UVERworld・TAKUYA∞「こんな曲を作りたい」 インディー時代を支えた曲とは?

J-WAVEで放送中の番組『SAPPORO BEER OTOAJITO』(ナビゲーター:クリス・ペプラー)。2月9日(土)のオンエアでは、UVERworldのTAKUYA∞さんがゲストに登場し、影響を受けた音楽などを語りました。


■僕たちは「一丸となっている」という言葉が合う

大阪府で生まれ、滋賀県で育ったTAKUYA∞さん。スケボー、スノボー、サーフィンなどに夢中になる傍ら、中学生で楽器をはじめ、19歳のときに今のUVERworldの形に落ち着きました。バンドメンバーには、実家同士が近かったり、幼稚園からの友人がいるなど、TAKUYA∞さんにとって、かけがえのない存在です。

TAKUYA∞:東京に出てきて15年、色々な友だちもできて、支え合える親友もいます。「メンバーはどんな存在?」と訊かれたときに、それよりももっと深い家族のような関係なので……ケンカもないし、何を怒っているのかも全部わかるので、阿吽の呼吸はあるのかもしれませんね。

そんなTAKUYA∞さんが最初に買ったアルバムは、JELLY→の作品。楽器を始めた当初はBOØWYやBUCK-TICKをコピーしていたそうです。

TAKUYA∞:BUCK-TICKの『JUPITER』を最初にコピーして。本当に24時間、寝ているとき以外は弾いていた記憶があります。それも苦じゃなくて、とにかく楽しかったですね。
クリス:今は、ギター以外も弾きますよね?
TAKUYA∞:ドラムもピアノもベースも。
クリス:全部弾いちゃうのはすごいですよね。
TAKUYA∞:だいたい僕の知っている長くやっているボーカリストは、ドラムとか叩ける人が多いですよ。みんな好きなんでしょうね。

さまざまな楽器を弾くことができるTAKUYA∞さんですが、自分一人で作品を作ることは考えていないと話します。

TAKUYA∞:やっぱりドラムは、自分のバンドのドラムが好きだし。ギターも自分のバンドが好きだし。
クリス:将来的には?
TAKUYA∞:興味ないですね。自分は趣味でギターもドラムもやりますけど、あいつらに任せてます。ライブで何度かやったんですけど、そのときに心に刻みました。「ドラムはウチのバンドのドラムでやっていこう。人前で叩くことはない」と。

19歳のときにUVERworldの形が決まってから18年。「バンドの一体感は、他では見られないくらい、僕たちは『一丸となっている』という言葉が合うと思います。音楽に対しては非常に真っ直ぐにこれてる気がします」と、これまでを振り返りました。


■ インディー時代に支えられた曲はtick『志』

続いてTAKUYA∞さんが、自身が熱中したアーティストの作品を紹介しました。

・Hi-STANDARD『MAKING THE ROAD』
TAKUYA∞:バンドを結成した18、19歳のときに聴いてコピーしていました。テレビに出ずに、インディーズでやっているのがカッコよかった。音楽の力だけで人に伝えていくのが、「自分たちにも可能性がある」と感じさせてくれたんじゃないですかね。

・BUDDHA BRAND 『人間発電所』
TAKUYA∞:これも18歳くらいのときに聴いていました。ちょうど車を運転できるようになったころ、ドライブするときにずっと聴いていました。はじめてヒップホップを知ったのが、BUDDHA BRANDですね。みなさん色々な感じ方があると思いますけど、僕たち的には、今のUVERworldにもヒップホップのルーツというのが薄っすら入っていて、すごく影響を受けたんだと思います。

ドライブの話題から、名古屋や仙台でのツアーの際は、自ら運転して現地に向かうと教えてくれたTAKUYA∞さん。ツアーのセットリストを歌いながら運転するそうで、「次の日のライブの精度が上がります。正しい歌い方がひとつ僕の中にあって、それをイメージしながらずっと歌えるというのが一番気持ちよく歌えるんです」と、裏話も明かしました。

