井手上 漠、高校生で取り組んだ「制服の改革」 教師に伝えた言葉は

モデル・タレントの井手上 漠が「ジェンダー」をテーマにSHELLYと語り合った。

井手上が登場したのは毎週週替わりでJ-WAVEが厳選した企画をお届けする特別な時間『J-WAVE SELECTION ITOCHU DEAR LIFE, DEAR FUTURE』。オンエアは4月24日(日)。毎月第四日曜日のナビゲーターはSHELLYが務め、井手上とのトークを繰り広げた。

同番組は、SDGsに関する活動を後押しする情報発信・体験の場である、青山のITOCHU SDGs STUDIOから発信。オンエアだけでなく、デジタル音声コンテンツとして提供・配信するサービス「SPINEAR」でも配信。SpotifyやApple Podcastsでも楽しめる。エピソードは月曜日に、3回にわけて更新。



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「漠は漠のままでいい」母の言葉で強くなれた

現在19歳の井手上は「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」出場をきっかけに注目され、現在はモデル・タレントとして活躍。SNSやメディアを通じて、自分らしくいることの大切さを発信し続け、若い世代を中心に多くの支持を集めている。

小学校高学年の頃から自分の性別について意識し始めたという井手上の転機は、中学校2年生のときに訪れたそう。それまでは学校の出来事を母親に相談してこなかった井手上だが、ある日帰宅したときに母親に呼ばれ、話をすることになったという。

井手上:(母と)ちょっと真剣な空気になって、まず最初に恋愛対象を聞かれたんです。私はそれもわからなかったんです。私もすごく調べたし、自分の正解を知りたくて調べているのに正解がないからそれがすごく怖かった。周りの子は男の子だけど普通に女の子を好きになって、女の子だけど普通のように男の子を好きになる、みたいな空気感で私はどっちかわからない。定まりがない。その怖さにずっと怯えていたことを初めてすべて、いままで学校であったことも包み隠さず話したんです。お母さんはうなずくだけ、私に全部話させてうなずくだけで。最後に「そっか」と言って「漠は漠のままでいいんだよ」と言って「もうお風呂入ってきなさい」と、その日は終わったんです。
SHELLY:へー!

井手上:私のなかですごく大きかったです。その言葉ってたぶん、私を認めてくれただけじゃないですか。でも、認めてくれただけで私はよかった。救いの手を差し伸べてくれなくてよかったんです。そこで認めてくれるだけで私は強くなれました。

その後、国語の授業で「自分のことを述べる文章」を書く課題が出されたそう。そこで自分のことを母親以外に初めて打ち明けようと思った井手上は、自分が思ったことをすべて書いて提出。それを読んだ国語の教師は「これをまず学校内で発表してみないか」と提案したという。

井手上:私はもう、超反対でした。この状況で言ったらまたいじめられると思ったし。それを家に持ち帰ってお母さんに話したら、お母さんは「やってみたら? なにかが変わるかもしれない。いままで変化がなかったけど、ここでなにかが変わるかもしれない。可能性にかけてみたら?」って言ったんです。すべてを信じて、まず学校代表で発表しました。そうしたら先生方がメチャクチャ泣いてて。生徒のほうもすごく心を打たれた子が多かったみたいで、そこからすごく仲間が増えたんです。私は島根県の隠岐諸島という小さい島の出身なんですけど、まずそこの弁論大会で1位をとってから県大会、全国大会と進み、文部科学大臣賞、全国で2番をいただいたんです。

SHELLY:すごいねえ。

井手上:その経験っていまでもすごく大きい。いろいろなことを初めて、新しいことをやってみようとなっときも「やってみよう」となれるのは、やっぱりその経験があったから。それが勇気につながっている、自信につながっているというのもすごく感じます。でもそれってやっぱりお母さんがいなければ始まらなかったことだから、すごくお母さんには感謝しています。

高校時代は制服の改革に取り組んだ

井手上は今年の春より自身のプロデュースによるファッションブランド「BAAKU(バーク)」をスタート。ジェンダーバイナリーに疑問を問いかける、新しいファッションの可能性を提案している。そんな井手上は高校時代に、制服の改革にも力を注いだそう。

