ラジオ日本『わたしの図書室』一度、聞いたら忘れられない、ぞっとする物語!

 文学作品の朗読番組、ラジオ日本の『わたしの図書室』では、岡本綺堂の怪異譚集「近代異妖篇」から「木曽の旅人」「影を踏まれた女」を4週連続放送。そこに出るのは怨念なのか、死霊なのか、はたまた物の怪なのか?秋の木曽山中、十三夜の江戸を舞台に、岡本綺堂の怪奇の世界が繰り広げられる。
 

 「修善寺物語」など新歌舞伎の劇作家、また「半七捕物帳」などの時代劇推理作家として知られる岡本綺堂は、一方で、「三浦老人昔話」「青蛙堂鬼談」などの怪奇もの、怪談も数多く残している。

 岡本綺堂は明治5年(1872年)に東京・高輪で生まれた。父親は元徳川幕府の御家人で、維新後はイギリス公使館で書記を務めていた。幼いころから父の影響で、芝居や歌舞伎に親しんで育つ。綺堂の随筆「明治劇談/ランプの下で」には、父親に連れられて市川團十郎の楽屋を訪れたことなどが書かれている。

 また、同著によると、近所の湯屋の番台で暇をつぶしていた元旗本の息子・金さんに借りた草双紙、また、外国帰りだった叔父が語る西洋の怖い話などの影響で、「わたしの幼稚な頭は芝居と怪談とで埋められてしまった」という。

 

【放送予定と作品紹介】 
9月12日(木)・19日(木)23:30~24:00放送 「木曽の旅人」  
★朗読:羽佐間道夫

 語り手はT君。
 父との旅の途中で訪ねた軽井沢の宿で出会った男から聞いた昔話。
 その男は山で材木を採る杣(そま)。6歳の息子とふたりで山の小屋で暮らしていた。そこへある晩、ひとりの若い旅人が疲れた足を休めにやってくる。しかし、なぜか幼い子供はその男におびえ、賢いはずの犬は狂ったように吠え続ける。この旅人はいったい何者なのか? 
 大正2年に「炭焼の話」として「やまと新聞」に初出。のち、「木曽の旅人」と改題された。物語の流れはほぼ同じだが、結末は大きく変更されている。
 声優界の重鎮、羽佐間道夫の迫真の朗読が聞きもの。
 

9月26日(木)・10月3日(木)23:30~24:00放送 「影を踏まれた女」  
★朗読:井田由美(日本テレビ・アナウンサー)

 語り手はY君。月夜といえば、こんな話を知っている。
 明日は十三夜という晩のこと。江戸・柴井町の糸屋の娘が、通りで遊ぶ男の子たちに影を踏まれてしまう。男の子たちは逃げ回る娘を取り巻きその影を思うままに踏んだ。自分の影を踏まれると寿命が縮まる。そんな言い伝えを気に病んだ娘は、悪霊に憑かれたのか鬼に魅入られたのか、みるみる衰えていく。心配した両親は老いた行者に言われるまま、ある夜の子の刻(深夜12時)、1本のロウソクに火を灯して眠る娘の影を映し出した。果たしてそこに映ったものは? 井田由美の醸す静かなるおどろおどろしさが耳に残る。

わたしの図書室
放送局:ラジオ日本
放送日時:毎週木曜 23時30分~24時00分
出演者:羽佐間道夫、井田由美(日本テレビアナウンサー)
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自動車修理工場の女性社長が「自動販売機のハンバーガー」を開発

トラックなどのドライバーさんのなかには、昭和の頃は、よく幹線道路沿いにあった自動販売機のハンバーガーで、お腹を満たした経験がある方もいらっしゃることでしょう。じつは最近、令和版の「自動販売機のハンバーガー」がじわりじわりと増えているんです。今回は、この自動販売機のハンバーガーを手掛けている自動車修理工場の方のお話です。

ハンバーガー自販機と小林さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

東京・新宿から中央道の高速バス、または新幹線と飯田線の特急「伊那路」を乗り継いで、およそ4時間の長野県飯田市に「ガレージいじりや」という自動車修理工場があります。敷地内には、トヨタ・パプリカ、マツダ・シャンテをはじめ、昭和の車がズラリ。しかも、工場の前にある懐かしい自動販売機コーナーが目を引きます。

