俵万智 教師を続けながら社会現象に…『サラダ記念日』出版当時を回顧「生徒は見ているなって思いました」

フリーアナウンサーの唐橋ユミがパーソナリティをつとめるTOKYO FMのラジオ番組「NOEVIR Color of Life」(毎週土曜9:00~9:30)。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。各界を代表して活躍する女性ゲストが、自らの言葉でメッセージを伝えます。
今回のゲストは、歌人・俵万智さんです。ベストセラーとなった俵さんの第1歌集「サラダ記念日」出版後の反響などを語っていただきました。


俵万智さん



1962年生まれ、大阪府出身の俵さん。早稲田大学第一文学部在学中に短歌と出会い、1987年に出版した第1歌集「サラダ記念日」はベストセラーとなり、現代短歌ブームを巻き起こします。以後、歌集「チョコレート革命」「未来のサイズ」などのほか、評伝、エッセイなど、多くの著書を出版。2023年には「紫綬褒章」を受章します。2025年4月には、新著「生きる言葉」(新潮社)を刊行しました。

◆「サラダ記念日」のヒットは予想外だった

唐橋:歌人の俵万智さんです。大学を卒業後、高校の教員になられた俵さんですが、1987年、わずか24歳で第1歌集「サラダ記念日」を出版されました。すごいことですね!

俵:自分でも「何が起こっているんだろう?」というレベルの出来事でした。

唐橋:出版のきっかけを教えていただけますか?

俵:学生時代に短歌を作り始めて、角川(現・KADOKAWA)の「短歌」という雑誌に応募したことです。1985年に次席、2等賞をいただき、1986年に角川短歌賞を受賞しました。その作品を見た出版社の方から「歌集を出しませんか」と声をかけていただいたという経緯です。

唐橋:私は当時、短歌にあまり触れてこなかったのですが、「サラダ記念日」の盛り上がりから「短歌って面白い!」と感じた記憶があります。当時、世間の短歌人気はどうだったのでしょうか。

俵:私が短歌を作っていると言うと「風流なご趣味ですね」と受け止められる時代でした(笑)。実は「サラダ記念日」も、最初は料理本の棚に置かれたこともあったんですよ。でも今では若い人たちのあいだでブームになり、本屋さんにも短歌コーナーができるほどですよね。時代は大きく変わったなと思います。

唐橋:SNSでもすぐに発表できますしね。

俵:そうなんです。

唐橋:ちなみに初版は8,000部。歌集としては異例の部数でしたよね。

俵:当時の出版界ではかなり思い切った部数だったそうです。

唐橋:社会現象になるほどのヒットを予想していましたか?

俵:全然! ただ「短歌って本当に楽しいのに、あまり知られていない」という悔しさがありました。自分の歌集で「意外と面白い」と感じてもらえたのは、すごく幸せなことでした。

唐橋:当時は教師を続けながらでしたよね。

俵:「サラダ記念日」を出してから2年半ほど教員を続けました。先生方がとても協力的で、生徒も応援してくれました。

唐橋:「サラダ記念日」が出たあとは本当に多忙でしたよね?

俵:そうですね。サイン会などで忙しかったですが、平日は学校が“砦(とりで)”になって心の安定を保てました。

唐橋:先生をしながらということは、修学旅行の引率もされたり?

俵:そうですね。当時はテレビに出ていたので「サインしてください」と言われましたが、そのときは「勤務中なのでごめんなさい」と断っていました。それを見た生徒が「先生やるじゃん!」って言うんですよ(笑)。生徒は見ているなって思いましたし、身近に生徒がいることは自分自身を保つうえですごく大きかったなと思います。

俵さんの最新著書「生きる言葉」(新潮社)は現在好評発売中です。



10月のマンスリーゲストは、シンガーソングライター・EPOさんです。

<番組概要>
番組名:NOEVIR Color of Life
放送日時:毎週土曜 9:00~9:30
パーソナリティ:唐橋ユミ
番組Webサイト:https://www.tfm.co.jp/color/
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自動車修理工場の女性社長が「自動販売機のハンバーガー」を開発

トラックなどのドライバーさんのなかには、昭和の頃は、よく幹線道路沿いにあった自動販売機のハンバーガーで、お腹を満たした経験がある方もいらっしゃることでしょう。じつは最近、令和版の「自動販売機のハンバーガー」がじわりじわりと増えているんです。今回は、この自動販売機のハンバーガーを手掛けている自動車修理工場の方のお話です。

