西川きよし師匠が電話出演!漫才ブームの頃の話もたっぷりの『#ラジぐぅ』

#ラジぐぅ月曜担当の西川かの子さん、桂三語さん

突然のビッグゲストに驚く桂三語さん

『OBCグッドアフタヌーン!#ラジぐぅ』のレギュラーコーナー「西川かの子の45歳で初めて…」は、西川かの子さんのいろんな“初めて”を披露するコーナーです。

いつもどおりのタイトルコールのあと、外出自粛中の西川ファミリーの様子について話をしていると、突然「もしもし~」と男性の声が。

打ち合わせにはなかった電話の声に、何が起こったの???と桂三語さん。思わず「もしもし? え? どなた...? 」と返すと...。

「おはようございます、西川きよしでーす」

と、元気いっぱいな本日の特別ゲストが登場。


「えー!!きよし師匠ッ!? えちょっと、...一回トイレ行っていいですか?」と激しく動揺する三語さん。実は、きよし師匠の電話出演は、三語さんには内緒だったのです。

 

きよし師匠
「三語さん、10日後にお誕生日ということで、おめでとうございます。いつもかの子がお世話になってます。三語さんがお弟子さんに来た時から知ってますので、そんな話とか、あなたの師匠の(六代 桂)文枝師匠もお弟子さんに来た時から存じ上げてますので、お誕生日のお祝いですので、西川きよしに聞きたいことがあったら何なりと聞いてください。」

きよし師匠には、普段から聞きたいことがたくさんあるのに、突然の登場に頭の中が真っ白になる三語さん。

「えー?何これ?何これ? ち、ちょっとエアコンかけてもろていいですか? 暑い、暑いー。」と動揺がおさまりません。

三語さん、ハッピーバースデー! 西川ファミリー、素敵ですね。

西川きよし師匠の35歳の頃...

そんな三語さんに、きよし師匠は、今月、三語さんが35歳の誕生日を迎えることにちなみ、きよし師匠自身の35歳の頃の思い出を話し始めました。

ちょうどやすしきよしで一番大忙しだった当時、1日で東京-大阪を2往復したこと、ヘリコプターや小型ジェットで移動したこと、北海道から沖縄まで駆け回り、2ヶ月で50日舞台に出て、舞台がお休みの10日間でテレビ・ラジオのレギュラー14本をこなしていたこと...。

三語さんの師匠である、六代 桂文枝師匠は、そんな時期をともに過ごした戦友だと語ります。それもあり、弟子入りした三語さんのことも気に掛けておられるようでした。

三語さんも、きよし師匠がいつも舞台袖で声をくださることが本当に嬉しいと話します。

 

そして話題はきよし師匠の舞台の話に。

桂三語
「(やすしきよしの頃、舞台で)15分から20分の尺(出演時間)を40分~45やって、うちの師匠につなげてたっていうのはホンマの話ですか?」

きよし師匠
「本当の話です(笑)。その代わり、やすしきよしの前に桂三枝(文枝師匠以前の名)さんが出ると、これまた長いんですよ。(文枝師匠は)舞台からおりてくる時は袴を両足上まで上げて、細い脚を見せながら爆笑とって入ってくるわけです。『よーし!この笑いに負けるか』と思って、やっさんと出るわけですよ。だからどうしても20分が30分になり40分になり、(自分たちが)トリに出てると、次は吉本新喜劇ですから、舞台の袖に(戻ると)、鬼の形相の花紀京さんや岡八郎さんが立ってはって『いつまでやってるんじゃお前らは!』って(叱られて)ね。」

終電がなくなるほどの時間になることもあったという話に、驚くかの子さんと三語さんでした。

最後までドキドキの三語さんと、かの子さん

まだまだ続くきよし師匠の話。漫才ブームの頃、そして今。

実は今でもNGKの舞台に早めに行って、若手からベテランまで芸人さんのネタを聞くというきよし師匠。出演者全ての話を聞いて、当日自分が話す内容を考えているのだそうです。

 

西川かの子
「中川家さんややすよともこちゃんが(舞台に出ていくとき)、その後ろ姿に向かって、袖で見ているお父さん(きよし師匠)が『頑張って来いよ!負けへんど!』って言うらしいです。『“負けへんど!”っていうすごい言葉を背負いながら(舞台に)ぼくたちは出ていくんだ』って中川家さんが言うてはったのを覚えてます。」

 

さらに、三語さんに「なんでも聴いてくださいよ」と質問を求めるきよし師匠。

この自粛生活のなか、きよし師匠と妻のヘレンさんが始めた毎朝のラジオ体操のこと、三語さんの師匠、桂文枝師匠との思い出話、人気テレビ番組の誕生秘話などに花が咲き、「自粛が明けたら、みんなで思い出のお店に食事に行きましょうね」と約束をかわされました。

 

そして、そろそろ時間が来るころ...。

きよし師匠
「三語さん締めてくださいよ。三語さんに、締めてもらいたいです。」

と言いつつも、なかなか締めない三語さんに、

きよし師匠
「これを機に仲良くさせていただいて、ごはん食べに行きましょうね。ラジオお聞きの皆さん、ありがとうございましたー!」

と自らコーナーを締めたきよし師匠でした(笑)。

 

きよし師匠との電話を切ったあと、三語さんが一言、

「あぁ、お腹痛い・・」と。

大成功のバースデーサプライズでした。

 

漫才ブーム当時の話から最近の舞台裏の話まで、なかなか他では聴けないきよし師匠のお話の全編は、タイムフリーでたっぷりお楽しみください!

