『Oh Wow, Very Cool!』最終回!Orono「ラジオで自分も救われた」

orono

3月26日は、ついに最終回!番組プロデューサーのエミカとともにお送りしました。

こんなにリスナーと気が合うんだって、自分も救われた

Orono:今週が最終回!今回はエミカがいる。

エミカ:最終回。どうでしょう。

Orono:みんな最終回なの?みたいになってるけど自分は「いいじゃん」みたいな。番組始める前はツアーが終わって日本にいてやることがなかった。去年はInterFMに救われたね。

エミカ:こちらこそですよ。先週レノン会で話してたんですけど、Oronoがさっきニューヨークのお土産をくれて。セントラル・パークの木の素材でできた木の指輪なんですけど、それもらった時泣きそうになった。お別れな感じがしちゃって。改まった感じがして。

Orono:InterFMが滅びるまでやるよ。中断はするかもしれないけど。

エミカ:一旦ね。何事も休憩は必要だと思う。

Orono:ありがとうInterFMの神様。後はファンに、人にありがとうとかいうの嫌なんだよね。でも前に言ったかもしれないけど、自分は日本のファンとどう接すればいいかわからない、めんどくさい。

エミカ:どういうところが?

Orono:なんか日本のアーティストとファンの関係が嫌いなの。上に見られたくないし、下にも見たくないし。でも日本のファンが多いわけで、どうすればいいのってなってた。しかも最初のアルバムを出してどうでもいいインタビューをやりまくったの、それが嫌いで。聴いてる人たちとかと直接話したいんだけど、そういうつまんないメディアで何度も答えたような質問を言っても意味ないというかさ。自分は面白いからやってるから、知らないやつはどうでもいいの。ソーシャル・メディアとかで自撮り撮ったりもできないの、嫌いだから。だからどうすればいいんだろうってなってたの。そこでたまたま始まったこの番組を通して、本当はこういう人なんだよって直接声だけでテキトーに話してたりすることを聞くのが一番、その人を知ることができると思うの。インタビューとかインスタじゃなくて。それができたことで、聴いてくれてる人との意思疎通ができた。

エミカ:リスナーからのメールに表れてたよね。

Orono:そう。こんなにリスナーと気が合うんだと思った。期待してなかったから。ファースト・アルバムがストレスたまりすぎて、何事においても期待しないようにしてるの。だから余計嬉しかった。面白いメール書いてくれたり、めっちゃ長いのを書いてくれたり、悩みを持ってる人が自問自答したりとか。そういう場ができていいなと思いました。

エミカ:Oronoが今話したことは、逆に日本に活動しているアーティストは素を出したくないような、メディアに出る自分と普通の自分は違うみたいに分けてる人もいると思うし、そっちの方が多いんじゃないかと思う。Oronoほど思ってること全部伝えてくれる人は滅多にいないから。Oronoに一緒に番組やろうって言った時から、ここまで深く話してたわけじゃないけど、そういう人なんだろうなと思ってたから。番組やろうってなった時も、Oronoがやりたいこと全部できたらいいなと思ってて。結果的に1年たって、Oronoの友達ほぼみんな呼べたし、Oronoがこういうことにムカついてるとか、こうなったらいいよねっていうのを毎回発信できたから救われた人がたくさんいると思うし、Oronoが取り上げたリスナーのメールで他のリスナーが自分と同じように思ってる人がいるんだって気付けたと思うし。社会貢献できた気がする。

Orono:わかる。ミュージシャンやってて、これは何て時間の無駄なんだとかよく思うの。昔からミュージシャンやりたかった理由として、世界を良くしたいけど一番多くの人につながる仕事としてミュージシャンがあるんじゃないかって思ってたの。でも別に言うことそんなにないし。後は昔からYouTubeとか好きで、YouTubeで素の自分を出している人に救われた自分がいて、それを他の人にもできたらいいなと思ってるの。で、それをメールとか読んでてできたし、正直言ってミュージシャンとかやめてもいいの。これからもやっていくけど、もっとつながる場ができてよかったと思う。自分も救われたし。

エミカ:私もラジオの中の人として、人の役に立ちたいわけよ。リスナーって見えないけどリアクションが来るとやってよかったって思うから一緒だよね。メディアによってはリアクションが見えなかったりするし。そういう意味ではラジオって繋がり合える場所だよね。

Orono:でもラジオって1人にアクティビティじゃん。それも好きなの。孤独なのと同時に繋がってる感じがして、いいフォーマットだなと思う。これからもラジオ続けたい!

ラジオをやって日本がまた救いの場所になった、またいつか!

