収入が会社員時代の“3倍”に…、仕事は自由に選べるけれど…「フリーランス」で働く人たちの声

明日への狼煙を上げるラジオの中の会社・TOKYO FMのラジオ番組「Skyrocket Company」。パーソナリティである本部長・マンボウやしろと秘書・浜崎美保が、リスナー社員のみなさんと様々な本音の意見を交わしながら生放送でお届けしています。今回の放送では、会議テーマ「フリーランス案件~みんな、どうしてる?~」と題し、全国のリスナー社員からメッセージを募りました。数多く寄せられたエピソードのなかから、その一部を紹介します。


※写真はイメージです



◆ほぼやりたい仕事だけできるように

私はデザイナーで、数年前に制作会社を辞めてフリーランスになりましたが……大満足です!! 会社員時代は資料作りや会議、メンバーとのスケジュール調整など実務以外の社内仕事が多く、デザイン作業の時間を圧迫していました。しかし、フリーランスとなった今は、ほとんどデザイン作業のみになり、会社員時代よりもたくさんの案件を受けられるようになりました。事務作業も多少ありますが、毎日ではないのでそこまでストレスに感じません。

もちろんハイリスクハイリターンではありますが、収入も会社員時代の3倍になって“フリーランスになって良かったなぁ”と思います(東京都 41歳 女性)

◆自由に仕事が選べるけれど…

フリーランスでライターの仕事などをしています! 今は自分1人で会社を設立し、一緒に仕事をする人たちもフリーランスのカメラマンさんなどが多いですが、皆さん信念を持って仕事をしており、リスペクトしあいながら仕事ができるので楽しいです。

しかし、自分でいろいろ考えて進めていくのが好きな人が多いため、主体的に進めてくれない大企業の担当者さんとはうまくいかないことも多いです(笑)。例えば、「こういう案件があるんですけど……」と言われたので、いろいろ企画を提案したらまだ全然案件が確定してなかったとか、いつのまにか予算が下がっていたなど……そんなことがあると、みんなで愚痴大会です(苦笑)。

フリーランスは自由に仕事が選べますが、その担当者との相性は合わないほうが多いです(東京都 33歳 女性)

◆独立して感じたことは…

僕は、前の会社で7年ほど働いた後に独立しました。独立なので仕事内容は変わっていないですし、今も勤めていた会社からお仕事をいただいております。

独立して1年少し経ったなかで一番感じることは、信頼関係をどう構築していくかが大切なのかなと。“信頼関係”というものは、すべての仕事の源泉だと思います。ここの重要性を勤めているときよりも強く感じます(神奈川県 30歳 男性)

◆ストレスが減りました

私は数年前に会社員からフリーランスになりました。収入面ではまだまだ大変ですが、自分に合った仕事環境にすることができたので、ストレスはだいぶ減り、会社員時代に毎晩出ていた蕁麻疹も出なくなりました。

私の場合は、たまたま会社員という働き方が合わずにフリーランスになりましたが、皆さんも自分に合った働き方を見つけてほしいなと思います(岡山県 37歳 女性)

<番組概要>
番組名:Skyrocket Company
放送日時:毎週月曜~木曜17:00~20:00
パーソナリティ:本部長・マンボウやしろ、秘書・浜崎美保
番組サイト:https://www.tfm.co.jp/sky/
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亡き親友との約束胸に「スタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい」

プロ野球をはじめ、先日のメジャーリーグ開幕戦、そしてサッカーのJリーグでもよく目立つのが、巨大なフラッグによる応援です。今回は、このスポーツ応援に欠かせないビッグフラッグを染め上げている男性のお話です。

影山洋さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

日本一小さな市・埼玉県蕨市に、一軒の工房があります。有限会社染太郎、スポーツの試合で現れる大きな旗を作る会社です。トップは、影山洋さん、昭和30年生まれの69歳です。

蕨出身の影山さんは、小さい頃は空き地で友達とサッカーボールを蹴ったり、お小遣いがたまると後楽園球場へ行って、王さん・長嶋さんの野球を見て育ちました。そして、百貨店で催事のお知らせをする巨大な垂れ幕を作る会社に勤めます。

