林家たい平、めでたく還暦! 60歳の誕生日当日におくる特別番組『“何かあったのか?”「還暦スペシャル」林家たい平~ホンネで語れる 60歳~』放送決定!

文化放送は、落語家の林家たい平がパーソナリティを務める特別番組『“何かあったのか?”「還暦スペシャル」林家たい平~ホンネで語れる 60歳~』を、12月6日(金)午後7時00分より放送する。

日本最長寿の演芸番組『笑点』(日本テレビ系)、そして日本香堂のCMソング「青雲の歌」での歌声でもお馴染みの林家たい平。文化放送では、レギュラー番組『タイヘイグループ presents 林家たい平 たいあん吉日!おかしら付き♪』(毎週日曜日 午前8時00分~8時30分)に出演中で、日曜日の朝からエネルギッシュな元気を届けている。

当番組は、そんな林家たい平がめでたく還暦を迎えることを祝した特別番組。12月6日、60歳の誕生日当日に送る還暦スペシャルとなる。

60歳の節目を迎える今。世の中の出来事から日々の振る舞い、そして何気ない心遣いまで…。“昭和の男”林家たい平がこれまでに経験したこと、学んできたこと、先輩から教わってきたことを、これからは次の世代に“オトナのホンネ”で伝える時がやってきた。内海好江師匠や、古今亭志ん朝師匠といった師匠たちと共に過ごした時間の中で、かけられた言葉とは――。時には真面目な話や思わず膝を叩きたくなるような「ガテン」な話も交えながら、これからの人たちに語り伝えていきたい話を、『笑点』仲間でもある後輩落語家の桂宮治とのやりとりで楽しくお届けする。

番組の進行&アシスタントは、『たいあん吉日!おかしら付き♪』でも息ピッタリのトークを繰り広げている坂口愛美アナウンサーが担当する。さらに番組の後半には林家たい平の一番弟子である漫談家の林家あずみも駆けつけて、60歳の誕生日に色を添える「音曲」も披露する予定だ。

そして今回は特別に、「60歳」の誕生日に「60分」の特番ということで、「60名」のリスナーにプレゼントも。レギュラー番組『たいあん吉日!おかしら付き♪』の収録の際に撮った選りすぐりのスナップ写真で作った、令和七年のカレンダーをプレゼント。今回の特番の放送を記念して、林家たい平が制作したスペシャルカレンダーとなる。応募の詳細は、番組内で発表となる。

【特別番組概要】
■番組名: 『“何かあったのか?”「還暦スペシャル」林家たい平~ホンネで語れる 60歳~』
■放送日時: 2024年12月6日(金) 午後7時00分~8時00分
■出演: 林家たい平
ゲスト: 桂宮治
進行・アシスタント: 坂口愛美(文化放送アナウンサー)
■メールアドレス: taihei@joqr.net
■推奨ハッシュタグ: #たい平還暦スペシャル

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亡き親友との約束胸に「スタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい」

プロ野球をはじめ、先日のメジャーリーグ開幕戦、そしてサッカーのJリーグでもよく目立つのが、巨大なフラッグによる応援です。今回は、このスポーツ応援に欠かせないビッグフラッグを染め上げている男性のお話です。

影山洋さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

日本一小さな市・埼玉県蕨市に、一軒の工房があります。有限会社染太郎、スポーツの試合で現れる大きな旗を作る会社です。トップは、影山洋さん、昭和30年生まれの69歳です。

蕨出身の影山さんは、小さい頃は空き地で友達とサッカーボールを蹴ったり、お小遣いがたまると後楽園球場へ行って、王さん・長嶋さんの野球を見て育ちました。そして、百貨店で催事のお知らせをする巨大な垂れ幕を作る会社に勤めます。

