経済ジャーナリスト・堀浩司さん、気になる小銭の両替手数料をわかりやすく解説

(右から)原田年晴(ラジオ大阪アナウンサー),堀浩司(経済ジャーナリスト),森川由香

『原田年晴 かぶりつきマンデー!』(ラジオ大阪 月曜11:00~14:00)は、原田年晴アナウンサーと森川由香が送る情報番組です。「お金のおはなし」のコーナーでは、国家予算から子どものおこづかいまで、気になるお金にまつわる情報や話題を紹介します。毎月末には経済ジャーナリスト・堀浩司さんが登場し、わかりやすく解説します。

1月31日の話題は「金融機関の手数料」について。月末にあたる今回は堀さんを迎え、金融機関の手数料事情を取り上げました。リスナーからも「ヤクルトの販売員さんに代金を月払いにしてほしいとお願いされた(小銭を減らしたいため)」、「元銀行員でした。手数料についてはシビアにチェックされました」、「小銭の両替手数料が気になります!」などのメッセージが寄せられ、関心の高さがうかがえました。

まずは「小銭にかかる手数料」について。銀行では以前から小銭の枚数に応じて預入手数料がかかっていましたが、これまで無料だったゆうちょ銀行でも、先月17日から手数料が導入されました。原田アナウンサーは「ATMでは1円入金するだけで110円の手数料がかかる!? 消費者としては納得いかない部分もありますよね」と首を傾げました。

また、一部の金融機関では、新規口座開設を対象に通帳発行や繰越に対する手数料の導入や、使っていない口座(休眠口座)に対しても条件により維持手数料がかかることなどが紹介されました。

このように、これまで無料で受けられていたサービスが有料化されている背景には、金融機関が置かれている状況の変化があるといいます。堀さんの詳しい解説を聞き「銀行ばかり責めても仕方がないということですね…」と原田アナウンサーがうなると、堀さんは「世の中全体の流れでこうなっているので、受け入れなければならない部分もあります。それによって得をする部分もあるので…」と頷きながらも、「一方で、デジタル弱者が不便とならないようなケアが必要」と訴えました。

この内容は、放送後一週間まで、radikoのタイムフリーで聴くことができます。毎回、身近なお金の情報を取り上げるこのコーナー。自身のマネーライフについて考えるきっかけにしてみてはいかがでしょうか。

原田年晴 かぶりつきマンデー!
放送局:OBCラジオ大阪
放送日時:毎週月曜 11時00分~14時00分
出演者:原田年晴(ラジオ大阪アナウンサー)、森川由香、堀浩司(経済ジャーナリスト)
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※該当回の聴取期間は終了しました。

戦争を知らない世代へ平和の尊さを説く─東京大空襲を生き延びた女性が語る空襲体験

戦後81年が経ち、太平洋戦争を体験した方は、本当に少なくなりました。当時、空襲を体験した小学生たちも、いまや90歳前後です。今回は、戦争の悲惨さ、平和の尊さを語り継ぐ「空襲体験者」のお話です。

東京大空襲の写真を解説する二瓶治代さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

B29による空襲は、昭和19年6月16日、北九州・八幡製鉄所から始まり、翌年の終戦まで、全国200以上の都市で続きました。中でも、昭和20年3月10日の東京大空襲は、およそ300機のB29から32万発ともいわれる焼夷弾が投下され、下町一帯は火の海に……わずか2時間半の空襲で、およそ10万人もの命が奪われ、「世界史上最大の空襲」ともいわれています。この東京大空襲の惨状を今に伝えているのが、東京都江東区北砂にある「東京大空襲・戦災資料センター」です。

江東区北砂一丁目にある「東京大空襲・戦災資料センター」

もともとは、東京都が「平和祈念館」の建設を進めていました。ところが、財政難から計画は凍結されてしまいます。「それではいけない」と、民間による建設の動きが始まり、4000名を超える人たちから、1億円を超える募金が寄せられました。そして2002年、民立民営の平和博物館、「東京大空襲・戦災資料センター」が開館しました。

焼夷弾のレプリカ。その構造や威力もわかりやすく展示

館内では、空襲の悲惨さを伝える写真や映像、絵画、地図、焼夷弾などが展示され、講演会やシンポジウム、特別展などが行われています。開館当時は、20人ほどの「空襲体験者」が戦争の悲惨さを伝えていました。しかし今、その数は少なくなりました。その中の一人が、二瓶治代さんです。二瓶さんの空襲体験の一部をご紹介します。

~・~・~・~

昭和20年3月10日、私は8歳で、家は亀戸駅の近くにありました。その夜、父が「今夜はいつもと違う、起きろ!」と叫んだので、私は飛び起きました。外に出ると、砂町方面が真っ赤に見えました。家族で防空壕に避難しましたが、やがて人々の叫び声が聞こえてきました。父が「ここにいたら、蒸し焼きになるぞ。防空壕から出ろ!」と言いました。私たちは線路の土手に登りました。そこから見た下町一帯は火の海でした。

燃え盛る炎がゴーッと音を立てて家々をのみ込み、人々は燃えながら走っていました。背中に背負った赤ん坊が燃え、手を引かれた子どもが燃え、転んだ子どもは、その場で火の塊になって燃え尽きていきました。やがて、土手にも火が迫ってきたので、私たちは炎が渦巻く火の海の中を、亀戸駅方面へ逃げました。その途中、被っていた防空頭巾が燃え出し、「頭巾をとれ!」と父が叫び、私はあわてて紐を解こうとしました。その時、父とつないでいた手が離れ、強い風に煽られ、私は炎の中に吹き飛ばされてしまったのです。

気がつくと、家族とはぐれて、一人で逃げ回りました。うずくまっている人が、緑色の炎をあげて燃えているのを見ました。馬が燃えながら走っているのを見ました。どこからか、「こんなことで死んでたまるか。みんな生きるんだ!」と叫ぶ男の人の声を聞きました。

私は動けず、その場にうずくまっていると、意識が遠のいていきました。明け方、私は重なり合った人たちの一番下から、父に引きずり出されました。私の上に重なっていた人たちは、真っ黒な炭になって亡くなっていました。この日、私は、生きたまま焼き殺された多くの死者たちに、命を助けていただいたのだと思っています。

~・~・~・~

二瓶さんが「東京大空襲・戦災資料センター」を初めて訪れたのは、2002年、開館して間もない夏の終わりでした。その時、センターの担当者から「当時の体験を語ってほしい」と頼まれます。「こんな私の話なんて……」と断ろうとしますが、岩手県から修学旅行でやってくる中学生50人のために話してほしいとお願いされます。

戦時中に使われていた防火用水

「東京大空襲のことは、我が子にも話さなかった」という二瓶さん。悩んだ末に、当日を迎えます。用意した原稿に目を落としたまま、20分間、顔を上げられず、空襲体験を語り終えました。「そっと顔を上げたんです。すると50人の生徒さんが全員、じっと私を見つめていたんです。身を乗り出して聞いてくれていた生徒さんもいて、ああ、戦争を知らない子どもたちに勇気をもらった……と涙が溢れました」これがきっかけとなり、二瓶さんは、今も空襲体験を語り続けています。

地図の丸印は東京大空襲の直後、仮埋葬が行われた場所

「戦争で一番の犠牲になるのは、いつの時代も、幼い子どもたちです」二瓶さんの言葉が、戦争を知らない私たちに平和の尊さを問いかけています。

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