仕事に脂がのってきた30代のある日、影山さんは小さい頃のサッカー仲間で、当時の読売クラブに在籍していた奥田卓良選手から、こんな話を聞きました。

「今度、日本でもサッカーのプロリーグが始まるんだ。絶対応援してくれよ!」

「だったら、ヨーロッパみたいに、おっきな応援フラッグを作って、応援するよ!」

影山さんがそう答えて迎えた1993年5月15日のJリーグ開幕の日。国立競技場の熱狂の渦のなかに、奥田さんの姿はありませんでした。奥田さんは不慮の交通事故で、Jリーグを見ることなくこの世を去っていたのです。

『奥田との約束を守るためにも、日本のスタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい!』

そう思った影山さんは、会社勤めを辞め、自ら応援フラッグを作る会社を興します。地元・埼玉の浦和レッズの熱いサポーターたちとつながると、話が盛り上がって、今までにない幅50メートルのビッグフラッグを作るプロジェクトが始まりました。

影山さんが手掛けたビッグフラッグの数々

参考になったのはもちろん、影山さんが長年培ってきたデパートの垂れ幕のノウハウ。パソコンもあまり普及していない時代、設計図を元に1枚1枚刷毛で塗る手作業でした。ただ、ビッグフラッグを作っても、出来栄えを確かめられる広いスペースもなければ、対応してもらえる競技場もありませんでした。

ようやく人前で披露できる環境が整ったのは、2001年のJリーグ・レッズ対マリノス戦。埼玉スタジアム2002のこけら落としの試合でした。影山さんたちがドキドキ見守る中、ピッチに大きく真っ赤なフラッグが広げられると、スタンドからは「オーッ!」と地鳴りのような歓声が沸き上がりました。

翌日から、影山さんの会社の電話は、様々なチームからの問い合わせで鳴りやまなくなりました。

「私たちもレッズみたいな、熱い応援をしたいんです!」

数ある問い合わせの中に、情熱のこもったメッセージを届けてくれた人がいました。それは、プロ野球・千葉ロッテマリーンズの応援団の方々でした。影山さんは、競技の違いを乗り越えて、新しい応援スタイルが広まっていくことに、喜びを感じながら、さらに大きい幅75メートルものビッグフラッグを作り上げました。

このフラッグが、千葉・幕張のスタジアムの応援席に広げられると、今度はプロ野球チームの関係者からの問い合わせが相次ぎました。こうしてサッカーではレッズ、野球はマリーンズから始まったビッグフラッグによる応援は、今や多くのスポーツに広まって、当たり前の存在になりました。

蕨市の盛り上げにも活躍する影山洋さん

そしてこの春、影山さんは、東京ドームで行われたメジャーリーグのカブス対ドジャースの開幕戦でも、大役を任されることになりました。それは、初めての国旗。試合開始前のセレモニーで使われる、幅30メートルの日の丸と星条旗の製作でした。

国のシンボル・国旗に汚れを付けたり、穴を開けたりすることは決して許されません。3月10日に納品した後も、影山さんは毎日毎日東京ドームに通って、抜かりのないように、細心の準備をしました。そして、メジャーリーグ機構の厳しいチェックもクリアして、開幕当日を迎えます。

ベーブ・ルースから大谷翔平まで、日米の野球・90年の歴史の映像が流れて、無事に大きな日の丸と星条旗が現れると、影山さんも胸が熱くなりました。

『あの王さん・長嶋さんが躍動した後楽園球場を継いだ東京ドームで行われる、かつてない野球の試合で、自分の本業で関わることが出来ているんだ!』

そして、このメジャーリーグ開幕戦の興奮も冷めやらぬなか、今度はサッカーの日本代表が、8大会連続のFIFAワールドカップ出場を決めました。実は影山さんには、まだまだ大きな夢があります。

「いつか、サッカー日本代表がワールドカップの決勝戦を迎えた日の朝、富士山の近くで、おっきな富士山をバックにおっきな日の丸を掲げて、選手にエールを送りたいんです!」

亡き親友への思いを胸に生まれた、日本におけるビッグフラッグによるスポーツ応援。その応援文化のパイオニア・影山さんの夢は、きっと叶う日が来ると信じて、さらに大きく膨らみ続けます。

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