桂宮治のエピソードトークに激辛ダメ出し!同期の春風亭一蔵が指摘「ああいうのは本当にやめた方がいい」

各界の専門家を招いて今年1年を振り返るスペシャルウィークの“大トリ”に春風亭一蔵さんが登場。12月15日の『くにまる食堂』では噺家から見た今年の落語界について伺った。

邦丸「金曜日は、この1年の落語界を振り返ります。今年は春風亭一之輔さんが『笑点』メンバーに起用されたけど、弟弟子の一蔵さんから見ると魂を売ってることが手に取るように分かるんだって?」

一蔵「分かりますね。一之助師匠が一之助師匠を演じてる感じが本当にかわいそうだなって思うんですけど、一之助師匠って『抜擢真打ち』なんですよ。要は入門するとそこで先輩後輩が生まれて、その先輩を追い抜く。それで21人抜きをして抜擢で真打ちになったっていうすごい方なんです。そんな『抜擢真打ち』が来年、我が落語協会で10年ぶりに生まれるんですよ。これが三遊亭わん丈さんと林家つる子さんという2人。」

邦丸「わん丈さんは食堂にも来てくれたよね。」

一蔵「この2人が真打ちになるんですけど、抜かれた仲間がいっぱいいるわけじゃないですか。それが、僕がめちゃめちゃ可愛がってる後輩なんですよ。めちゃめちゃウチにも来るし、めちゃめちゃ一緒に飲むのが全員抜かれるんですよ。だから最近「一蔵兄さんの家に行くと出世しない」って言われてる。」

邦丸(笑)

一蔵「一蔵兄さんグループの『お抜かれ連』って言われてるんです。最近その抜かれた側の後輩がうちに来ると、全員なぜか分かんないですが「お疲れ様です」じゃなく「お抜かれ様です」って言って入ってくるんです。これはもうちょっと危機的状況です。」

邦丸「落語協会では一之助さんが21人抜き。その前の『抜擢真打ち』って誰なの?」

一蔵「柳家喬太郎師匠と林家たい平師匠ですね。だからそれこそ15年くらい『抜擢真打ち』ってものがなかったんじゃないですかね。」

邦丸「確かに抜擢真打ちになった人ってのはスターになっていくわけだよね。この前、わん丈さんに来てもらった時は、やっぱなんか違うんだよな。普通の会話をしててもなんか面白いし、なんでだろうなと思うところはある。」

一蔵「でも邦丸さん、ちょっとイラっとする部分ありません?わん丈と話してて「なにこいつ?」みたいな。」

邦丸「俺は覚えてねえな。イッチャンはあるんだ。」

一蔵「これは売れっ子あるあるなんですけど「俺、このエピソード喋りますよ」っていう雰囲気が出るんですよ。これ(桂)宮治もそうなんです。だから僕は絶対そっち側に行かない!」

邦丸「(笑)『お抜かれ連』のトップとしてはね。」

一蔵「売れっ子はエピソードトークの時に「行くぜ!」っていうファイティングポーズをとるんですよ。この間、宮さんの横にいたときも必ず「行くぜ!」って顔するんですけど、ああいうのはほんとやめた方がいいと思う。そこで行くと我ら『お抜かれ連』は、着地点が分かってないですから。そこがかわいいとこなんですよ。」

このあとは、一蔵師匠が真打ち昇進から異例の速さで寄席の『トリ』を務めた自慢話など、様々な今年の落語トピックをお届けします!気になる方はradikoのタイムフリー機能でご確認ください。

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亡き親友との約束胸に「スタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい」

プロ野球をはじめ、先日のメジャーリーグ開幕戦、そしてサッカーのJリーグでもよく目立つのが、巨大なフラッグによる応援です。今回は、このスポーツ応援に欠かせないビッグフラッグを染め上げている男性のお話です。

影山洋さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

日本一小さな市・埼玉県蕨市に、一軒の工房があります。有限会社染太郎、スポーツの試合で現れる大きな旗を作る会社です。トップは、影山洋さん、昭和30年生まれの69歳です。

蕨出身の影山さんは、小さい頃は空き地で友達とサッカーボールを蹴ったり、お小遣いがたまると後楽園球場へ行って、王さん・長嶋さんの野球を見て育ちました。そして、百貨店で催事のお知らせをする巨大な垂れ幕を作る会社に勤めます。

