京都アニメーション火災~身柄を確保されたのは41歳さいたま在住の男

ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(7月19日放送)にKBS京都の野村報道部長が電話出演。京都アニメーションのスタジオで起きた爆発火災における現場の状況について解説した。

白煙を上げて燃える京都アニメーションのスタジオ=2019年7月18日午後0時12分、京都市伏見区 写真提供:産経新聞社

京都府のアニメ制作会社で放火、33人が死亡

京都市伏見区にあるアニメ制作会社「京都アニメーション」のスタジオで18日、爆発火災が発生し、33人が死亡した。京都府警捜査1課などによると、当時74人が建物内にいた模様で負傷した35人を搬送、6人の無事が確認された。身柄を確保された41歳の男は免許証からさいたま市在住と判明。1階出入り口付近でバケツのようなものに入ったガソリンを撒き、火をつけたとみられている。

飯田)警察署によると、放火と断定された事件の死者数としては平成以降最悪だということです。この事件の詳しい情報について、現場となった京都の放送局、KBS京都の野村報道部長に伝えていただきます。野村さん、現場に入られてどういった状況でしたか?

野村)私が現場に駆け付けたのは、出火からおよそ1時間後の午前11時半ごろでした。すでに周りは煙が立ち込めていて、現場となったスタジオの建物からは黒煙と炎が立ち上っていました。あたりは民家が立ち並ぶ住宅街なのですけれど、焦げ臭いにおいが立ち込めていて、現場から2~3分離れた場所でも、通行人の方はタオルなどで口を覆いながら歩く姿が見られました。

飯田)現場となったスタジオですけれど、鉄筋の3階建てだと報じられています。3階まで煙に巻かれているような状況だったのですか?

野村)はい。建物はおよそ691平方メートルが消失したということです。建物のなかで亡くなった方は、1階に2人、2階に11人、3階では20人にものぼりました。特に3階では屋上に続く階段で、折り重なるように遺体が横たわっていたということです。

飯田)そうすると、炎と煙で上へ上へと逃げようとして、力尽きたということが考えられますか?

野村)そうとも推測されます。また、火をつけられた1階から3階にかけては、その階段とは別に、フロアの中央付近に螺旋階段が吹き抜けで設けられており、その螺旋階段の吹き抜けが一気に火が回った原因ではないかと推測もされ、警察と消防がこれから詳しく調べることにしています。

飯田)いわば煙突のような形になってしまったのではという指摘ですね。

野村)ええ。

放火火災で多数の従業員らが犠牲となった「京都アニメーション」のスタジオ(左奥)付近に手向けられた花束=2019年7月19日午前7時32分、京都市伏見区 写真提供:共同通信社

周りの住民などで被害者の方を手当て

飯田)亡くなられた方の状況など、警察の方から発表はあったのですか?

野村)いまのところ詳しい発表はなく、これから身元の確認などを進める方針だということです。

飯田)近所の方もこれは驚いたでしょうね。

野村)そうですね。私は現場付近で取材中なのですけれども、現場付近の道路には、おそらくけがをされて逃げたとみられる従業員の方の血の足跡が残っていたり、近所の人の話によりますと、全身にやけどを負った方が肩を組み合ってやっとの思いで逃げて来て、助けを求められたという話もありました。

飯田)周りの住民の方や企業の方が、必死になって手当をしていたという状況が報道されていますよね。

野村)はい。近くの工事現場でも、作業していた方々が悲鳴を聞いて駆けつけて、建物の窓をこじ開けて数人を助け出したという話も聞きました。

京都府宇治市の本社(京都アニメーション-Wikipediaより)

放火したのは41歳の男~正式な発表はまだ

飯田)放火したとされる41歳の男は確保されていますけれども、状況はどうなのでしょうか?

野村)男も顔や胸などにやけどを負ったということで、病院に搬送されています。容態の方もまだ不安定な状況ということで、詳しい話が本人からまだ聞けていない状態です。

飯田)素性や名前について、正式な発表はされているのですか?

野村)正式な発表はまだありません。(※編集部注:放送された7月19日朝の状況)

飯田)報道では免許証が出て来たという話もありましたが。

野村)それをもとに、年齢などは取材で分かったのですけれども、名前などの詳しい情報はまだ出ていません。

飯田)ではそのあたりも含めて、今後の捜査の情報を待たれるという感じですね。

飯田浩司のOK! Cozy up!
FM93AM1242ニッポン放送 月-金 6:00-8:00

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菅井友香、振付家TAKAHIROと当時の思い出を語る!

サントリー生ビールpresents『菅井友香の#今日も推しとがんばりき』のゲストにダンサー・振付家のTAKAHIROが登場し、菅井と出会った時の印象からグループ最後の楽曲「その日まで」についてまで菅井との思い出を語った。

-TAKAHIRO「菅井さんは不器用なんです」-

菅井とTAKAHIROの出会いは2016年。欅坂46のデビュー曲「サイレントマジョリティー」の振り付けの時だったという。TAKAHIROは当時の菅井について、「菅井さんはいっぱい練習する子でした。いっぱい練習しましたね。『不協和音』の立ち方だけでとか、手の引っ張り方だけで、一時間ぐらいずっとやっていた」と当時のことを振り返った。

また、リスナーからの質問で菅井のグループ時代の最後の楽曲「その日まで」の振り付けにどんな意味を込めたのかについて問われたTAKAHIROは、「あの楽曲は全部が逆再生されるように作ってあったんですが、でも、過去のことだけではなく今の菅井さんが表現できることを大切に、前に進んでいけるように。菅井さんはいっぱい背負ってきましたので。だからそのリュックを一回置いて、ただただ走って風を感じられるように。そういう思いを込めて、振り付けをさせていただきました」と語った。

そんな「その日まで」はミュージックビデオの撮影中に釣りをしている人を待つために一時撮影が中断されることもあったという裏話も語ってくれた。

さらに、リスナーから菅井のパフォーマンスに関する裏話を聞かれたTAKAHIROは、「菅井さんは不器用なんです」と断言。しかし、その不器用さ故の長所があると語った。「不器用だけど、努力するという力を持っていた。感覚でみんながやれるところを努力で全部補おうとする。だから本当にその瞬間を任せたときに、ある程度までは要領のいい人が勝つんだけれども、そこから先の努力でもっと深めることができるから、ステージに立った時に誰よりも輝く瞬間がある」

菅井は、その様にやり遂げられたのはTAKAHIROの存在が大きかったと語り、「少年のような大人でずっと誰より近くにいてくださった」と当時TAKAHIROに感じていたことについて振り返った。

その他、「キミガイナイ」の振り付けについての話やTAKAHIROが櫻坂46の振り付けを考えるうえで一番大切にしていることなど、様々な話が語られた。そちらについては是非タイムフリーで

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