エミカ:結構話したいことあって。最終回と関係ないけど。

Orono:そういう方がいい。

エミカ:こないだ「スポッチャ」行ったじゃん。その時カラオケでビートルズ・メドレー歌ったじゃん。それで思い出したんだけど、私中学生の時に病んでる時期があって、それこそずっと部屋でラジオ聴いてたの。何も考えずに。その時にラジオからビートルズの「レット・イット・ビー」が流れてきて、その時英語わからないから何言ってるかはわからないんだけど、すごく励まされた。そこから気になって、あの歌は何を歌ってて、なんで励まされてるんだろうと思って歌詞を中学生の辞書とかで訳してこういう歌だったんだってなって。結局、励まされる歌詞だったの。それって音楽すごいなと思って。何言ってるかわからなくても、歌詞に魂が乗っているというか。エモかったなって話。

Orono:ラジオってエモいよね。自分も昔からポッドキャストとかすごく聴いてた。落ち着く。

エミカ:常に音がある状態なんだね、生活が。

Orono:あとInterFMに感謝することは、いろんな友達を呼んできたんだけど、これがきっかけでできた友達もいっぱいいる。

エミカ:そうだよね。この番組始まる時、Oronoは病んでたって言ってたじゃん。全然そんな病みは感じてなかったから。

Orono:あの頃は回復してきてた。軌道に乗ってきてて、InterFMで番組やるってなってどんどん上に行ってた。

エミカ:いいきっかけだったんだね。

Orono:去年一番楽しかったのが2月、3月。事前に録ってた時。

エミカ:Oronoが友達連れてきてくれるじゃん。みんな良い子じゃん。面白いし。こんな良い人たちに囲まれてたら、病むのかなって思った。

Orono:日本にそんなにいないから。だからスーパー(オーガニズム)で日本の仕事が増えてアメリカにいた時より日本に来ることが増えたんだけど、前は日本は救いの場だったの。実家があって。でもスーパーが始まったことで、日本も仕事の場になっちゃたの。でもInterFMで番組を始めて、友達も増えて、日本がまた救いの場みたいになったのが嬉しい。

エミカ:それが私も一番嬉しい。Oronoが日本嫌いだったけど、もう一回好きになれたのがよかったなとおもった。

Orono:InterFMに来ることが楽しい。

エミカ:品川好きって言ってたもんね。

Orono:品川、好き。品川の何もない感じが好き。建物とビジネスマンしかいない。

エミカ:私たちは海外にあんまり行かないし、なんなら毎日ここにいるからさ、特にここに関して思い入れがないっていうか。だけどOronoが来るたびに喜んできてくれるから、それが励みになってたよね。私は3月末で卒業するんですけど、Oronoがいなかったらもっと早くやめてたかもしれないし、Oronoがいてこの番組があっていろんな人に出会わせてくれたし、この番組がどうなっていくのかも楽しみだったから、モチベーションとしてすごくあって。このタイミングで一旦Oronoも休憩するっていうのはホッとしたというか、一緒だねって感じで。嬉しいというか、明るいことだなと思ってる。

Orono:また復活したらね。

エミカ:復活したら付き人として(笑)。

Orono:戻ってきて。ちゃんとスポンサーがつけば良いね。じゃあ終わりです。またいつか、今年はわかんないけどまた再開すると思うので、よろしくお願いします。Thank you!

Oh Wow, Very Cool!
放送局:interfm
放送日時:毎週木曜 23時00分~23時30分
出演者:orono (Superorganism)
番組ホームページ

メール:orono@interfm.jp
ハッシュタグ: #orono897

※該当回の聴取期間は終了しました。

菅井友香、振付家TAKAHIROと当時の思い出を語る!

サントリー生ビールpresents『菅井友香の#今日も推しとがんばりき』のゲストにダンサー・振付家のTAKAHIROが登場し、菅井と出会った時の印象からグループ最後の楽曲「その日まで」についてまで菅井との思い出を語った。

-TAKAHIRO「菅井さんは不器用なんです」-

菅井とTAKAHIROの出会いは2016年。欅坂46のデビュー曲「サイレントマジョリティー」の振り付けの時だったという。TAKAHIROは当時の菅井について、「菅井さんはいっぱい練習する子でした。いっぱい練習しましたね。『不協和音』の立ち方だけでとか、手の引っ張り方だけで、一時間ぐらいずっとやっていた」と当時のことを振り返った。

また、リスナーからの質問で菅井のグループ時代の最後の楽曲「その日まで」の振り付けにどんな意味を込めたのかについて問われたTAKAHIROは、「あの楽曲は全部が逆再生されるように作ってあったんですが、でも、過去のことだけではなく今の菅井さんが表現できることを大切に、前に進んでいけるように。菅井さんはいっぱい背負ってきましたので。だからそのリュックを一回置いて、ただただ走って風を感じられるように。そういう思いを込めて、振り付けをさせていただきました」と語った。

そんな「その日まで」はミュージックビデオの撮影中に釣りをしている人を待つために一時撮影が中断されることもあったという裏話も語ってくれた。

さらに、リスナーから菅井のパフォーマンスに関する裏話を聞かれたTAKAHIROは、「菅井さんは不器用なんです」と断言。しかし、その不器用さ故の長所があると語った。「不器用だけど、努力するという力を持っていた。感覚でみんながやれるところを努力で全部補おうとする。だから本当にその瞬間を任せたときに、ある程度までは要領のいい人が勝つんだけれども、そこから先の努力でもっと深めることができるから、ステージに立った時に誰よりも輝く瞬間がある」

菅井は、その様にやり遂げられたのはTAKAHIROの存在が大きかったと語り、「少年のような大人でずっと誰より近くにいてくださった」と当時TAKAHIROに感じていたことについて振り返った。

その他、「キミガイナイ」の振り付けについての話やTAKAHIROが櫻坂46の振り付けを考えるうえで一番大切にしていることなど、様々な話が語られた。そちらについては是非タイムフリーで

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