SMエンタ所属のガールズヒストリーをプレイバック!『LuckyFM K-POP Sunday』

LuckyFM K-POP Sunday ©LuckyFM茨城放送

LuckyFMのK-POP番組『LuckyFM K-POP Sunday』。
メインナビゲーターの水間有紀と、K-POP番長こと音楽ライターのまつもとたくお&日韓音楽コミュニケーターの筧真帆と共に、K-POPのヒットナンバーから現地の音楽事情まで幅広くお届けしています。

水間有紀が選ぶ「話題のK-POP」には、MEOVV、チュウ、LUCYがランクイン!

5月11日の放送ではこちらの3曲がランクイン!

▶MEOVV「 HANDS UP 」
昨年(2024年)9月デビュー。BLACKPINKの生みの親、プロデューサーの “TEDDY”が手掛ける5人組ガールグループです。この曲はブラジリアンファンクジャンルの曲で、THEBLACKLABELのトップ・クルーによって制作されました。

▶チュウ「 Only cry in the rain 」
今月の少女(LOONA)の元メンバー チュウが4月にリリースした3rdミニアルバム「Only cry in the rain」のタイトルナンバー。「雨の日くらいは感情に正直になってもいい」というメッセージが込められています。また、MVには電車やカラオケ、住宅街など、日本と思われる風景が登場しているので要チェックです!

▶LUCY「 Hippo 」
4月リリースの6作目のミニアルバム「와장창(がちゃん)」収録。「あなたも知らないうちにカバの沼に落ちる」というストーリーのように、一度聴いたら頭の中から離れない中毒性の高い曲だと思います!by水間有紀

SMガールズの30周年を特集:時代を彩る7曲!

まつもとたくおセレクトの特集は、今年で設立30周年を迎えるSM Entertainmentのガールグループたち。懐かしの名曲から現在進行形のグループまで、SMのガールズパワーの軌跡を7曲でプレイバックしました!

▶ Hearts2Hearts「The Chase」
2025年2月24日、シングルアルバム「The Chase」でデビュー。2020年にデビューしたaespa以来、約5年ぶりにデビューしたグループです。グループ名「Hearts2Hearts」には「多様な感情と心のこもったメッセージを盛り込んだ自分たちだけの神秘的で美しい音楽世界を通じて、グローバルファンと心を繋ぎ、より大きな『私たち』に一緒に進む」という意味が込められています。

▶GOT the beat「Step Back」
2022年1月にデジタルシングル「Step Back」をリリースし、デビュー。「Step Back」は、繰り返されるベースと楽器の変奏が中毒的なヒップホップR&Bナンバーで、歌詞には恋愛するとき、プライドの高い女性の姿をストレートな表現で盛り込んでいます。パフォーマンスは楽曲のタイトルと歌詞の内容に合わせて、クールでシックな雰囲気の動作で構成されており、警告するような手の動き、圧倒的なオーラが感じられる群舞などが調和をなし、“パフォーマンス職人”である7人のメンバーたちの最高のシナジーを垣間見ることができます。

▶Red Velvet「Zimzalabim」
2019年の大ヒットナンバー。f(x)以来5年ぶりのガールグループとして、2014年8月にデジタルシングル『행복 (Happiness)』でデビュー。グループ名「Red Velvet」には、「強烈で魅惑的な色である赤(レッド)と、女性らしく優しいイメージのベルベットのように、色のある洗練された音楽とパフォーマンスで全世界を魅了する」という意味が込められています。

▶少女時代「Kissing You」
2007年のヒット曲。このサウンドメイクがのちのガールグループの理想形・ひな型のひとつになり、ApinkやAPRILなどの多くの後進に影響を与えました。K-POPアイドル界のトップスターとなり、韓国だけでなく、日本、中国本土、台湾、タイ、シンガポールなどのアジア各国でも活躍しています。

▶aespa「Sun and Moon」
現在、最も勢いのあるK-POPグループの一つ。この曲はスウィートでスムースなR&Bナンバーで、全体に包まれるメローで甘美な雰囲気の中にも尊い煌めきを感じさせるものとなっており、歌詞に関しては、太陽と月に例えられた人間模様を表現し、共に歩むことで希望に満ちた未来を照らしていけるというメッセージが込められています。

▶S.E.S.「一幅の絵 (Paradise)」
1997年にデビューし、2002年に解散した韓国アイドル第一世代の代表格。2016年12月に再結成し、世宗大学の太陽ホールで単独コンサート「Remember, the day」を開催しました。

▶天上智喜 The Grace「Dancer In The Rain」
2005年に結成した韓国の4人組女性ダンスボーカルグループ。「女性版・東方神起」として発足し、主に韓国と日本を拠点に活動しました。デビュー当初のグループ名は単に「天上智喜」だったが、2006年後半頃から「天上智喜 The Grace」と呼ばれるようになりました。

番組で紹介した曲はSpotifyでも公開していくので、ぜひチェックしてください。

番組公式Spotify

LuckyFM K-POP Sunday
放送局:LuckyFM茨城放送
放送日時:毎週日曜 10時00分~10時55分
公式X

番組ハッシュタグは #lks(エル・ケー・エス)