オンエアではさらに、TAKUYA∞さんの「人生を変えた1曲」として、UVERworldもカバーしているtickの『志』を紹介。

TAKUYA∞:金沢のバンドで、僕のなかですごい大きなバンドなんですけど、早い段階で解散してしまったんです。滋賀県にツアーに来たとき、地元の小さなライブハウスで300人くらい入るところにお客さんは10人くらいしかいなかったんですけど……それくらい、人気はこれからのバンドだったんです。すごくいいライブをしていて、この曲をやっていて感動して涙が出ちゃったんです。インディーズの頃は「こんな曲を作りたい」という想いを心の中で唱えながら、4、5年はやってました。支えられました。今でも聴きます。

2019年のUVERworldの活動について「フェスにたくさん出ようと思っています。年末には、まだ発表できないけどチャレンジをします」とTAKUYA∞さん。気になる大きな発表はそう遠くはないそうです。期待して待ちましょう!

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【番組情報】
番組名:『SAPPORO BEER OTOAJITO』
放送日時:毎週土曜 18時−18時54分
オフィシャルサイト:https://www.j-wave.co.jp/original/otoajito/

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サッカー元日本代表・中澤佑二、海外移籍をしなかった理由を明かす

J-WAVEがいま注目するさまざまなトピックをお届けする日曜夜の番組『J-WAVE SELECTION』(ナビゲーター:名波 浩、サッシャ)。2月10日(日)のオンエアは、Jリーグ開幕に先駆け、キャンプ明けのジュビロ磐田の監督・名波 浩と、1月に現役引退を発表した元サッカー日本代表・中澤佑二さんの初対談をお届けしました。お互いの印象から中澤さんの現役時代の裏話まで、さまざまな話で盛り上がりました。


■名波の言葉に助けられた思い出

まず、お互いの印象を訊くと、名波は「(中澤)佑二は真面目で、体やメンタルのコントロールが非常にうまい」と言います。

名波:探究心も非常に強くて、すごい人のいいところを真似たり、それを自分のものにして自分色に変えていったりするのがうまいなと思っていました。
中澤:名波さんからそんな言葉をいただけるなんて、ありがたいですね。

一方の中澤さんも、名波について「とにかくサッカーがすごく上手で、どんなボールも全て左足で処理していた」と絶賛。

中澤:後輩には普段優しくて、頼れて尊敬できる大先輩ですね。僕が日本代表に呼ばれたときに、名波さんが僕に「佑二、気を使わなくていいから。どんどん自分らしくやっていいよ」と言葉をかけてくれました。それでけっこう楽になった記憶があります。日本代表は、テレビに出ている人たちばっかりだったなか、ボサボサ頭で練習生あがりの何も知らない僕に対して、そういう声をかけてもらえたので、当時はすごくありがたかったですね。


■中澤が海外移籍をしなかった理由
 

『J-WAVE SELECTION OFF THE PITCH』

 


オンエアには、なんと元サッカー日本代表でアスルクラロ沼津の「ゴン中山」こと中山雅史さんがサプライズ登場! 突然すぎて中澤さんは驚きを隠せない様子です。中山さんの高いテンションに圧倒されつつ、リスナーからのこんなメッセージに答えました。

「中澤さんのこれからの展望を教えてください。個人的には中澤さんが長く在籍した横浜F・マリノスに何らからのかたちで関わってほしいと願っています」

中澤:そうですね。17年間もお世話になった横浜F・マリノスに、何らかのかたちで将来は関わっていきたいという思いがあります。また、日本のサッカー界でディフェンダーの育成やアドバイスをできればとも思います。
名波:佑二は海外移籍しそうだったセンターバックの第一人者だからね。俺、佑二に海外移籍してほしかったんだよね。
中澤:2004年か2005年くらいですよね。
名波:そう、あのときに海外に行ってくれてたら、「日本のディフェンダーはこうだ!」って世界に示せたから。
中澤:確かにそうなんですけど……。

中澤さんは「言っていいかわからないけど」と言いつつ、海外移籍をしなかった理由を話しました。

中澤:当時は2006年にドイツでワールドカップがあるということで、その直前に海外移籍することがどれだけプラスになるのかがわからなくて。
名波:ちょっとリスキーな部分があるからね。
中澤:あとは、そのころ海外で活躍していた稲本潤一とか中村俊輔とかから、「海外と日本の移動がすごく大変。その環境のなかコンディションを整えるのはすごく大変だから、海外移籍するのであれば、そういったところも含めて考えたほうがいい」と言われて、最終的にドイツワールドカップで自分がどういうプレーをして、どういうパフォーマンスをしたいかを考えたときに、自分は日本に残るべきかなと考えてしまいました。

