デビュー10周年を迎えたSEVENTEENの魅力に迫る!

LuckyFM K-POP Sunday ©LuckyFM茨城放送

LuckyFMのK-POP番組『LuckyFM K-POP Sunday』。
メインナビゲーターの水間有紀と、K-POP番長こと音楽ライターのまつもとたくお&日韓音楽コミュニケーターの筧真帆と共に、K-POPのヒットナンバーから現地の音楽事情まで幅広くお届けしています。

水間有紀が選ぶ「話題のK-POP」には、ジェジュン,10CM、ISEGYE IDOLがランクイン!

6月1日の放送ではこちらの3曲がランクイン!

▶ジェジュン「ROCK STAR」
5月リリースのEP「Beauty in Chaos」のタイトルトラック。仮面の裏に隠された不完全な姿さえも本当の自分として受け入れ、誰かと一緒なら一層輝く「自分だけのRock Starになれる」という熱いメッセージを伝えています。ジェジュンは今年のLuckyFesにも出演します!

▶10CM「To Reach You」
「愛の不時着」、「トッケビ」、「涙の女王」など…数多くのドラマOSTも担当してきたシンガーソングライター。この曲は、2010年に韓国でも放送された日本のアニメ「君に届け~シーズン1~」の韓国版OPテーマ!日本のシンガーソングライター、タニザワ トモフミ の「きみにとどけ」のカバーです。SEVENTEENのドギョムやIVEのレイなどがチャレンジ動画を投稿していて話題となっています。

▶ISEGYE IDOL「Stargazers」
6人組バーチャルガールグループ。“イセドル”の愛称で親しまれていて、日本語では「異世界アイドル」を意味しています。MVは現実の風景とメンバーのアバターを融合させているのですが、髪の揺れ動きや瞬きの速度、瞳の動きなどがとってもリアル!韓国最大級の音楽ストリーミングサービス「Melon」チャートで、バーチャルアイドルとしてPLAVE以来2組目となるトップ10入りを果たしています!

SEVENTEEN 10周年特集!まつもとたくおが選ぶ名曲たちとは

今年デビュー10周年を迎えたSEVENTEEN。パフォーマンス力、セルフプロデュース、チームワーク――K-POPシーンで独自のポジションを築いてきた彼らの軌跡を、まつもとたくおの選曲でたどりました。

▶THUNDER
5月26日にリリースされた新曲。中毒性の強いサビが印象的なEDMベースのダンスポップ。挑戦を通じて卓越的な存在として生まれ変わったSEVENTEENが絶えず新しいインスピレーションを引き出し、自分たちの世界を広げていく姿を雷と稲妻に例えて表現しています。

▶Pretty U
2016年4月にリリースした彼らの出世作。長いソファを取り入れて、いわゆるカルグンムとは違ったダンスを披露しており、ミュージカル、ドラマ的な展開をパフォーマンスに取り入れています。最初のメロディが一度だけしか登場しないという斬新な手法はまつもと自身も衝撃を受けたそうです。高度なことをやっているのにアイドル的な輝きを重視しているところも、SEVENTEENの魅力です。

▶BSS「Fighting feat. Lee YoungJi」
メンバーのスングァン&ドギョム&ホシによるスペシャルユニットがラッパーのイ・ヨンジとコラボしたナンバー。発売と同時にiTunesソングチャートでアルゼンチン、インドネシア、日本、シンガポールなど、24の国と地域での1位獲得を含め、合計33の国と地域のTOP10にランクインしました。この曲はまた、韓国の主要音楽配信サイトであるMelOn、genie、Bugs!のリアルタイムチャートでも1位を獲得し、チャート最上位圏をキープ。中毒性の高い歌に、踊りやすいポイントダンスが魅力的な1曲です。

番組ではこの他にも、SEVENTEENの楽曲をご紹介しているので、ぜひradikoでチェックしてください!

また、今回セレクトした楽曲は、後ほど番組公式Spotifyに追加されていくので、気になった楽曲はぜひあなたのプレイリストにも追加してくださいね!