仕事に脂がのってきた30代のある日、影山さんは小さい頃のサッカー仲間で、当時の読売クラブに在籍していた奥田卓良選手から、こんな話を聞きました。

「今度、日本でもサッカーのプロリーグが始まるんだ。絶対応援してくれよ!」

「だったら、ヨーロッパみたいに、おっきな応援フラッグを作って、応援するよ!」

影山さんがそう答えて迎えた1993年5月15日のJリーグ開幕の日。国立競技場の熱狂の渦のなかに、奥田さんの姿はありませんでした。奥田さんは不慮の交通事故で、Jリーグを見ることなくこの世を去っていたのです。

『奥田との約束を守るためにも、日本のスタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい!』

そう思った影山さんは、会社勤めを辞め、自ら応援フラッグを作る会社を興します。地元・埼玉の浦和レッズの熱いサポーターたちとつながると、話が盛り上がって、今までにない幅50メートルのビッグフラッグを作るプロジェクトが始まりました。

影山さんが手掛けたビッグフラッグの数々

参考になったのはもちろん、影山さんが長年培ってきたデパートの垂れ幕のノウハウ。パソコンもあまり普及していない時代、設計図を元に1枚1枚刷毛で塗る手作業でした。ただ、ビッグフラッグを作っても、出来栄えを確かめられる広いスペースもなければ、対応してもらえる競技場もありませんでした。

ようやく人前で披露できる環境が整ったのは、2001年のJリーグ・レッズ対マリノス戦。埼玉スタジアム2002のこけら落としの試合でした。影山さんたちがドキドキ見守る中、ピッチに大きく真っ赤なフラッグが広げられると、スタンドからは「オーッ!」と地鳴りのような歓声が沸き上がりました。

翌日から、影山さんの会社の電話は、様々なチームからの問い合わせで鳴りやまなくなりました。

「私たちもレッズみたいな、熱い応援をしたいんです!」

数ある問い合わせの中に、情熱のこもったメッセージを届けてくれた人がいました。それは、プロ野球・千葉ロッテマリーンズの応援団の方々でした。影山さんは、競技の違いを乗り越えて、新しい応援スタイルが広まっていくことに、喜びを感じながら、さらに大きい幅75メートルものビッグフラッグを作り上げました。

このフラッグが、千葉・幕張のスタジアムの応援席に広げられると、今度はプロ野球チームの関係者からの問い合わせが相次ぎました。こうしてサッカーではレッズ、野球はマリーンズから始まったビッグフラッグによる応援は、今や多くのスポーツに広まって、当たり前の存在になりました。

蕨市の盛り上げにも活躍する影山洋さん

そしてこの春、影山さんは、東京ドームで行われたメジャーリーグのカブス対ドジャースの開幕戦でも、大役を任されることになりました。それは、初めての国旗。試合開始前のセレモニーで使われる、幅30メートルの日の丸と星条旗の製作でした。

国のシンボル・国旗に汚れを付けたり、穴を開けたりすることは決して許されません。3月10日に納品した後も、影山さんは毎日毎日東京ドームに通って、抜かりのないように、細心の準備をしました。そして、メジャーリーグ機構の厳しいチェックもクリアして、開幕当日を迎えます。

ベーブ・ルースから大谷翔平まで、日米の野球・90年の歴史の映像が流れて、無事に大きな日の丸と星条旗が現れると、影山さんも胸が熱くなりました。

『あの王さん・長嶋さんが躍動した後楽園球場を継いだ東京ドームで行われる、かつてない野球の試合で、自分の本業で関わることが出来ているんだ!』

そして、このメジャーリーグ開幕戦の興奮も冷めやらぬなか、今度はサッカーの日本代表が、8大会連続のFIFAワールドカップ出場を決めました。実は影山さんには、まだまだ大きな夢があります。

「いつか、サッカー日本代表がワールドカップの決勝戦を迎えた日の朝、富士山の近くで、おっきな富士山をバックにおっきな日の丸を掲げて、選手にエールを送りたいんです!」

亡き親友への思いを胸に生まれた、日本におけるビッグフラッグによるスポーツ応援。その応援文化のパイオニア・影山さんの夢は、きっと叶う日が来ると信じて、さらに大きく膨らみ続けます。

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