お店の代表・小林由季さんは、埼玉県出身の41歳。小さい頃、ちょうどミニ四駆が大人気だったこともあって、クルマに興味を持ちました。19歳でオートマチック車限定の運転免許を取ると、街を颯爽と駆け抜けていった、白い「マツダ・RX7」に心躍ります。

『カッコいい!あのクルマに乗りたい!!』

そう思った小林さんは、知り合いの自動車関係者に相談すると、軽くあしらわれました。「RX7? アンタ、あのクルマ、マニュアルだし、ロータリーエンジンって知ってるの? 乗りたいなら、自分で自動車が整備出来ないと、まず無理だよ」

愛車のマツダ・シャンテと小林さん

マニュアルもロータリーエンジンも、全くチンプンカンプンだった小林さんですが、乗りたい思いが高まって、マニュアルで免許を取り直し、自動車整備士を目指します。男社会の自動車修理工場で、厳しい試練を乗り越えて、見事、整備士資格を取得。縁あって信州に移り住むと、趣味で借りたガレージで、ノーマルタイヤからスタッドレスタイヤへの履き替えを請け負ったことをきっかけに、2010年、自ら自動車修理工場を立ち上げました。

やがて、工場のスタッフが昭和43年製・スバル360の修復を成し遂げたことから、小林さんも古い車に興味を持ち、旧車が続々持ち込まれて、車雑誌にも注目されます。あれよあれよと、旧車好きならまず知らない人はいない工場に成長。小林さんは雑誌連載企画で、旧車でレトロな自動販売機巡りをすることになりました。

ところが、ここで小林さんは大変なことが起きていたことに気付くんです。

『大きな道路沿いにたくさんあったハンバーガーやうどん・そばの自動販売機コーナーがどんどん無くなっている……』

24時間営業のコンビニエンスストアが増えた一方で、自動販売機は経年劣化、オーナーさんの高齢化も進んで、自動販売機コーナーは次々と姿を消していたんです。そんな折、小林さんはお祖父さまを亡くしたことで、小さい頃、自動販売機のハンバーガーをなかなか買ってもらえなかった記憶がよみがえりました。

『あの思い出の、自動販売機のハンバーガーを残したい。ならば、ハンバーガーを作っている食品メーカーを助けよう!』

自動販売機コーナー

そうひらめいた小林さんは、さっそく自動販売機用のハンバーガーを仕入れます。自動車工場の前に冷蔵機能付きの自動販売機と電子レンジを設置して販売を始めると、ちょうどコロナ禍と重なったことで、テイクアウトのニーズをつかんで大繁盛。各地のレトロ自動販売機で売れたハンバーガーのおよそ4倍を1台で売り上げました。

小林さんはもうイケイケドンドン、自動販売機を増やして各地で大人気となりますが、あまりの売れ行きにハンバーガーメーカーのほうが悲鳴を上げてしまいます。安定した納品が出来ないので、もう勘弁してくれませんか、と言われてしまったのです。代わる製造業者も無く、困り果てた小林さん、思い切りました。

『ハンバーガーを作ってくれる会社が無いなら、自分の会社で作ってしまおう!』

もちろん、小林さんは自動車整備士ではありますが、食品の知識は全くゼロ。体当たりで、様々な食品製造に関する許可や食品衛生を、片っ端から学んでいきます。食品部門の「いじりやフードサービス」も立ち上げ、ハンバーガーを作ってみましたが、パンはパサつき、肉の脂は溶け出し、レタスなどの生野菜は安全性の面で使えません。しかも、自動車修理工場と食品工場の二刀流で、睡眠時間3時間の日々が続きました。

ふんわりバンズのチーズバーガー

それでも試行錯誤を繰り返し、味やソースにもこだわったチーズバーガーに辿り着いて、安定した製造、出荷も出来るようになりました。今は、全国で39台の自動販売機が元気に稼働中。自動車修理工場生まれの自動販売機とハンバーガーは、各地域で話題になっています。

「気合と根性でやってきました」と笑う小林さんですが、やりたいことはいっぱいです。

「レストランもやってみたいですし、クルマのテーマパークがあっても面白いですよね。ハンバーガー片手にみんなに巡ってもらって。夢は大きく持てば、きっと叶います!」

「RX7に乗りたい」から始まった小林さんの夢、今はまだ、その途中です。

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