井手上:うちの学校は進学校で県外から来ている子が8割で成り立っている高校なんです。すごく多様性が溢れている学校のなかで、ジェンダーの悩みを持った人が多かったんです。私は高校のときはメチャクチャオープンだったので、自分に打ち明けてくれる子がすごく多くて。

ある日、生まれた性は女性で心は男性の生徒から「スカートを穿くのが嫌だ」と相談された井手上。その生徒は恋愛対象が女性なこともあり、スカートに抵抗があったそう。SDGsの目標のひとつに「ジェンダー平等」があることで「制服は変えられる」と思った井手上は、仲間たちとチームを組んだという。

井手上:まず先生と生徒に「制服の見直しをしたい、どう思いますか?」とアンケートをしたら「変えてもいいと思う」という生徒は8割だったんですけど、先生は答えてくれなかったんです。やっぱり悔しかった。「その程度なんだ」という、生徒の気持ちとしては「そういう感じなんだ」って。チームのみんなで職員室に行って先生に「なんでアンケート答えないんですか?」って言ったら、先生は「自分の時代にそういう人はいなかったからわからない」と答えたんです。

井手上はその後、仲間たちと話し合いをして「伝え方にこだわろう」という結論に至り、後日、男性の先生に「スカートを穿いて1日すごせるか?」と問いかけたそう。

井手上:そうしたら先生は「そんなことはできない」と。「なんでですか?」と言ったら「恥ずかしい」と言ったんです。「そう、その気持ちです」と言って。「その気持ちで毎日この子はすごしている。学校は勉強しに来るところと先生は言ってますよね? でも制服のせいで恥ずかしくてそれどころじゃない子もたくさんいるんです。それを1回考え直してくれませんか?」と言ったら、その先生が職員会議で話を出してくれて。すぐには変わらなかったんですけれど長い期間を経て、高校3年生のときにやっと変わりました。(制服の)「男性用・女性用」という表記が「タイプ1・タイプ2」になって「選択してください」という風になりました。

ジェンダー平等を実現するために

井手上は「2030年までにジェンダー平等を実現しよう」という目標を掲げたときに、制度よりも人が変わるほうが先なのではないかと意見を投げかけた。

井手上:私はいま芸能界に入ってジェンダーに対していろいろな発信をし続けていますけど、それも「SDGsにあるから」という活力は絶対にあるんです。「私が言っていることは間違ってない」ってどこかで思えるのは、世界が応援してくれているからだと思うんです。だから制度が変わることも確かに大切だけど、まずはみんなが認めあう。私は人が変われば制度なんてすぐコロッと変わることができると思うんです。

SHELLY:わかる。漠ちゃんの言ってること、わかるの。わかるんだけどねえ……何十年日本を見てきた私としては、制度変えなきゃダメ。国民にアンケートとかとると、同性婚に賛成している人のほうが多いわけよ。だって選択肢が増えるだけだから。「同性婚が認められたから、あなたも同性婚しなさいよ」と言ってるわけじゃないから、したい人がすればいい。もっと言うと夫婦別姓だって選択肢が増えるだけだから、賛成の人のほうが多いの。

SHELLYは日本には差別が確かに存在するとしながらも、海外のように同性カップルが手をつないで歩いていたとしても、暴力事件に発展するような国民性ではないとして、だからこそ制度を変えやすいのではないかと訴えた。

SHELLY:SDGsのなかに「ジェンダー平等」というのがあるからこそ頑張れる、というのと同じことだと思う。法律で同性婚が認められているんだということで「認められてる」と思う人がたくさん増える、生きやすくなるから。制度や法律、ルールを先に整えちゃって、1年2年は波紋を呼ぶかもしれないけど「もう認めました、終わり!」ってなっちゃえば「まあ、みんなそれぞれだよね」って日本の人は思う国民性だと思うんだよね。