中澤さんの話を受けて、「でも、ドイツワールドカップのあとに海外移籍しようと思えばできたんじゃない?」と中山さんは問いかけます。

中澤:そうなんですけど、その大会であまりいいプレーができなかったから。
名波:なるほど。ドイツワールドカップでいいプレーができていたら、海外移籍の可能性はあったかもしれないね。
中澤:そうですね。でも、海外に行っておけばよかったですかね。
中山:だって、今は冨安健洋選手とか、ディフェンダーが海外で認められているけど、佑二が先に海外移籍していたら、日本のディフェンダーが海外に受け入れられる環境がもっと早く整っていたと考えると、佑二は海外に行ってほしかったね。


■忘れられない試合は…

続いて、リスナーからの「中澤さんがプロ生活で一番忘れられない試合を教えてください」というメッセージにも答えました。

中澤:2010年の南アフリカワールドカップの初戦、日本対カメルーンで勝った試合はうれしかったし、勝ったあとに(田中マルクス)闘莉王とかとみんなで喜び合ったことは、今でも覚えてます。
名波:試合の最後くらいに、相手からの危ないミドルシュートがあったよね。
中澤:ゴールポストに当たってヒヤッとしましたけど、そういうシーンがあったからこそ、余計にうれしかったですね。危ない部分もあったけど勝てた、しかも、スコアは1対0だったので。
名波:当時のメディアはカメルーン戦までは「日本代表はダメだ」って流れだったじゃない。
中澤:常にまわりがネガティブななか、そのおかげでチームが一体感を持って進めたので、逆によかったですよね。まわりが言えば言うほど、選手はまとまろうという雰囲気だったので。
名波:その大会の日本代表の試合は全部観たけど、代表チームが短期間で成長する典型的ないい例だったよね。控えの選手やバックアップのメンバーもいい雰囲気を作ってくれたからね。
中澤:(川口)能活さんとか楢さん(楢崎正剛)とか、俊(中村俊輔)なんかもそうですし、稲本なんかもすごく頑張ってくれたんですよね。


■名波「今シーズンは感謝のシーズン」

いよいよ2月22日(金)から今シーズンのJ1リーグが開幕。名波率いるジュビロ磐田は2月23日(土)にホームで松本山雅FCを迎えます。

名波:昨シーズンはファンに苦しい思いをさせてしまって、選手もスタッフも申し訳ない気持ちでいっぱいでした。今シーズンは「巻き返してやろう」と言うよりも、昨年苦しいときに我々を見放さずに、後方から支えてくれた人たちへの感謝のシーズンだと思っています。勝ち点40という最低ラインをいち早く到達させることは絶対で、そこからどれくらい上乗せできるか、さらに言えば派手に補強した強者のクラブに対して、我々がどう立ち向かうかというシーズンになると思います。

昨シーズンは苦汁をなめたジュビロ磐田。今シーズンは私たちにどのような活躍を見せてくれるのか、名波の采配にも注目です。


■中澤の“安室奈美恵好き”はいつから?

番組では安室奈美恵さんの大ファンと公言する中澤さんが、『Baby Don't Cry』を選曲

名波:いつから安室さんを好きなの?
中澤:中学3年くらいから好きですね。
名波:安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S時代から?
中澤:そうですね。小室(哲哉)さんがプロデュースしてしていたころも好きなんですけど、そこから自己プロデュースに入った時期からがめちゃくちゃ好きなんです。
名波:大人っぽいメロディーになったくらいからね。
中澤:はい。R&Bに流れていったくらいから、ぞっこんです。
名波:安室さんと年齢は同じくらい?
中澤:同い年で、同じ年に引退しました(笑)。

他にも、中村俊輔選手のコメント紹介や、中澤さんがプロデュースした香水「BOMBER PERFUME(ボンバー パフューム)」の話題など、大盛り上がりのオンエアとなりました。

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【番組情報】
番組名:『J-WAVE SELECTION OFF THE PITCH』
放送日時:2月10日(日)22時−23時
オフィシャルサイト: https://www.j-wave.co.jp/original/jwaveplus/

 

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