鈴木エイト「10月の衆議院選挙を取材」

宗教と政治の問題を追い続けているジャーナリストの鈴木エイト。12月10日の「大竹まことゴールデンラジオ(文化放送)」では、自身が足を運んだ注目の選挙区について語った。

大竹「10月には衆議院議員選挙がありました。自民党と統一教会の関係はどうなっていたんですか?」
鈴木「統一教会は全国に5か所の地区があるんですけど。その中の1つの地区の内部資料を入手したところ、2021年までは全自民党国会議員を当選させるために全面的な支援をしていました。それが前回までの衆議院選挙だったんですが、今回はさすがにそれができなくなってしまいました。自民党側から完全に絶縁宣言されている以上、あえて全面応援する意味がなくなってしまった。それなので全面応援はしてこなかったんですけれども、一方、個別で危うい候補者から依頼があった場合は応援をしていなかったとはいえないと幹部が言っていたようです」
大竹「へぇ~、そうなんだ。そんな中、エイトさんが注目した選挙区は世耕さんのところ」
鈴木「そこは統一教会問題とは別なんですけれども、単純に世耕さんがどんな選挙戦を展開するのか興味がありました。世耕さんは二階さんの三男と実質一騎打ちだったので、現地に行ってみたんですけれども、とにかく広いんですよ。関西空港からレンタカー借りて和歌山に入ろうと思ったんですけど、当日の遊説場所を陣営に聞いてナビを入れたら普通に片道2時間とか出ちゃうんですよ」

この他にも番組では、鈴木エイトが取材した注目の選挙区の話をしています。

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小倉智昭さんの思い出

12月9日の午後、人気キャスターとして活躍した小倉智昭さんが亡くなりました。77歳でした。12月10日の「くにまる食堂(文化放送)」では、小倉智昭さんと親交が深かった野村邦丸アナウンサーが思い出を語った。

村尾信尚「邦丸さんは小倉さんと長いお付き合いがあったようですが、どんな出会いから始まったんですか?」
邦丸「学生時代に競馬中継のアルバイトをすることになったんですけど、その時のメインの司会者が小倉智昭さんだったんです」
村尾「その時は邦丸さんから見れば雲の上の人みたいな存在だったんですか?」
邦丸「そうです。喋ったことなかったです。小倉さんはまだテレビ東京をお辞めになって、フリーになって、売れっ子司会者になる前夜の時代でした」
村尾「その頃の小倉さんってどんな感じでした?」
邦丸「あんまり人付き合いは良くなかったと思います。仕事はきちっとやってらっしゃいました。学生の私から見てもプロだなと思ってました。でもスタッフとみんなでどこかに行くっていう感じではなかったです」
村尾「それがどうして親しくなったんですか?」
邦丸「私がその後、茨城放送に就職して10年後に退社して、文化放送に途中入社して、しばらくスポーツアナウンサーをやっていたんですが、何年か経った時に小倉智昭さんに御挨拶をちゃんとしたほうがいいんじゃないかと思いまして…」
村尾「小倉さんと邦丸さんは出会ってから10年以上ブランクがあったわけですよね?」
邦丸「ブランクと感じるのは私だけで小倉さんからするとブランクも何もないですけど(笑)。それで挨拶に行って『実は10数年前に学生バイトで競馬中継を…』って言ったら小倉さんが『お前あそこにいたの?へぇ~』って言ってニヤッと笑って『お前今何やってんの?』って聞いてくれたんです。それで『スポーツ部のアナウンサーと朝の番組やってます』って答えたら『えっ、あの番組お前がやってんの?』って言ってくださったんです」
村尾「ということは聴いてくれていたわけですね」
邦丸「聴いてくださっていたんです。それからです。小倉さんから声をかけていただくようになったのは」

番組では、この他にも野村邦丸が小倉智昭さんとの思い出を語っています。もっと知りたいという方はradikoのタイムフリー機能でお楽しみ下さい。

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