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※該当回の聴取期間は終了しました。

戦争を知らない世代へ平和の尊さを説く─東京大空襲を生き延びた女性が語る空襲体験

戦後81年が経ち、太平洋戦争を体験した方は、本当に少なくなりました。当時、空襲を体験した小学生たちも、いまや90歳前後です。今回は、戦争の悲惨さ、平和の尊さを語り継ぐ「空襲体験者」のお話です。

東京大空襲の写真を解説する二瓶治代さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

B29による空襲は、昭和19年6月16日、北九州・八幡製鉄所から始まり、翌年の終戦まで、全国200以上の都市で続きました。中でも、昭和20年3月10日の東京大空襲は、およそ300機のB29から32万発ともいわれる焼夷弾が投下され、下町一帯は火の海に……わずか2時間半の空襲で、およそ10万人もの命が奪われ、「世界史上最大の空襲」ともいわれています。この東京大空襲の惨状を今に伝えているのが、東京都江東区北砂にある「東京大空襲・戦災資料センター」です。

江東区北砂一丁目にある「東京大空襲・戦災資料センター」

もともとは、東京都が「平和祈念館」の建設を進めていました。ところが、財政難から計画は凍結されてしまいます。「それではいけない」と、民間による建設の動きが始まり、4000名を超える人たちから、1億円を超える募金が寄せられました。そして2002年、民立民営の平和博物館、「東京大空襲・戦災資料センター」が開館しました。

焼夷弾のレプリカ。その構造や威力もわかりやすく展示

館内では、空襲の悲惨さを伝える写真や映像、絵画、地図、焼夷弾などが展示され、講演会やシンポジウム、特別展などが行われています。開館当時は、20人ほどの「空襲体験者」が戦争の悲惨さを伝えていました。しかし今、その数は少なくなりました。その中の一人が、二瓶治代さんです。二瓶さんの空襲体験の一部をご紹介します。

~・~・~・~

昭和20年3月10日、私は8歳で、家は亀戸駅の近くにありました。その夜、父が「今夜はいつもと違う、起きろ!」と叫んだので、私は飛び起きました。外に出ると、砂町方面が真っ赤に見えました。家族で防空壕に避難しましたが、やがて人々の叫び声が聞こえてきました。父が「ここにいたら、蒸し焼きになるぞ。防空壕から出ろ!」と言いました。私たちは線路の土手に登りました。そこから見た下町一帯は火の海でした。

燃え盛る炎がゴーッと音を立てて家々をのみ込み、人々は燃えながら走っていました。背中に背負った赤ん坊が燃え、手を引かれた子どもが燃え、転んだ子どもは、その場で火の塊になって燃え尽きていきました。やがて、土手にも火が迫ってきたので、私たちは炎が渦巻く火の海の中を、亀戸駅方面へ逃げました。その途中、被っていた防空頭巾が燃え出し、「頭巾をとれ!」と父が叫び、私はあわてて紐を解こうとしました。その時、父とつないでいた手が離れ、強い風に煽られ、私は炎の中に吹き飛ばされてしまったのです。

気がつくと、家族とはぐれて、一人で逃げ回りました。うずくまっている人が、緑色の炎をあげて燃えているのを見ました。馬が燃えながら走っているのを見ました。どこからか、「こんなことで死んでたまるか。みんな生きるんだ!」と叫ぶ男の人の声を聞きました。

私は動けず、その場にうずくまっていると、意識が遠のいていきました。明け方、私は重なり合った人たちの一番下から、父に引きずり出されました。私の上に重なっていた人たちは、真っ黒な炭になって亡くなっていました。この日、私は、生きたまま焼き殺された多くの死者たちに、命を助けていただいたのだと思っています。

~・~・~・~

二瓶さんが「東京大空襲・戦災資料センター」を初めて訪れたのは、2002年、開館して間もない夏の終わりでした。その時、センターの担当者から「当時の体験を語ってほしい」と頼まれます。「こんな私の話なんて……」と断ろうとしますが、岩手県から修学旅行でやってくる中学生50人のために話してほしいとお願いされます。

戦時中に使われていた防火用水

「東京大空襲のことは、我が子にも話さなかった」という二瓶さん。悩んだ末に、当日を迎えます。用意した原稿に目を落としたまま、20分間、顔を上げられず、空襲体験を語り終えました。「そっと顔を上げたんです。すると50人の生徒さんが全員、じっと私を見つめていたんです。身を乗り出して聞いてくれていた生徒さんもいて、ああ、戦争を知らない子どもたちに勇気をもらった……と涙が溢れました」これがきっかけとなり、二瓶さんは、今も空襲体験を語り続けています。

地図の丸印は東京大空襲の直後、仮埋葬が行われた場所

「戦争で一番の犠牲になるのは、いつの時代も、幼い子どもたちです」二瓶さんの言葉が、戦争を知らない私たちに平和の尊さを問いかけています。

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