ハンバーガー自販機と小林さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

東京・新宿から中央道の高速バス、または新幹線と飯田線の特急「伊那路」を乗り継いで、およそ4時間の長野県飯田市に「ガレージいじりや」という自動車修理工場があります。敷地内には、トヨタ・パプリカ、マツダ・シャンテをはじめ、昭和の車がズラリ。しかも、工場の前にある懐かしい自動販売機コーナーが目を引きます。

お店の代表・小林由季さんは、埼玉県出身の41歳。小さい頃、ちょうどミニ四駆が大人気だったこともあって、クルマに興味を持ちました。19歳でオートマチック車限定の運転免許を取ると、街を颯爽と駆け抜けていった、白い「マツダ・RX7」に心躍ります。

『カッコいい!あのクルマに乗りたい!!』

そう思った小林さんは、知り合いの自動車関係者に相談すると、軽くあしらわれました。「RX7? アンタ、あのクルマ、マニュアルだし、ロータリーエンジンって知ってるの? 乗りたいなら、自分で自動車が整備出来ないと、まず無理だよ」

愛車のマツダ・シャンテと小林さん

マニュアルもロータリーエンジンも、全くチンプンカンプンだった小林さんですが、乗りたい思いが高まって、マニュアルで免許を取り直し、自動車整備士を目指します。男社会の自動車修理工場で、厳しい試練を乗り越えて、見事、整備士資格を取得。縁あって信州に移り住むと、趣味で借りたガレージで、ノーマルタイヤからスタッドレスタイヤへの履き替えを請け負ったことをきっかけに、2010年、自ら自動車修理工場を立ち上げました。

やがて、工場のスタッフが昭和43年製・スバル360の修復を成し遂げたことから、小林さんも古い車に興味を持ち、旧車が続々持ち込まれて、車雑誌にも注目されます。あれよあれよと、旧車好きならまず知らない人はいない工場に成長。小林さんは雑誌連載企画で、旧車でレトロな自動販売機巡りをすることになりました。

ところが、ここで小林さんは大変なことが起きていたことに気付くんです。

『大きな道路沿いにたくさんあったハンバーガーやうどん・そばの自動販売機コーナーがどんどん無くなっている……』

24時間営業のコンビニエンスストアが増えた一方で、自動販売機は経年劣化、オーナーさんの高齢化も進んで、自動販売機コーナーは次々と姿を消していたんです。そんな折、小林さんはお祖父さまを亡くしたことで、小さい頃、自動販売機のハンバーガーをなかなか買ってもらえなかった記憶がよみがえりました。

『あの思い出の、自動販売機のハンバーガーを残したい。ならば、ハンバーガーを作っている食品メーカーを助けよう!』

自動販売機コーナー

そうひらめいた小林さんは、さっそく自動販売機用のハンバーガーを仕入れます。自動車工場の前に冷蔵機能付きの自動販売機と電子レンジを設置して販売を始めると、ちょうどコロナ禍と重なったことで、テイクアウトのニーズをつかんで大繁盛。各地のレトロ自動販売機で売れたハンバーガーのおよそ4倍を1台で売り上げました。

小林さんはもうイケイケドンドン、自動販売機を増やして各地で大人気となりますが、あまりの売れ行きにハンバーガーメーカーのほうが悲鳴を上げてしまいます。安定した納品が出来ないので、もう勘弁してくれませんか、と言われてしまったのです。代わる製造業者も無く、困り果てた小林さん、思い切りました。

『ハンバーガーを作ってくれる会社が無いなら、自分の会社で作ってしまおう!』

もちろん、小林さんは自動車整備士ではありますが、食品の知識は全くゼロ。体当たりで、様々な食品製造に関する許可や食品衛生を、片っ端から学んでいきます。食品部門の「いじりやフードサービス」も立ち上げ、ハンバーガーを作ってみましたが、パンはパサつき、肉の脂は溶け出し、レタスなどの生野菜は安全性の面で使えません。しかも、自動車修理工場と食品工場の二刀流で、睡眠時間3時間の日々が続きました。

ふんわりバンズのチーズバーガー

それでも試行錯誤を繰り返し、味やソースにもこだわったチーズバーガーに辿り着いて、安定した製造、出荷も出来るようになりました。今は、全国で39台の自動販売機が元気に稼働中。自動車修理工場生まれの自動販売機とハンバーガーは、各地域で話題になっています。

「気合と根性でやってきました」と笑う小林さんですが、やりたいことはいっぱいです。

「レストランもやってみたいですし、クルマのテーマパークがあっても面白いですよね。ハンバーガー片手にみんなに巡ってもらって。夢は大きく持てば、きっと叶います!」

「RX7に乗りたい」から始まった小林さんの夢、今はまだ、その途中です。

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