清塚信也が明かすピアニスト・上野優子のギャップ「雅で“姫っぽい”のに、ピアノを弾くと…」
2026.10.16 up
TOKYO FMグループの「ミュージックバード」が制作し、全国のコミュニティFMで放送中のラジオ番組「上野優子のキーノート・サロン」。ピアニストの上野優子が初の冠番組パーソナリティに挑戦します。鍵盤楽器の魅力をはじめ、作曲家や演奏家にまつわる意外なエピソードを紹介します。時にはゲストと共に、土曜日の夕方を和やかに彩る番組です。
第2回目となる10月10日(土)の放送では、ゲストにピアニストの清塚信也さんが登場。ふたりが留学時代の思い出を振り返り、恩師・中村紘子さんについて語り合いました。
(左から)パーソナリティの上野優子、清塚信也さん
◆イモラとモスクワで過ごしたピアニストの青春
10代の頃からの知り合いだという上野と清塚さん。当時の上野が「優子姫」と呼ばれていたことを、清塚さんは懐かしそうに振り返ります。上野は「それを今言いますか(笑)?」と照れながらも、今もそう呼ぶ人がいることを明かしました。
清塚さんは、上野について「姫っぽいよ、なんか雅だもん」と、その優雅な雰囲気に触れつつ、「ひとたびピアノを弾けば、とても情熱的なんですよ」と演奏の魅力も語ります。上野も、清塚さんのことを「きよっち」と呼んでいたと話し、和やかなやりとりが続きました。
話題は、2人が海外で学んでいた留学時代へ。当時はスマートフォンもなく、国際電話も高額だったため、留学中の仲間たちは夜中にチャットで交流していたといいます。上野はイタリアのイモラに6年間、その後フランスのパリに5年間滞在しました。一方、清塚さんはモスクワに留学していたといいます。
イモラでの暮らしについて語ると、清塚さんは「イモラって田舎でしょ?」と尋ねます。上野は「田舎だったからこそ、ピアノに集中して練習できた」と応じ、娯楽が少ない環境も音楽に打ち込めた理由の1つだったと振り返りました。すかさず清塚さんが「じゃあ、最初がパリだったら遊んでた?」と投げかけると、上野さんは「たぶん、今の自分にはなっていなかったですね」と笑顔で答えました。
思い出話に花が咲くなか、番組では清塚さんが演奏するショパンの「雨だれ」をオンエア。記念すべき番組初のゲスト出演に、美しいピアノの音色が華を添えました。
◆恩師・中村紘子の厳しい指導と知られざる素顔
後半は、2人が知り合うきっかけとなったピアニスト・中村紘子さんの思い出を振り返りました。今年は、中村さんが亡くなってからちょうど10年。初めて出会ったのは、1998年に開催された浜松国際ピアノアカデミーでした。
清塚さんが「懐かしい、まるで昨日のことのようです」と懐かしむと、上野は、清塚さんが当時リストの「伝説」を演奏していたことだけでなく、お母様の服装やリボンのことまで鮮明に覚えていると告白。これには清塚さんも驚きを隠せない様子でした。
中村さんの指導について、清塚さんは「礼儀や素行に厳しい一面もあった」と振り返ります。当時の生徒たちは、普段は親しい仲間でありながら、コンクールでは競い合うライバル同士でもありました。上野は「大変さはみんな同じだったからこそ、どこかで分かり合えていた」と語り、互いに高め合い、支え合っていた当時の絆を明かしました。
番組では、清塚さんが中村さんの意外な一面を紹介する場面も。現在、中村さんが東京フィルハーモニー交響楽団や指揮者の円光寺雅彦さんと立ち上げたコンサート企画を引き継いでいる清塚さん。関係者から話を聞くなかで、中村さんがクラシックにとどまらず、ポップス歌手や芸人を招く企画にも積極的だったことを知ったといいます。
中村さんは自ら提案した企画であっても、本番が近づくと不安になり「やっぱりやめようかな」と漏らすことがあったそうです。清塚さんはこうしたエピソードを知り、中村さんも自分たちと同じように悩みを抱えていたのだと実感したと話します。厳しい指導の裏にあった思いに触れるとともに、その人間らしい一面を「チャーミング」だと感じるようになったそうです。
番組の最後には、中村さんへの感謝を込めて、先生自身の演奏が届けられました。清塚さんは、自分も中村先生からレッスンを受けた思い出の曲としてメンデルスゾーンの「ロンド・カプリチオーソ」を選び、「先生、上手だったなあ」と愛おしそうに当時を懐かしみました。
次回10月17日(土)の放送でも、引き続き清塚信也さんをゲストに迎えてお届けします。
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<番組概要>
番組名:上野優子のキーノート・サロン
放送日時:毎週土曜日 17:00-17:30
パーソナリティ:上野優子