「どういう類のドッキリや!」学生芸人番組のMCに抜擢、さらば青春の光・東ブクロインタビュー
●ラジオがきっかけで、芸人に憧れた
――東ブクロさんは、『ナインティナインのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)が好きで芸人を目指したそうですね。どんなところに魅力を感じていたんでしょうか?
【東ブクロ】僕、ナイナイさん(「ナインティナイン」)と地元が一緒(大阪府茨木市)なんで、話していることが手に取るように分かるんですよ。そのときに、「テレビでこんなこと話せへんのに、ラジオならこういうのを聴けるんや」と思って。それでハマった感じですね。「テレビではあんな感じやけど、ラジオではこんな関係性なんや」みたいなね。あと、(ラジオは)なんかやりながら聴けるのも良いですよね。僕は受験勉強しながら聴いていました。そういうのは、今も変わらないおもしろさじゃないですか。
――この番組が始まると、ラジオのレギュラーが5つになりますよね。なかでも、「深夜×お笑い」のテーマで、一人の冠番組を持つのはこれが初めてだと思います。どんな番組にしたいですか?
【東ブクロ】「学生芸人っていうおもしろい子らがいるよ」というのが伝わる番組にしたいですね。皆さん、その実態をあんまり知らないでしょうから。(番組がきっかけで)「1回ライブに行ってみよう」とか(彼らに)還元できたらなと思いますね。普段、プロを観に行ってるお客さんも、学生芸人ならではのおもしろさが分かると思うんですよ。過激なことを言ったり、プロではせぇへん技を使ってくる芸人がいるので。あと、「この人はプロにならず、ちゃんと就職していくんやろな」とかも、ネタ中に垣間見えたりするんです。「こいつは弁護士になりたいからこういうネタしてんのか」みたいなのもいたりするので。そういう“学生芸人ならではのもの”を番組で伝えられたらなと思いますね。
――確かに、先ほどの収録も大学生ならではの葛藤が見えたりして、生々しさがありました。
【東ブクロ】そうですね、「学生芸人ってこういうことなんや」と思ってもらえる回になると思います。
――東ブクロさん自身は、大学卒業後に就職するかプロになるか迷わなかったんですか?
【東ブクロ】僕は、就活したくないというのもあって、(大学)3年になった瞬間に松竹芸能の養成所に入ったんです。カズレーザーと解散後に組んでいた子はプロ志望ではなかったんですが、「松竹やったら行くよ」と言われて。吉本は、当時養成所代が40万円やったんですが、松竹は半額の20万円。「それなら払えるから、一緒に行ってええで」と。
――大学に入る時点で、プロになることは決めていたんですか?
【東ブクロ】そうですね、中学の卒業文集に、夢は「吉本の漫才師」と書いてました。蓋を開けたら「松竹でコント師」をやっていましたが(笑)。全く逆のことをしてるなぁ……。ナイナイさんのラジオを聴きながら、中学くらいから(芸人に)憧れていましたね。
――プロを目指す方は、学生芸人をやらず養成所に入る選択肢もありますよね。なぜ大学で、喜劇研究会に入ったんでしょうか。
【東ブクロ】親に「大学は絶対行け」と言われていたんです。明らかに学力が足りていないから一浪するつもりやったんですが、奇跡的に同志社大学に受かりました。そしたら、「お笑いサークルあるやん、もうこれしかない」と思って。養成所に入るのを親に言い出せへんかったから、とりあえず大学のお笑いサークル入るかみたいな感覚でした。それで、1~2年やってみたら、なんとなく「いけるなぁ」と思って、松竹に入りました。
――東ブクロさんが学生芸人をしていたころは、どんな活動をしていたんですか?
【東ブクロ】閉塞的な感じはありましたねぇ。たまに他大学と交流はありましたが、月イチの(学内)ライブを成功させるために活動する感じでした。あとはもう、ひたすら飲み会(笑)。大学のサークルですから、学内で済ませようという感覚でしたね。よそで大会があるというのを聞いても、みんなエントリーもしなかったし。僕の場合は、カズレーザーに「こんなんあるからエントリーしとくわ」と言われて、何個か(大会に)出ましたが。ほかの部員は、そんなこと一切しなかったですから。そもそも「絶対プロなんねん」と言うてるやつはあんまりいなかったです。やっぱり、みんな将来を見据えてやっていた感覚がありましたね。