戦後79年目の慰霊の日を迎える沖縄 平和をめぐる現状と課題とは

6月21日(金)、ニュースキャスター長野智子がパーソナリティを務めるラジオ番組「長野智子アップデート」(文化放送・15時30分~17時)が放送。午後4時台「ニュースアップデート」のコーナーで、沖縄国際大学教授・前泊博盛氏を招き、6月23日に慰霊の日を迎える沖縄県の状況について話を伺った。
長野智子「どうですか?いま慰霊の日を前に沖縄はどんな様子ですか?」
前泊博盛「例年になく厳しい情勢。というのは『台湾有事は沖縄有事、沖縄有事は日本有事』というような言葉がこの1、2年ずっと言われてきて。それから自衛隊の配備がものすごく急速に進んでいる。辺野古の新しい基地についてもどんどん進んでいる。そういう意味では基地の負担がどんどん増えてきて、まるで沖縄戦の前の旧日本軍の32軍が配備された時と同じような感じがすると。そうやって戦争体験者たちが語るような、そんな時代になってきてますね」
長野「わたしも報道を見ていて台湾有事とか沖縄有事とか、有事に備えることは大切ですけれども、まるで有事ありきでいろんなものが進みすぎだなっていうのは本当に感じます」
前泊「そうなんですよね。台湾の人たちに聞くと『なぜ急に日本は台湾有事と言い出したんだ?』っていうことを言われたり、中国の政治関係者たちからも『台湾の総統就任のときに30人もの国会議員が参加したのは日本だけだ。台湾有事の際は日本全体が火だるまになりますよ?』というような発言があったりして、非常にギクシャクしているのが強まった感じがしますね」
長野「そうですか。そこでいま慰霊の日を迎えるっていうことで、なるべく平和を願うメッセージを強く出していきたいっていう思いなんでしょうか?やっぱり沖縄の方は」
前泊「そうですね。ちょうどいま追加刻銘も終わったところですけれども、沖縄戦で一体何人が犠牲になったかっていうのは、いまだに明確でない部分がありますよね。全戦没者は20万人を超したと言ってますけれども、沖縄県出身の軍属が2万8228人とか、ほかの都道府県出身者は6万5908人とか、こんな形で兵隊たちの数は犠牲者数はわかるんですが、一般県民はザッと9万4000人っていう百の位も出てこないぐらいアバウトな数字なんですね。これは平和の礎(いしじ)という戦没者の刻銘がされている碑があるんですけれども、その碑をご覧になった方は気がつくと思うのですが“比嘉さんの子”とか“宮城さんの娘”とか名前すらもわからない、一家が全滅してしまって記録がない、戸籍も住民票も戦争でなくなってしまって、沖縄戦が終わった後にやり始めるのは戸籍をもう一度作り直すところから始まってるぐらいですね。戦争によって本当にたくさんのものが失われたけども、『またもう一度沖縄戦がきそうな新たな戦前が始まっているんじゃないか』っていう、そんな声が聞こえてくるのはちょっと残念ですね」
長野「本当にそうですね。いま前泊さんがおっしゃった刻銘板の追記ということなんですが、19日に糸満市の平和祈念公園で新たに申告があった戦没者、今回181人の方の名前が刻まれた刻銘板が設置されたということで。ザッと9万4000人って、この記録というかその日のことが日本人全体で共有されていないもどかしさっていうのはありますか?」
前泊「ありますね。9万4000人を9万4444人とか、最後の一人までしっかり犠牲になったのは誰かというのを丁寧に記録をすることがこの国の政府の義務ではないかと思いますね。軍人の数は最後までわかるけれども、国民は犠牲になって何人かわからないっていう、そんな状況が放置されて79年が過ぎようとしています」
NHKを辞めて“飯塚事件”を徹底追求!「正義の行方」作者・監督がゲストに登場
お笑いタレント、大竹まことが同世代や全世代の男女に向けてお送りしているラジオ番組『大竹まことゴールデンラジオ』(文化放送・毎週月〜金曜13:00~15:30) が6月21日に放送され、講談社から飯塚事件をテーマにした著書『正義の行方』が発売中の木寺一孝さんが出演。パートナーで作家の室井佑月とともに、飯塚事件について伺った。
