小倉智昭さんの思い出

12月9日の午後、人気キャスターとして活躍した小倉智昭さんが亡くなりました。77歳でした。12月10日の「くにまる食堂(文化放送)」では、小倉智昭さんと親交が深かった野村邦丸アナウンサーが思い出を語った。

村尾信尚「邦丸さんは小倉さんと長いお付き合いがあったようですが、どんな出会いから始まったんですか?」
邦丸「学生時代に競馬中継のアルバイトをすることになったんですけど、その時のメインの司会者が小倉智昭さんだったんです」
村尾「その時は邦丸さんから見れば雲の上の人みたいな存在だったんですか?」
邦丸「そうです。喋ったことなかったです。小倉さんはまだテレビ東京をお辞めになって、フリーになって、売れっ子司会者になる前夜の時代でした」
村尾「その頃の小倉さんってどんな感じでした?」
邦丸「あんまり人付き合いは良くなかったと思います。仕事はきちっとやってらっしゃいました。学生の私から見てもプロだなと思ってました。でもスタッフとみんなでどこかに行くっていう感じではなかったです」
村尾「それがどうして親しくなったんですか?」
邦丸「私がその後、茨城放送に就職して10年後に退社して、文化放送に途中入社して、しばらくスポーツアナウンサーをやっていたんですが、何年か経った時に小倉智昭さんに御挨拶をちゃんとしたほうがいいんじゃないかと思いまして…」
村尾「小倉さんと邦丸さんは出会ってから10年以上ブランクがあったわけですよね?」
邦丸「ブランクと感じるのは私だけで小倉さんからするとブランクも何もないですけど(笑)。それで挨拶に行って『実は10数年前に学生バイトで競馬中継を…』って言ったら小倉さんが『お前あそこにいたの?へぇ~』って言ってニヤッと笑って『お前今何やってんの?』って聞いてくれたんです。それで『スポーツ部のアナウンサーと朝の番組やってます』って答えたら『えっ、あの番組お前がやってんの?』って言ってくださったんです」
村尾「ということは聴いてくれていたわけですね」
邦丸「聴いてくださっていたんです。それからです。小倉さんから声をかけていただくようになったのは」

番組では、この他にも野村邦丸が小倉智昭さんとの思い出を語っています。もっと知りたいという方はradikoのタイムフリー機能でお楽しみ下さい。

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サンド伊達「文句言って入れられるの嫌だから……」入国審査で静かに2時間半待機

12月7日(土)、お笑いコンビ・サンドウィッチマンの伊達みきおと富澤たけしがパーソナリティを務めるラジオ番組「サンドウィッチマン ザ・ラジオショーサタデー」(ニッポン放送・毎週土曜13時~15時)が放送。先週「サンドウィッチマン単独ライブ ロサンゼルス公演」を無事に終えたことを番組内で報告すると共に、渡米後すぐに直面したある出来事への不満を爆発させた。

サンドウィッチマン、東島衣里アナウンサー

伊達:羽田からロサンゼルス空港着きますよね。そこから入国審査っていうのがあるわけですよ。パスポートを見せたりだとか、何のためにこの国に来たんだとか。

富澤:比較的アメリカの方は帰国になるからスッて通れるんですよね。

伊達:自国の方はね。ただ海外から来た人っていうのは審査があるわけですよ。

富澤:到着してから2時間半ですよ。空港を出るまでに。

伊達:これがまたずーっと立ってね。ディズニーランドとかで並んでるみたいな感じ。ずーっと少しずつ動くの。でさ、窓口は20個くらいあるの。

富澤:いっぱいある。

伊達:ただ機能してる窓口が4つくらいしかないんだよ。

富澤:人いないのよ。

伊達:人がいないっていうか……、セキュリティーの人がやるんですけど、窓口に行きゃいいのにくっちゃべってる。なんか楽しそうに。

富澤:あいつがあそこ入れば良いんじゃないの?って、こっちは見てて思う。

伊達:あのセキュリティーの塊がひとりひとり窓口に行けばもっとすんなり行くのに。

入国審査の手際の悪さに納得のいかなかった2人ではあったが、今年で50歳を迎えた大人の余裕からか、文句も言わずにおとなしく長蛇の列に並んでいたという。
だがどうやら真実は少し違っていたようで……。

伊達:こっちはなんも言えないから。文句言って牢屋に入れられるの嫌だから。

富澤:怖いからね。

伊達:なんかな。みんな体大きいしさ……。

屈強な男たちを目の前に恐怖に怯えていただけだったのだという。舞台上では饒舌な2人ではあるが、異国では借りてきた猫のようにだんまりを決め込んでいたようだ。

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