笑福亭鉄瓶、聖火リレー走行を語る「師匠に代わって...」
聖火リレーで使用したユニフォームを着てトーチを持つ笑福亭鉄瓶
ラジオ大阪(OBC)が毎週月~木曜の午後6時から放送する『hanashikaの時間。』は、松竹芸能に所属する4人の噺(はなし)家(か)がアシスタントやゲストとともにトークを繰り広げる番組です。4月12日は月曜担当の笑福亭鉄瓶と松本美香が出演しました。
「時刻は6時を回りました。こんばんは」と、いつもの番組開始の文句を、やけに神妙な声で発した鉄瓶。「聖火ランナー、奈良県香芝市を走らせていただきました、笑福亭鉄瓶です」と続けます。この日、東京2020オリンピック聖火リレー、奈良県の2日目で地元香芝市のラストランナーを務めた後、生放送にかけつけた鉄瓶に、リスナーからも「配信で見ました。今日のお話、楽しみにしています」とメッセージが寄せられました。
鉄瓶は今回のコロナ禍での聖火リレーについて「賛否あったと思うんです。聖火をつなげるというのは、ただ手渡しすることじゃなくて、賛成も反対も意見を尊重したり、思いやったり、遠慮し合ったりの押し引きでできること。もう開催しようということになったのだから、どうやりましょうかというところで、否定の人のことももちろん考えないと」と思いを述べ、そうした中で毅然(きぜん)として運営にあたるスタッフを「すごく丁寧に動いていた」とたたえました。
笑福亭鉄瓶が使用した聖火リレーユニフォーム
当日着て走ったユニホームを見せながら「肌触りがすごくいい。めちゃめちゃ気持ちよかった」と絶賛する鉄瓶に、生地に触れた松本も「おぉっ、ツルツルやん~」と興奮。さらに鉄瓶からトーチを渡されると、「おぉぉ、うわ~」と声を上げ「こんな貴重なものを…」とますます恐縮しました。鉄瓶は「走る前にスタッフの方から説明を受けるんです。トーチを持つところはあごより上にするようにしてくださいって。低いと髪の長い方は『ボッ』ってなって燃えてしまうから」と説明し、「持ってみると思ったより軽いなと思うけど、これを片手に持ち続けながら走ると重量を感じます」と振り返りました。
そんな鉄瓶に松本が「でも終始、本当にいい笑顔で走ってたよね」と声を掛けると、「沿道の皆さんがスタッフの注意を守って、静かに拍手や手を振って応援してくださっていて、本当に素晴らしいなと思った。その応援を見ていたら、最後まで笑顔で走らないとという気持ちになりました」と頷きつつ、「うちの師匠(笑福亭鶴瓶)が、スケジュールが合わなくてご辞退したということもあって、師匠に代わってという思いも背負いながら…」と様々な気持ちを抱いての走行だったことを明かしました。
また、沿道に母親の姿を見つけたと言い「すぐわかったんです。メカ音痴、まだガラケーの母親が、『写ルンです』を持ってて。『え、それまだ売ってたんや』ってビックリ」と笑い「いろんな方に支えてもらった一日でした」と笑顔を見せました。
※該当回の聴取期間は終了しました。
仕事を離れて見えるものがある。「キャリアブレイク」がもたらすメリット
ニュースキャスターの長野智子がパーソナリティを務めるラジオ番組「長野智子アップデート」(文化放送・月曜日~金曜日15時30分~17時)、9月19日(木)にハフポスト日本版編集長・泉谷由梨子が出演。ハフポストでも特集された、働くことから一時的に距離を置き、その時間を有意義に使う「キャリアブレイク」という概念について解説した。
泉谷由梨子「もともと欧米では学生時代に1年お休みしたり、大学卒業して働くまで1年旅に出たり、という考え方はあったんです。日本はそもそも転職もあまり一般的ではなかったので、一時的に働かない期間がある人は履歴書に空白期間があると見なされる。『後ろ暗い何かがある』と企業側は見ていた」
鈴木敏夫(文化放送解説委員)「日本だと『無職』とされるわけですね」
泉谷「無職には違いないんです。でもそれをもっと前向きにとらえ直そうよ、という文化の広がり。それをキャリアブレイクと名付けて普及活動もしているキャリアブレイク研究所というのもあり、そちらの方もいろんな文化の普及に努めている、という感じです」
キャリアブレイクの実現には企業側の理解も重要になってくる。泉谷によれば企業側の意識にも変化があるという。
泉谷「パーパス経営、人的資本経営など、ビジネス界隈では流行っている言葉です。要するに企業がやりたいことがありますよね。『大儲けしたい』とか。これを従業員に無理やりさせるのでは生産性が上がらない。特に若い世代は『自分がやりたいことに邁進(まいしん)したい』という意識が強い。従業員が生き生き働ける環境をどうつくるか、ということに企業はいま腐心しています」
長野智子「人口減少でそもそも人材確保が大変だから……」
泉谷「増えてきているときと減ってきているときでは採用や人材に対する意識が変わってきている。キャリアブレイクは仕事に対してなんとなくモヤモヤ抱えているものを、一時的に距離を置いて自分で考えてみることで、本当に仕事で何を実現したいのか、自分を見つめる期間にもなります。単純に『大変だから休む』ということもいいと思うんですけど、人生を再建するための時間として使う方が増えているということです」
鈴木「(キャリアブレイクは未経験だが)話を聴いていると、したくなりますね。周囲で『違う仕事をしてみた』という方もいらっしゃいました」
長野「私はフジテレビを辞めてフリーだったから、5年間ぐらいキャリアブレイクでアメリカに行った。自分のやりたい方向には行けたかな」
泉谷「新聞社出身の私も4ヶ月ぐらいキャリアブレイクがありました。シンガポールに住むことになったのでこのまま専業主婦になろうかと思ったこともあるんです。でもそうしたら『私、働くの好きかもしれない』と気が付いて。離れてみたら『私がいままでやっていた仕事、好きかも』と。するとよりがんばる力が湧いてくる、というか。そういう経験を私もしました」
長野「私は働くことは好きでしたけど『報道をやりたい』という思いが強かった。完全なお笑いアナウンサーでしたから(笑)、『日本の方に忘れていただく』という目的も少しあったんですよ。日本のテレビからいなくなってみる、みたいな」
泉谷「周りから長野さんはうまくやっている、と見られていたと思います。大人気のアナウンサー、と。本人の中にうっすら『違うんだよな』という思いがモヤモヤと溜まっているなら1回リセットすることの効能があるのでは、と」
長野「どうしても日常に流されるんですよね。なぜかというと、目の前の仕事を失ったら何もなくなるんじゃないか、という怖さとかで踏み切れない、という」
泉谷「1回休んでみるというのは勇気が要ることですし、キャリアブレイク研究所の方も『皆さんにオススメできるまでにはまだ至っていない』とおっしゃっています」