復活の朝」の全曲紹介。制作に至ったいきさつ、作品に込められたメッセージ、そして、岡林さんが感じる現代社会など、飾ることのない本音が語られます。

■M1.復活の朝

田家:これは作ろうと思って作られたアルバムなんですか? それとも何かに打たれたように曲ができ始めたものなんですか?

岡林:そもそもの直接的なきっかけは、去年の4月か5月頃のある新聞で、コロナ禍で車の交通量も減って工場も止まったので北京に久しぶりに青空が戻ってきたという記事を読んだのよ。その時に、もはや人間は自然にとっていない方がいい存在になったのかな? 人間がいない地球はどうなんるんだろう? と想像しているうちに、これはひょっとしたら歌になるかなと思ったら、ポロッと「復活の朝」が出来て。それがきっかけやったね。

■M2.蟬しぐれ今は消え

田家:"君の心に宿り生き続けたい"というのが、この年齢を迎えられた岡林さんの音楽に対する想い方の変化でもあるのかなと思ったりしたんですよ。

岡林:僕は「千の風になって」という歌が嫌いでね。お墓の中に私がいないというのは分かるんだけど、千の風になってどうだこうだっていうんじゃなくて、良き思い出になって誰かの心の中で生き続けられることができたら、それは嬉しいなというか。それの方が正解じゃないかと思って。だから、この曲ができた時に「やっとあの歌をやっつけてやったぞ」って思って(笑)。

岡林:コロナ禍ということを抜きにして、このアルバムはできなかったね。俺はあんまり意識していなかったんだけど、今全部揃ってから聞き返してみると、コロナなくして生まれてこなかったやろうなって思う。

■M3.コロナで会えなくなってから
■M4.恋と愛のセレナーデ

岡林:最近はオールディーズの通販で買ったCDを聴いてるわ(笑)。ザ・プラターズの「Only You」とかレイ・チャールズの「愛さずにいられない」とかああいうの一回やりたいと思ってて、それでこういう「恋と愛のセレナーデ」を遊び心で作って。この歌はコロナに関係ないようだけど、コロナ離婚というのが多くなったのを聞いて。あんなに燃えて一緒になったのに、お互い向き合った途端に別れるっていうのも面白いなというか。恋と愛っていうのはどうなんだろうな? ということで生まれてきた歌で。

■M5.お坊ちゃまブルース

田家:やっぱり岡林さんだなと思うのが、この「アドルフ」と「BAD JOKE」でありまして。「アドルフ」すごくいいですね。こういうことを歌える人はあまりいないし。

岡林:危ないと思うんやけど、強い指導者が出てきて一挙にコロナ問題を解決してくれないかなという風潮が無きにしも非ずで。こういうのって怖いと思うんだよね。中国なんかのやり方を見ていると、俺はあの国は一党独裁の軍事政権だと思うから、ああいう強権的なことを本当に望んでいるのかなという気がしてね。それをどこかで待ち望むような風潮って怖いなという想いから、こういう歌が一つ書けてしまったんやね。

岡林:「BAD JOKE」はあまりにもストレートに自分の言いたいことをぶちまけてるから、とにかくサウンドで飛ばしてほしいと思って。バンド編成風で思いっきりロックにしてくれと言ったら、結構サウンド面白いよな。

■M6.アドルフ
■M7.BAD JOKE

田家:普段、自然の中で畑と向き合ったり、森を歩いている中で、都会の人には分からない自然の変化を感じていらっしゃるんでしょう?

岡林:コロナが終わると薔薇色の日々が戻ってくるっていう幻想の方が怖いな。台風どうなったとか、南海トラフ大地震って大騒ぎしてたんじゃないなのかとか。こういう気象異常を招いたのも人間の文明だと思うし、そこをちゃんとしないとコロナが去っても薔薇色にならないよと思ってね。コロナでそこを忘れてしまっている感じもするね。

田家:そういう歌を「BAD JOKE」とタイトル付けられていますが。

岡林:というのはね、ツッコまれたら冗談ですよって逃げようと思ってね(笑)。

田家:暮らし方から感じる、色々な環境の変化がこういう歌になっているんだと思っていただけると、曲が違って聞こえるんではないかと思います。そういう意味では、岡林さんは変わってないなあ、というのがこのアルバムの一番率直な印象ですね。変わってないというよりも、元に戻ったんではないか? フォークの神様と言われていた頃、ロックは重たい言葉を運ぶ。はっぴいえんどがそれを手助けしていたわけで、はっぴいえんどとやっている『金色のライオン』の頃の岡林さんを思い浮かべならきておりました。

■M8.冬色の調べ 

岡林:友の訃報と俺が名付け親になった女の子が今度母親になって子供できる。最初はその話だけで歌にしようと思ったんだけど、どうしてもできなくて。その話をした3、4日後にその陶芸家の友達の訃報が。まさに生と死のドラマで人は生まれ去りゆくというフレーズが生まれて、それでこの歌ができたんです。