OBCグッドアフタヌーン! #ラジぐぅ
放送局:OBCラジオ大阪
放送日時:毎週月曜~金曜 11時30分~14時00分
出演者:(月)西川かの子、桂三語、(火)高山トモヒロ、池田淳子、(水)石田靖、森川由香、(木)浅越ゴエ、松本雅子
番組ホームページ
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※該当回の聴取期間は終了しました。

自動車修理工場の女性社長が「自動販売機のハンバーガー」を開発

トラックなどのドライバーさんのなかには、昭和の頃は、よく幹線道路沿いにあった自動販売機のハンバーガーで、お腹を満たした経験がある方もいらっしゃることでしょう。じつは最近、令和版の「自動販売機のハンバーガー」がじわりじわりと増えているんです。今回は、この自動販売機のハンバーガーを手掛けている自動車修理工場の方のお話です。

ハンバーガー自販機と小林さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

東京・新宿から中央道の高速バス、または新幹線と飯田線の特急「伊那路」を乗り継いで、およそ4時間の長野県飯田市に「ガレージいじりや」という自動車修理工場があります。敷地内には、トヨタ・パプリカ、マツダ・シャンテをはじめ、昭和の車がズラリ。しかも、工場の前にある懐かしい自動販売機コーナーが目を引きます。

お店の代表・小林由季さんは、埼玉県出身の41歳。小さい頃、ちょうどミニ四駆が大人気だったこともあって、クルマに興味を持ちました。19歳でオートマチック車限定の運転免許を取ると、街を颯爽と駆け抜けていった、白い「マツダ・RX7」に心躍ります。

『カッコいい!あのクルマに乗りたい!!』

そう思った小林さんは、知り合いの自動車関係者に相談すると、軽くあしらわれました。「RX7? アンタ、あのクルマ、マニュアルだし、ロータリーエンジンって知ってるの? 乗りたいなら、自分で自動車が整備出来ないと、まず無理だよ」

愛車のマツダ・シャンテと小林さん

マニュアルもロータリーエンジンも、全くチンプンカンプンだった小林さんですが、乗りたい思いが高まって、マニュアルで免許を取り直し、自動車整備士を目指します。男社会の自動車修理工場で、厳しい試練を乗り越えて、見事、整備士資格を取得。縁あって信州に移り住むと、趣味で借りたガレージで、ノーマルタイヤからスタッドレスタイヤへの履き替えを請け負ったことをきっかけに、2010年、自ら自動車修理工場を立ち上げました。

やがて、工場のスタッフが昭和43年製・スバル360の修復を成し遂げたことから、小林さんも古い車に興味を持ち、旧車が続々持ち込まれて、車雑誌にも注目されます。あれよあれよと、旧車好きならまず知らない人はいない工場に成長。小林さんは雑誌連載企画で、旧車でレトロな自動販売機巡りをすることになりました。

ところが、ここで小林さんは大変なことが起きていたことに気付くんです。

『大きな道路沿いにたくさんあったハンバーガーやうどん・そばの自動販売機コーナーがどんどん無くなっている……』

24時間営業のコンビニエンスストアが増えた一方で、自動販売機は経年劣化、オーナーさんの高齢化も進んで、自動販売機コーナーは次々と姿を消していたんです。そんな折、小林さんはお祖父さまを亡くしたことで、小さい頃、自動販売機のハンバーガーをなかなか買ってもらえなかった記憶がよみがえりました。

『あの思い出の、自動販売機のハンバーガーを残したい。ならば、ハンバーガーを作っている食品メーカーを助けよう!』

自動販売機コーナー

そうひらめいた小林さんは、さっそく自動販売機用のハンバーガーを仕入れます。自動車工場の前に冷蔵機能付きの自動販売機と電子レンジを設置して販売を始めると、ちょうどコロナ禍と重なったことで、テイクアウトのニーズをつかんで大繁盛。各地のレトロ自動販売機で売れたハンバーガーのおよそ4倍を1台で売り上げました。

小林さんはもうイケイケドンドン、自動販売機を増やして各地で大人気となりますが、あまりの売れ行きにハンバーガーメーカーのほうが悲鳴を上げてしまいます。安定した納品が出来ないので、もう勘弁してくれませんか、と言われてしまったのです。代わる製造業者も無く、困り果てた小林さん、思い切りました。

『ハンバーガーを作ってくれる会社が無いなら、自分の会社で作ってしまおう!』

もちろん、小林さんは自動車整備士ではありますが、食品の知識は全くゼロ。体当たりで、様々な食品製造に関する許可や食品衛生を、片っ端から学んでいきます。食品部門の「いじりやフードサービス」も立ち上げ、ハンバーガーを作ってみましたが、パンはパサつき、肉の脂は溶け出し、レタスなどの生野菜は安全性の面で使えません。しかも、自動車修理工場と食品工場の二刀流で、睡眠時間3時間の日々が続きました。

ふんわりバンズのチーズバーガー

それでも試行錯誤を繰り返し、味やソースにもこだわったチーズバーガーに辿り着いて、安定した製造、出荷も出来るようになりました。今は、全国で39台の自動販売機が元気に稼働中。自動車修理工場生まれの自動販売機とハンバーガーは、各地域で話題になっています。

「気合と根性でやってきました」と笑う小林さんですが、やりたいことはいっぱいです。

「レストランもやってみたいですし、クルマのテーマパークがあっても面白いですよね。ハンバーガー片手にみんなに巡ってもらって。夢は大きく持てば、きっと叶います!」

「RX7に乗りたい」から始まった小林さんの夢、今はまだ、その途中です。

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