井手上:……ごもっともですね(笑)。

SHELLY:(笑)。本当にどちらもただしいと思う。人の気持ちもすごく大事、だけど法整備もすごく大事。どっちも変わっていくというのが一番いいよね。

「グラミー賞のレッドカーペット」のような社会に

SDGsが掲げている17の目標は2030年までの達成を目指している。最後に井手上は2030年がどのような社会になってほしいか、展望を語った。

井手上:ジェンダーで言えば、選択肢のある世界になってほしい。ジェンダー以外でもそうなのかもしれないですね。選択肢がもっと幅広くなって、自分の「これだ」というものを見つけられるような、心にフィットするような、そんなものがたくさんある世の中になっていってほしいですかね。私この前グラミー賞の授賞式のレッドカーペットを歩くのを見て涙が出そうなくらい感動しちゃったんです。なんでしょうあのキラキラ感。ご覧になりましたか?

SHELLY:写真とかだけどね。

井手上:私も写真だったんですけど、感動しちゃって。体型とか性別の概念もないし「なにここ、混ざりたい!」って心から思って。こういうキラキラしたこういうところだよって。こういう場所に入りたいと思う、そういう世界だよと思って。そういう世界が2030年までに実現されていれば、私はもっとキラキラした世の中ができているかなと思うので。

SHELLY:2030年の日本はグラミー賞のレッドカーペットみたいになってほしい。多様性も全部いろいろな形、姿、いろいろなジェンダー、いろいろな人がいて、みんなで「最高だね」って認め合うような。メチャクチャいいですね。そんな世の中を実現するように頑張ろうね。

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オンエアをお届けした、青山のITOCHU SDGs STUDIO

SHELLYがナビゲートするプログラム『ITOCHU DEAR LIFE, DEAR FUTURE』の放送は毎月第4日曜日の22時から。
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菅井友香、振付家TAKAHIROと当時の思い出を語る!

サントリー生ビールpresents『菅井友香の#今日も推しとがんばりき』のゲストにダンサー・振付家のTAKAHIROが登場し、菅井と出会った時の印象からグループ最後の楽曲「その日まで」についてまで菅井との思い出を語った。

-TAKAHIRO「菅井さんは不器用なんです」-

菅井とTAKAHIROの出会いは2016年。欅坂46のデビュー曲「サイレントマジョリティー」の振り付けの時だったという。TAKAHIROは当時の菅井について、「菅井さんはいっぱい練習する子でした。いっぱい練習しましたね。『不協和音』の立ち方だけでとか、手の引っ張り方だけで、一時間ぐらいずっとやっていた」と当時のことを振り返った。

また、リスナーからの質問で菅井のグループ時代の最後の楽曲「その日まで」の振り付けにどんな意味を込めたのかについて問われたTAKAHIROは、「あの楽曲は全部が逆再生されるように作ってあったんですが、でも、過去のことだけではなく今の菅井さんが表現できることを大切に、前に進んでいけるように。菅井さんはいっぱい背負ってきましたので。だからそのリュックを一回置いて、ただただ走って風を感じられるように。そういう思いを込めて、振り付けをさせていただきました」と語った。

そんな「その日まで」はミュージックビデオの撮影中に釣りをしている人を待つために一時撮影が中断されることもあったという裏話も語ってくれた。

さらに、リスナーから菅井のパフォーマンスに関する裏話を聞かれたTAKAHIROは、「菅井さんは不器用なんです」と断言。しかし、その不器用さ故の長所があると語った。「不器用だけど、努力するという力を持っていた。感覚でみんながやれるところを努力で全部補おうとする。だから本当にその瞬間を任せたときに、ある程度までは要領のいい人が勝つんだけれども、そこから先の努力でもっと深めることができるから、ステージに立った時に誰よりも輝く瞬間がある」

菅井は、その様にやり遂げられたのはTAKAHIROの存在が大きかったと語り、「少年のような大人でずっと誰より近くにいてくださった」と当時TAKAHIROに感じていたことについて振り返った。

その他、「キミガイナイ」の振り付けについての話やTAKAHIROが櫻坂46の振り付けを考えるうえで一番大切にしていることなど、様々な話が語られた。そちらについては是非タイムフリーで

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