オンラインゲームにも登場!「山鳥毛」がプロジェクトで里帰り

ニッポン放送「週刊 なるほど!ニッポン」(2月9日放送)では、「岡山県瀬戸内市に国宝の日本刀が里帰り!?」というトピックスを紹介した。

※画像はイメージです

日本の名刀を男性に擬人化したオンラインゲーム「刀剣乱舞」などの人気で、昨今注目されている日本刀ブーム。そんななか、「岡山県立博物館」で保管されている国宝の備前刀「太刀無銘一文字」、通称「山鳥毛」が話題になっている。

岡山県瀬戸内市による「山鳥毛里帰りプロジェクト」は、瀬戸内市で生まれた名刀「山鳥毛」を地元に戻したいと、購入資金などをふるさと納税などによる寄付で募ったもの。およそ1年3ヵ月、ついに購入の目標額である5億1309万円に到達した。

瀬戸内市の「山鳥毛」への想いとは、一体どのようなものなのか? 瀬戸内市教育委員会・社会教育課の課長補佐である若松挙史さんに、立川晴の輔が話を伺った。

 

晴の輔:目標金額を達成したということですが、すごい金額ですよね。

岩松:ありがたいことに、1月26日までで寄付総額は8億239万円。返礼品費などの諸経費を除いた資金は5億6838万円となり、太刀5億円と展示ケース1309万円の購入費からなる目標額を上回りました。

晴の輔:「山鳥毛」は、どのような刀なのでしょうか?

岩松:戦国武将の上杉謙信と、後継者である景勝の愛刀になります。

晴の輔:「山鳥毛」という名前はどこから来ているのですか?

岩松:刀には『刃文』というものがあるのですが、それが変化に富んでいて、激しい『山鳥の羽』の模様であるとか、山が燃えたときの炎のゆらぎに見えるというところから、『山鳥毛』という名前が付いたと言われております。この刀を作ったのは、瀬戸内市長船町福岡に拠点を置き、鎌倉時代初期から活躍していた『一文字派』と呼ばれる人たちになります。

晴の輔:聞くところによると、いまは岡山市にあるのですか?

岩松:はい。『岡山県立博物館』に寄託されています。岡山県内にお住まいの方の個人所有物で、その方から買っていただきたいとのご意思がありました。瀬戸内市が購入しないと売却されてしまい、展示されないという想定があったのです。

晴の輔:守らないといけないのですね。

岩松:そうですね。岡山県の宝、地域の宝として正しく保存してまいります。

晴の輔:「山鳥毛」が戻って来たら、どこで保存されるのですか?

岩松:『備前長船刀剣博物館』という、刀専門の博物館があります。購入しましたら、そこでみなさんに見ていただきたいと思います。

晴の輔:町も変わるのではないですか?

岩松:それを目当てに観光に来る方もいらっしゃるでしょうし、『山鳥毛』を目指して頑張っている刀匠の方も非常に多いです。長船では一時期、1人ということもありました。戦後は日本刀が不必要になり、作ることが禁止されたのが大きいです。ですから職人の育成や、伝統技術の継承・発展にも貢献すると思います。

上杉謙信

晴の輔:多くの寄付が集まったということは、刀に興味のある方が大勢いるのですね。

岩松:文化的な継承に共感していただいた方はもちろんのこと、寄付者の分布状況を見ますと、若い女性が結構な割合でいらっしゃいます。昨年(2019年)のクリスマスのころに、『刀剣乱舞』というゲームに『山鳥毛』が登場してSNSで大騒ぎになり、寄付の上積みとなりました。

晴の輔:あとは戻って来るのみですね。「山鳥毛」は、上杉謙信が使っていたのですか?

岩松:「持っていた」というのが正確ですね。刀は戦国の世であっても、高価なものなのです。フォーマルなところに持って行く刀と、戦に持って行く刀で、どうも使い分けていたようです。

晴の輔:でも、間違いなく上杉謙信が持っていた。

岩松:上杉家の文書に『大切なお刀三十五振り』と書いてありますが、その1つに『山鳥毛』が出て来ます。

晴の輔:瀬戸内市自体が「刀剣の街」なのですよね?

岩松:『備前長船町』がある『長船地域』では、歴史を語る上で刀は欠かせないものになっています。

晴の輔:僕は落語家なので、「備前長船則光」というセリフを言うのです。「備前長船」は刀を作る流派、拠点にしていた場所ですよね?