大竹「ええと、『正義の行方』という御本は、この4月に映画化もされて、それが今も上演中ということですね。飯塚事件を丹念に取材されていますが、最初にこの事件のあらましについてちょっと教えていただけますか」
木寺「1992年の2月に福岡県飯塚市という、もともと炭鉱の町だったところで、小学1年の2人の少女が忽然と姿を消して、翌日そこから離れた甘木市の山中で、遺体となって発見されたという痛ましい事件です。実は証拠がほとんどなくて、犯人の逮捕まで2年7カ月かかるんですね。そこで逮捕されたのが近所に住む当時56歳の男性、久間三千年(くまみちとし)元死刑囚。この事件の特徴は、その人がずっと無実を主張して直接的な証拠がないことです。でもあっという間に裁判では死刑が確定します。当時、死刑の執行はスピードが早まっていたとは言え、本人が自白をしていない、証拠がない、裁判のやり直しを求める動きもある中で、2年という短い時間で死刑が執行されて、そして死刑執行後の再審請求が今も続いています」
室井「なんでそんなに早まったんですか?」
木寺「これはもうブラックボックスなんですよね。まあ陰謀論的には、「西の飯塚、東の足利」とも言われる足利事件があって、こちらは菅家利和さんという方がDNA型鑑定で逮捕されたんですけども、改めてDNA型を再鑑定したら無罪だったんです。実はそのDNA鑑定はMCT118型という古いタイプで、飯塚事件と同じなんです。それで、足利事件で再鑑定をやるかどうかが進んでいた中で、飯塚事件の久間元死刑囚の死刑執行が行われたんですね。ここがちょっと疑念を持ってしまうというんですね」
室井「私、すごい不思議でならないんですけど、今の進んだ科学だったら、もっと詳しく鑑定できるかもしれないじゃないですか」
木寺「先日、鹿児島県警のニュースがありましたけれども、要するに証拠を保全するなと、警察自体がやっていたというんですね。日本にはDNA型鑑定の血液だとか、そういう科学的証拠や資料を保全しなさいっていう法律が無いので、もうやりたい放題なんですね」
大竹「日本にないということは、他所の国ではそれはあるんですか?」
木寺「これは世界の趨勢といいますか、スタンダードになってきています」
大竹「木寺さんは、最初、NHKにいらしたんですよね。この事件にどういうふうに関わってらしたんですか?」
木寺「2009年に再審が始まった時、死刑を求める被害者遺族のドキュメンタリーをやっていまして、その取材の中でこのケースを知りました。最初は弁護側の取材からスタートしたんですが、NHK的には死刑が執行された事件を番組で扱うのは、非常にハードルが高いんですね。要するに確信を持ってないといけない。弁護団さえ掴んでいない証拠を持ってるのかと、上司からは、本当に軽く考えるなと言われました。「この事件、この番組を作るっていうことは、世の中がひっくり返るっていうことなんだからな」と、かなり怒られました(笑)」
大竹「で、怒られて、その後どうしたんですか?」
木寺「その後、2012年ぐらいから撮影を始めました。それはようやく再審の動きが弁護団に高まってきて、DNA型鑑定に捏造の疑いがあると、警察がどうも切り貼りのようなことをしていると。そういうことが動き始めた時期で、これはもしかしたら再審になるかもしれないということで、1年半ぐらい密着して撮影をしたんですね。この時も再審が開始したらというハードルがありました。それで70時間ぐらい撮影したんですけど、結局2017年に再審が棄却ということになって、ちょっとお蔵入りに」
大竹「膨大なやつが。何年もかかって調べたやつが」
木寺「そこから、どうにかしたいと思って、もう数えられないきれないぐらい提案を書き直したんですよ。NHKってA4の紙で企画書を出して、そこでお金を貰うわけですけど、もうあらゆる手を尽くして書いたんです」
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