『ハルメク』編集長・山岡朝子~誌面の内容がそのままリアルの講座に

黒木瞳がパーソナリティを務める番組「あさナビ」(ニッポン放送)に、雑誌『ハルメク』編集長・山岡朝子が出演。『ハルメク』が行っている講座について語った。

ニッポン放送「あさナビ」

黒木)今週のゲストは50代からの女性を対象とした女性誌『ハルメク』の編集長、山岡朝子さんです。これからの『ハルメク』はどんな雑誌を目指すのでしょうか?

山岡)『ハルメク』には秘密があって、雑誌だけれども雑誌ではないのです。普通の雑誌は情報を読んだらそれで終わりなのですが、『ハルメク』は誌面に載っていることを習いに行ける、リアルの講座が別途あります。

黒木)どういうことですか?

山岡)例えば1月にお届けした号だと、「一生自分の足で歩く健康の新習慣」という特集なのですが、その誌面では中村多仁子さんという方が体操を紹介してくださっています。普通の雑誌であれば、それを参考に体操してください、ということで終わりなのですが、『ハルメク』の場合は、中村さんに直接体操を習える講座を開催しているのです。

黒木)中村多仁子さんは76歳で、このプロポーションですか。

山岡)誌面で見るだけではなく、お会いしてみたい、直接習ってみたいと思うではないですか。

黒木)思います。

山岡)最近だと京都に素敵な茅葺屋根の音楽堂があって、そこを保全しながらピアノのコンサートを開いている、カズコ・ザイラーさんという方を取材しました。編集部としては、「読者の方にこの茅葺屋根で音楽を聴いていただきたい」と思ったのです。そのときに「一緒に行きませんか?」というツアーをつくって、数十人の読者の方と一緒に京都まで行って、音楽を聴きました。誌面に載っているものを体験できるということをセットにして販売しているのです。

黒木)お料理教室も提供されているのですか?

山岡)お料理教室をやったり、場合によっては健康になる食事の仕方の講座をすることもあります。

黒木)座談会だけではなく、実際に飛び出す雑誌のようになるのですね。

山岡)それ、いい表現ですね。いただきます。ただ読むだけではなく、『ハルメク』を通して毎日がもっと楽しくなる、出かけるきっかけになる、あるいは困っていることが解決するなどのサービスを付けて、お守りのような存在になりたいと思っています。

黒木)ご自身はどういう50代になりたいですか?

山岡)まだ子どもが4歳なのですが、自分の仕事と健康と家庭のバランスを大事に、子どもが中学生くらいになったら、バランスの取れた大人になりたいと思っています。それができるかどうか。

黒木)いまでも編集長でいらっしゃるから、拘束されることが多いと思いますが、ご主人やお子さんとのコミュニケーションも大事にしてください。大変な時期でもありますね。

山岡)自分のことは後回しという感じなのですが、50代になったら自分のこともやりたいなと思います。人生の先輩にお会いすることが多いので、とてもキラキラしていて友達もたくさんいる方にお会いすると、それはいまに始まったことではなく、40代~50代のころから積み重ねているのだということを学ぶ機会が多いので、私もそういう一歩を踏み出したいと思っています。

黒木)仕事を持っていない方もいらっしゃるではないですか。そういう方の時間の使い方は上手なのですよね。そういった方のヒントも知りたいですよね。

株式会社ハルメク『直線で作れて素敵に見えるきものリフォーム』(※画像はAmazonより)

山岡朝子(やまおか・あさこ)/雑誌「ハルメク」編集長

■1997年、主婦と生活社に入社。雑誌『すてきな奥さん』『CHANTO』などライフスタイル系の雑誌の編集長を歴任。
■2017年に「ハルメク」に入社。50代からの女性を対象とし、健康、料理、旅、ファッション、美容など、さまざまなテーマを取りあげている月刊誌『ハルメク』の編集長に就任。就任後2年で実売部数を2倍に引き上げた。

【ハルメクとは…】
■自宅直送の有料定期購読誌。書店には流通していない。
■主に50代からの女性に向けて、生き方や暮らし方を提案する雑誌構成。
■出版不況が叫ばれるなか、月間31万部を発行。
■徹底したリサーチや読者からのはがき、モニター会員との座談会など、読者とのコミュニティを活かした雑誌づくりが行われている。
■通販やイベント、リアル店舗など、雑誌との連動するコンテンツが人気。

菅井友香、振付家TAKAHIROと当時の思い出を語る!

サントリー生ビールpresents『菅井友香の#今日も推しとがんばりき』のゲストにダンサー・振付家のTAKAHIROが登場し、菅井と出会った時の印象からグループ最後の楽曲「その日まで」についてまで菅井との思い出を語った。

-TAKAHIRO「菅井さんは不器用なんです」-

菅井とTAKAHIROの出会いは2016年。欅坂46のデビュー曲「サイレントマジョリティー」の振り付けの時だったという。TAKAHIROは当時の菅井について、「菅井さんはいっぱい練習する子でした。いっぱい練習しましたね。『不協和音』の立ち方だけでとか、手の引っ張り方だけで、一時間ぐらいずっとやっていた」と当時のことを振り返った。

また、リスナーからの質問で菅井のグループ時代の最後の楽曲「その日まで」の振り付けにどんな意味を込めたのかについて問われたTAKAHIROは、「あの楽曲は全部が逆再生されるように作ってあったんですが、でも、過去のことだけではなく今の菅井さんが表現できることを大切に、前に進んでいけるように。菅井さんはいっぱい背負ってきましたので。だからそのリュックを一回置いて、ただただ走って風を感じられるように。そういう思いを込めて、振り付けをさせていただきました」と語った。

そんな「その日まで」はミュージックビデオの撮影中に釣りをしている人を待つために一時撮影が中断されることもあったという裏話も語ってくれた。

さらに、リスナーから菅井のパフォーマンスに関する裏話を聞かれたTAKAHIROは、「菅井さんは不器用なんです」と断言。しかし、その不器用さ故の長所があると語った。「不器用だけど、努力するという力を持っていた。感覚でみんながやれるところを努力で全部補おうとする。だから本当にその瞬間を任せたときに、ある程度までは要領のいい人が勝つんだけれども、そこから先の努力でもっと深めることができるから、ステージに立った時に誰よりも輝く瞬間がある」

菅井は、その様にやり遂げられたのはTAKAHIROの存在が大きかったと語り、「少年のような大人でずっと誰より近くにいてくださった」と当時TAKAHIROに感じていたことについて振り返った。

その他、「キミガイナイ」の振り付けについての話やTAKAHIROが櫻坂46の振り付けを考えるうえで一番大切にしていることなど、様々な話が語られた。そちらについては是非タイムフリーで

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