■M9.友よ、この旅を

田家:アルバムの最後に「友よ、この旅を」という曲があります。短い曲ですが、一番しみじみ思っていらっしゃるんだなと感じる曲で終わっていますね。

岡林:あの歌も不思議な歌でね。左翼なり反体制運動の行進曲になったり……。

田家:この話は来週にしましょうか。来週もよろしくお願いします。


田家:岡林さんは、フォークの神様というレッテルとイメージに縛られた時期がありました。はっぴいえんどは岡林さんのバックバンドでデビューしたりしているわけで、そういう1970年代の音楽の変化にはとっても大きな影響がありました。シンガーソングライターとして最初のカリスマになり、そのことで苦しんだ人でもあります。岡林さんがどんな音楽を作ってきたのか? 5週間に渡って辿っていきます。本人があまり表舞台に出ようとしなかったので語られたりしなかったことが多いですが、来週は先ほどの「友よ、この旅を」からURC、CBSソニー時代の話について伺います。

お楽しみに!

■岡林信康オフィシャルサイト

J-POP LEGEND FORUM 「岡林信康」特集
放送局:FM COCOLO
放送日時:毎週月曜 21時00分~22時00分
出演者:DJ:田家秀樹、ゲスト:岡林信康
番組ホームページ

※該当回の聴取期間は終了しました。

今まで乗って来た車は50台以上! 内藤剛志、オドロキの車遍歴

4月25日(木)、「くにまる食堂」(文化放送)の最初のコーナー「ニュース一番出汁」では、俳優の内藤剛志さんが、これまでの人生で乗って来た数々の車について語った。

野村邦丸アナ「今朝ピックアップするニュースはこちら。
『苦境テスラ、低価格に活路。生産前倒し、中国車に対抗』
日本経済新聞によると電気自動車市場をけん引してきたアメリカのテスラが成長戦略の見直しを迫られている。2024年1~3月期は低価格の中国EVにおされ、4年ぶりの減収減益。イーロン・マスク最高経営責任者は、撤退観測もでていた次世代の低価格EVについて、逆に投入を前倒しすることを表明した。ただ当初の仕様とは大きく異なる可能性もでており、挽回の道筋はまだ見えていないということです」

内藤剛志「テスラって、やっぱり未来の車っていうイメージでスタートして、そっちへ変わっていくことが新しいこと、オシャレなことであるようなことだったんだけど、低迷している原因は、価格が高すぎるってことですか?」

邦丸「まったくその通りですね。テスラは販売価格そのものが高い。当初はそれでも価格を抑えて、バーッと広まってったわけですね。アメリカの自動車を運転される方でも収入差はありますから、今ではどうしても、ある程度の収入が無いとテスラは買えない。そこにこの中国のBYD(比亜迪)、ここはですね、日本円で200万から300万円以内で買えるってことで、アメリカのドライバーさんて、どこの国の車ってまったく関係ないそうです」

内藤「僕で言えば、オール電化だとなかなか日本では乗りにくいのかなって気が、ちょっとします」

邦丸「充電という問題がありますもんね」

内藤「そうそうそう。実はですね、僕、めっちゃ車が好きで。18で免許取ってから約50年ぐらい? 今年69になりますから、そんなもんですね。BS日テレの『おぎやはぎの車遍歴』という番組に出た時に、全部思い出していくわけですよ。ずーっと思い出してたら、気が付いたら50何台で。そんなに乗ってたんです、僕」

邦丸「その内藤さんが乗って来られた車、一部抜粋しますと、いすゞ自動車……今一般的な自動車の販売はしていませんが、いすゞジェミニ、いすゞ117クーペ、トヨタランドクルーザー、三菱ジープ、ホンダCR-X、ユーノスロードスター、ジープラングラー、GMCユーコン、アルファロメオ、ポルシェ、メルセデス・ベンツ……色々乗ってらっしゃいますが」

内藤「まず、申し上げたいことがあるんですけど、別にお金があるからじゃないんですよ? 父、母……母はですね、昭和30年代から乗ってるんです。それから家内、子どもも乗ってる。で、一時期二世帯住宅に住んでましたんで、全員が免許を持っているから車の台数が増えたというのもある。基本的には俺が代表で買ってたっていうのもありますが、全部に乗ってたわけじゃないんです」

邦丸「あ、これは内藤家の車ということで!」

内藤「後半になると僕、なぜだか外車が多いじゃんって感じですが、CMの関係があってですね、あんまり日本車が好きだって言ってるとCMが来なくなるんですよ」

邦丸「これは役者としては、悩ましいところですね?」

内藤「そうなんですよ。日産のルネッサっていう車のCMをやらせていただいたんですけど、その時痛感したんです。やっぱり、他の日本車で撮影現場に行っちゃいけないんですよ、日産の車に乗ってますから。なので、前の事務所の方が、なるべくなら日本の車じゃないものに乗れと」

邦丸「そういうこともあるんですか!」

内藤「まだ僕、狙ってるんですよ、CMを(笑)」

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