岩松:『長船派』が盛況になる前に、『一文字派』が栄えていました。国宝に指定されているものは111振りあるのですが、そのなかの47振り…約半数に近い数が『備前刀』です。そのため、日本一の質と量を誇っているのです。

晴の輔:備前がシェアNo.1なのですね。

岩松:はい。『刀剣王国』と銘打っても恥ずかしくないものです。

上杉景勝

晴の輔:「刀剣乱舞」というオンラインゲームから始まって、ミュージカルや舞台も流行っています。刀に興味を持つ方は、どちらかというと歴史好きなおじさんが多いイメージでしたが…。

岩松:以前なら博物館に行くと、大体はご年配の男性が見ていて、一緒に来たお子様は外の売店でソフトクリームをなめていたりしました。しかし、いまは20代~30代の若い女性がお1人で来られて、1日中見られていることも珍しくありません。

晴の輔:食い入るように見ているのでしょうね。いま波が来ているなかで、「山鳥毛」が戻って来るのを待つのみですね。

岩松:そうですね。行政手続きもありますので、今後は議会に「買っていいですか?」とお尋ねして、「買っていいよ」と議決していただければ、無事に買うことができます。

晴の輔:あともう少しですね。

岩松:でも、その後がまた大切です。プロジェクトの一環として1週間程度、博物館で刀を並べさせていただいたところ、1時間半待ちの長蛇の列ができました。

晴の輔:惹かれるものがあるのでしょうね。

岩松:地元のおばちゃんも、「私は初めて見たけれど、他のものと違うわ!」と力説していたので、いいものは『いいオーラ』を放つのでしょうね。ぜひとも本物を見ていただきたいです。

岡村隆史「7割が志村さんなんですよ」 お笑いの教科書だった志村けんさんに感謝

4月2日(木)深夜、お笑いコンビのナインティナイン岡村隆史がパーソナリティを務めるラジオ番組「ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン」(ニッポン放送・毎週木曜25時~)が放送。新型コロナウイルスによる肺炎で急逝した、コメディアンの志村けんさんへ、感謝の言葉を述べた。

冒頭、「暗い感じで喋り出すと天国におられる志村さんに『そんな喋り方をするなよ』と言われそうなので普通に……と思っているんですけども」と切り出した岡村。「不謹慎かもわからないですが、志村さんと会えないという実感が全然なくて。まだお仕事ができるという感覚」と述べ、「ほとんどの方が気付かれていると思いますけど、僕がバラエティ番組でやる動きや表情は、ほぼほぼ志村さんのコピー……パクりに近いと思います」とし、岡村隆史という人間は7(割)が志村さんで構成されていると、自身の人生に多大な影響を受けたと語った。

そして、志村さんとは公私ともに親しかった間柄だったことから、「夢のような時間を過ごさせてもらった」と数々のエピソードを明かし、感謝の言葉を述べた。

「本当に、まだまだ他にも思い出したら色々と。お仕事の上でも助けて頂きましたし。ゲストで出て頂いた時も目一杯やって頂きました。

『めちゃイケ』なんかでも、『これ、ドリフやん!』っていう……。バレてるのかバレてないのは、わからないようなコントが沢山あったと思いますけど。僕らは『オマージュです』って言って、パクりなんですけどね。“もしも威勢のいい風呂屋があったら”みたいなのを、パロディーじゃないですけど、パッケージを借りてやったものもありました。全てにおいて、ありがたいというか。“こうやって笑いを取るんだ”っていう、教科書だったと本当に思います。

土曜8時に“土8戦争”と言われる、『8時だョ!全員集合』(TBS)があり、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)があり、この2つが教科書になっていました。その土曜8時に、我々がお笑い番組をやれたというのは、この時代のすごい番組を見て、育って、勉強できたからこそ、土曜8時をやれたんじゃないかな。

何の恥じらいもなくパクッていましたからね(笑)。何もカッコ悪いと思わずに。自分たちが見てきた笑いなんだから、それしかできないんだもん。自分たちが面白いと思ってきたことだから。オリジナルなんてないの。7割が志村さんなんですよ。本当、そうだと思う。今、めちゃイケを見たら『この顔もこの動きも、このパッケージも』って、全部がドリフに繋がっているかもしれない」

放送時間のほとんどで、志村さんとの思い出を語った岡村。初共演の思い出や、初めて飲みに行った際のエピソードなども語り、「尊敬もしてましたし、これからもずっと志村けんさんを追いかけながら、がんばっていきたいと思います。会えないっていうのは残念なんですけど、ずっと見守って頂いているという気持ちで、これからもやらせて頂こうかと思っています。本当に天国でゆっくりして頂きたいと思います。ありがとうございました」と締めくくった。

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