番組公式Spotify

LuckyFM K-POP Sunday
放送局:LuckyFM茨城放送
放送日時:毎週日曜 10時00分~10時55分
公式X

番組ハッシュタグは #lks(エル・ケー・エス)

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※該当回の聴取期間は終了しました。

戦争を知らない世代へ平和の尊さを説く─東京大空襲を生き延びた女性が語る空襲体験

戦後81年が経ち、太平洋戦争を体験した方は、本当に少なくなりました。当時、空襲を体験した小学生たちも、いまや90歳前後です。今回は、戦争の悲惨さ、平和の尊さを語り継ぐ「空襲体験者」のお話です。

東京大空襲の写真を解説する二瓶治代さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

B29による空襲は、昭和19年6月16日、北九州・八幡製鉄所から始まり、翌年の終戦まで、全国200以上の都市で続きました。中でも、昭和20年3月10日の東京大空襲は、およそ300機のB29から32万発ともいわれる焼夷弾が投下され、下町一帯は火の海に……わずか2時間半の空襲で、およそ10万人もの命が奪われ、「世界史上最大の空襲」ともいわれています。この東京大空襲の惨状を今に伝えているのが、東京都江東区北砂にある「東京大空襲・戦災資料センター」です。

江東区北砂一丁目にある「東京大空襲・戦災資料センター」

もともとは、東京都が「平和祈念館」の建設を進めていました。ところが、財政難から計画は凍結されてしまいます。「それではいけない」と、民間による建設の動きが始まり、4000名を超える人たちから、1億円を超える募金が寄せられました。そして2002年、民立民営の平和博物館、「東京大空襲・戦災資料センター」が開館しました。

焼夷弾のレプリカ。その構造や威力もわかりやすく展示

館内では、空襲の悲惨さを伝える写真や映像、絵画、地図、焼夷弾などが展示され、講演会やシンポジウム、特別展などが行われています。開館当時は、20人ほどの「空襲体験者」が戦争の悲惨さを伝えていました。しかし今、その数は少なくなりました。その中の一人が、二瓶治代さんです。二瓶さんの空襲体験の一部をご紹介します。

~・~・~・~

昭和20年3月10日、私は8歳で、家は亀戸駅の近くにありました。その夜、父が「今夜はいつもと違う、起きろ!」と叫んだので、私は飛び起きました。外に出ると、砂町方面が真っ赤に見えました。家族で防空壕に避難しましたが、やがて人々の叫び声が聞こえてきました。父が「ここにいたら、蒸し焼きになるぞ。防空壕から出ろ!」と言いました。私たちは線路の土手に登りました。そこから見た下町一帯は火の海でした。

燃え盛る炎がゴーッと音を立てて家々をのみ込み、人々は燃えながら走っていました。背中に背負った赤ん坊が燃え、手を引かれた子どもが燃え、転んだ子どもは、その場で火の塊になって燃え尽きていきました。やがて、土手にも火が迫ってきたので、私たちは炎が渦巻く火の海の中を、亀戸駅方面へ逃げました。その途中、被っていた防空頭巾が燃え出し、「頭巾をとれ!」と父が叫び、私はあわてて紐を解こうとしました。その時、父とつないでいた手が離れ、強い風に煽られ、私は炎の中に吹き飛ばされてしまったのです。

気がつくと、家族とはぐれて、一人で逃げ回りました。うずくまっている人が、緑色の炎をあげて燃えているのを見ました。馬が燃えながら走っているのを見ました。どこからか、「こんなことで死んでたまるか。みんな生きるんだ!」と叫ぶ男の人の声を聞きました。

私は動けず、その場にうずくまっていると、意識が遠のいていきました。明け方、私は重なり合った人たちの一番下から、父に引きずり出されました。私の上に重なっていた人たちは、真っ黒な炭になって亡くなっていました。この日、私は、生きたまま焼き殺された多くの死者たちに、命を助けていただいたのだと思っています。

~・~・~・~

二瓶さんが「東京大空襲・戦災資料センター」を初めて訪れたのは、2002年、開館して間もない夏の終わりでした。その時、センターの担当者から「当時の体験を語ってほしい」と頼まれます。「こんな私の話なんて……」と断ろうとしますが、岩手県から修学旅行でやってくる中学生50人のために話してほしいとお願いされます。

戦時中に使われていた防火用水

「東京大空襲のことは、我が子にも話さなかった」という二瓶さん。悩んだ末に、当日を迎えます。用意した原稿に目を落としたまま、20分間、顔を上げられず、空襲体験を語り終えました。「そっと顔を上げたんです。すると50人の生徒さんが全員、じっと私を見つめていたんです。身を乗り出して聞いてくれていた生徒さんもいて、ああ、戦争を知らない子どもたちに勇気をもらった……と涙が溢れました」これがきっかけとなり、二瓶さんは、今も空襲体験を語り続けています。

地図の丸印は東京大空襲の直後、仮埋葬が行われた場所

「戦争で一番の犠牲になるのは、いつの時代も、幼い子どもたちです」二瓶さんの言葉が、戦争を知らない私たちに平和の尊さを問いかけています。

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