仕事に脂がのってきた30代のある日、影山さんは小さい頃のサッカー仲間で、当時の読売クラブに在籍していた奥田卓良選手から、こんな話を聞きました。

「今度、日本でもサッカーのプロリーグが始まるんだ。絶対応援してくれよ!」

「だったら、ヨーロッパみたいに、おっきな応援フラッグを作って、応援するよ!」

影山さんがそう答えて迎えた1993年5月15日のJリーグ開幕の日。国立競技場の熱狂の渦のなかに、奥田さんの姿はありませんでした。奥田さんは不慮の交通事故で、Jリーグを見ることなくこの世を去っていたのです。

『奥田との約束を守るためにも、日本のスタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい!』

そう思った影山さんは、会社勤めを辞め、自ら応援フラッグを作る会社を興します。地元・埼玉の浦和レッズの熱いサポーターたちとつながると、話が盛り上がって、今までにない幅50メートルのビッグフラッグを作るプロジェクトが始まりました。

影山さんが手掛けたビッグフラッグの数々

参考になったのはもちろん、影山さんが長年培ってきたデパートの垂れ幕のノウハウ。パソコンもあまり普及していない時代、設計図を元に1枚1枚刷毛で塗る手作業でした。ただ、ビッグフラッグを作っても、出来栄えを確かめられる広いスペースもなければ、対応してもらえる競技場もありませんでした。

ようやく人前で披露できる環境が整ったのは、2001年のJリーグ・レッズ対マリノス戦。埼玉スタジアム2002のこけら落としの試合でした。影山さんたちがドキドキ見守る中、ピッチに大きく真っ赤なフラッグが広げられると、スタンドからは「オーッ!」と地鳴りのような歓声が沸き上がりました。

翌日から、影山さんの会社の電話は、様々なチームからの問い合わせで鳴りやまなくなりました。

「私たちもレッズみたいな、熱い応援をしたいんです!」

数ある問い合わせの中に、情熱のこもったメッセージを届けてくれた人がいました。それは、プロ野球・千葉ロッテマリーンズの応援団の方々でした。影山さんは、競技の違いを乗り越えて、新しい応援スタイルが広まっていくことに、喜びを感じながら、さらに大きい幅75メートルものビッグフラッグを作り上げました。

このフラッグが、千葉・幕張のスタジアムの応援席に広げられると、今度はプロ野球チームの関係者からの問い合わせが相次ぎました。こうしてサッカーではレッズ、野球はマリーンズから始まったビッグフラッグによる応援は、今や多くのスポーツに広まって、当たり前の存在になりました。

蕨市の盛り上げにも活躍する影山洋さん

そしてこの春、影山さんは、東京ドームで行われたメジャーリーグのカブス対ドジャースの開幕戦でも、大役を任されることになりました。それは、初めての国旗。試合開始前のセレモニーで使われる、幅30メートルの日の丸と星条旗の製作でした。

国のシンボル・国旗に汚れを付けたり、穴を開けたりすることは決して許されません。3月10日に納品した後も、影山さんは毎日毎日東京ドームに通って、抜かりのないように、細心の準備をしました。そして、メジャーリーグ機構の厳しいチェックもクリアして、開幕当日を迎えます。

ベーブ・ルースから大谷翔平まで、日米の野球・90年の歴史の映像が流れて、無事に大きな日の丸と星条旗が現れると、影山さんも胸が熱くなりました。

『あの王さん・長嶋さんが躍動した後楽園球場を継いだ東京ドームで行われる、かつてない野球の試合で、自分の本業で関わることが出来ているんだ!』

そして、このメジャーリーグ開幕戦の興奮も冷めやらぬなか、今度はサッカーの日本代表が、8大会連続のFIFAワールドカップ出場を決めました。実は影山さんには、まだまだ大きな夢があります。

「いつか、サッカー日本代表がワールドカップの決勝戦を迎えた日の朝、富士山の近くで、おっきな富士山をバックにおっきな日の丸を掲げて、選手にエールを送りたいんです!」

亡き親友への思いを胸に生まれた、日本におけるビッグフラッグによるスポーツ応援。その応援文化のパイオニア・影山さんの夢は、きっと叶う日が来ると信じて、さらに大きく膨らみ続けます。

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