総裁選、高市氏の勝因や発言の意図をプチ鹿島が徹底分析!

フリーライターの武田砂鉄が生放送でお送りする朝の生ワイド「武田砂鉄ラジオマガジン」(文化放送)。10月9日(木)8時台のコーナー「ラジマガコラム」では、時事芸人・プチ鹿島が総裁選で勝利した高市早苗氏の戦略や勝因について分析した。

武田砂鉄「今日のテーマは何になりますかね?」

プチ鹿島「はい、『フルスペックで古い自民党全開の笑止千万』。笑止千万っていうのはタブロイド紙の日刊ゲンダイがよく使う言葉で、ちょっと利用してみました。ここでいうフルスペックっていうのは今回総裁選で麻生さんの復活とか派閥復活とか、裏金議員登用とか古いオールスターのフルスペックっていう意味なんですけども、改めて決戦投票を振り返りたいんですが、どうでした? 僕は高市さんが小泉進次郎さんを破ったのは当然だと思ったんですよね。というのは政治家というのは言葉が命ですから、僕らが目の前で見える議論を前提とすると、やっぱり小泉さんって決戦投票直前の演説ってなんか感謝とお礼みたいなことしか言ってなかったじゃないですか。『えっ、何これ?』って(笑)」

武田「『僕すごく頑張りましたし、皆さん本当ありがとうございました』みたいな」

鹿島「打ち上げの挨拶みたいな感じ。ただそれに対して高市さんは報道によるともう最大の勝負どころとして臨んで、もう原稿を繰り返し練習していたと。実際1年前に石破さんに決戦投票で負けたじゃないですか。その時の報道では最後のスピーチで石破さんに決めた議員は多いと思う。高市さんはもっと準備すべきだった。時間もオーバーしたりしてちょっとチグハグだったんですよ。だからそれを考えると1年前のリベンジをちゃんと言葉で果たしたっていうのは、僕は高市さん、あれ評価されるべきところだと思うんですよね。ただそうは言っても自民党総裁選っていうのは内輪の選挙でもあるので、世間とのギャップが可視化されるじゃないですか。じゃあ言葉だけでみんな投票したかって言ったら、例えば麻生派が動いたとか……これすごかったですよね。例えば麻生さんは1回目の投票では小林鷹之さんと茂木敏充さんに投票するように呼びかけたんですって。で、2回目決戦投票になったらその小林さんと茂木さんに『じゃあ高市さんに投票しろ』っていう。そうすると貸し借りができるからで、茂木さんなんかまた重要閣僚になるでしょう? なんかそういうからくりがあるんだっていうと、やっぱりこれ表で見える言論と、裏でどうからくりで決まるのかっていう可視化がね、そのねじれって僕は見るの大事だと思っていて。例えばそれで『ワークライフバランス発言』もいろんな方が解説してるしコメントしてるんですけど、僕が注目したのは次の2点なんですね。まず、おじさんたちの笑い声がたくさんあった」

武田「直後から爆笑というかね」

鹿島「『ゲラゲラ』って感じでしたもんね。つまりあの場ではあの言い方がウケるっていうことなんですよ。で、発言はあれどこで出たかって言ったら国会とかじゃなく自民党の建物の中。やっぱり思うに常日頃自民党内では『働き方改革なんて言うけどよ』とか」

武田「『言ってっけどさ、実際はさ』みたいなね」

鹿島「『バリバリ働いた奴が偉いんだよ』みたいな空気が前提としてあるから発言が受ける。チョイスすると受けるってことですよね。僕政治家の発言って、それをどこで言ったのかっていうのがキーポイントだと思っていて、森喜朗元総理の発言や人生を追うのが僕のライフワークバランスなんですが、例えばこんなこと言ってるんです。『言葉は悪いが大阪は痰壺だ』って。酷いでしょ? でもこれどこで言ってたかって言うと京都市内で行われた懇談会なんです。つまり京都人の前で大阪の悪口言ったら受けるだろうなっていう。まあそういうリップサービスなんでしょうね、本人からするとね。あとこれも有名ですが『日本の国、まさに天皇を中心としている神の国』。これも神道ですよね、神道の懇談会で言ってる。だからその場でこれを言えば受けるだろうっていう。だから高市さんもあの発言っていうのは、『自民党のこのおじさんたちの前でこれチョイスすれば受けるだろう』っていうのが働いたのかなっていうのはまずひとつ。あともうひとつ、そのワークライフバランスの発言の文脈前後を聞くと、やっぱり高市さんは『一致団結をしてみんなで働きましょう』って呼びかけてるんですよ。そうすると『じゃあ別に問題ないじゃん、高市さんの何を責めるんだ』っていう人もいるかもしれないけど、ここもポイントで『みんなで働きましょう』っていうみんなの中には、萩生田さんとか裏金議員も含まれてるってことなんですよね」

武田「そうね(笑)」

鹿島「そういうことなんですよ。だから美談のようなスピーチですが、『みんなで働きますよ、どんどん』っていうのは『裏金議員も問題なし』っていう、どさくさの事実確認みたいな、そういう宣言だと思うと、やっぱりあの発言大事だと思うんですよね」

この後も、プチ鹿島さんによる高市総裁についての深い分析が続きました。

タグ

自動車修理工場の女性社長が「自動販売機のハンバーガー」を開発

トラックなどのドライバーさんのなかには、昭和の頃は、よく幹線道路沿いにあった自動販売機のハンバーガーで、お腹を満たした経験がある方もいらっしゃることでしょう。じつは最近、令和版の「自動販売機のハンバーガー」がじわりじわりと増えているんです。今回は、この自動販売機のハンバーガーを手掛けている自動車修理工場の方のお話です。

ハンバーガー自販機と小林さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

東京・新宿から中央道の高速バス、または新幹線と飯田線の特急「伊那路」を乗り継いで、およそ4時間の長野県飯田市に「ガレージいじりや」という自動車修理工場があります。敷地内には、トヨタ・パプリカ、マツダ・シャンテをはじめ、昭和の車がズラリ。しかも、工場の前にある懐かしい自動販売機コーナーが目を引きます。

お店の代表・小林由季さんは、埼玉県出身の41歳。小さい頃、ちょうどミニ四駆が大人気だったこともあって、クルマに興味を持ちました。19歳でオートマチック車限定の運転免許を取ると、街を颯爽と駆け抜けていった、白い「マツダ・RX7」に心躍ります。

『カッコいい!あのクルマに乗りたい!!』

そう思った小林さんは、知り合いの自動車関係者に相談すると、軽くあしらわれました。「RX7? アンタ、あのクルマ、マニュアルだし、ロータリーエンジンって知ってるの? 乗りたいなら、自分で自動車が整備出来ないと、まず無理だよ」

愛車のマツダ・シャンテと小林さん

マニュアルもロータリーエンジンも、全くチンプンカンプンだった小林さんですが、乗りたい思いが高まって、マニュアルで免許を取り直し、自動車整備士を目指します。男社会の自動車修理工場で、厳しい試練を乗り越えて、見事、整備士資格を取得。縁あって信州に移り住むと、趣味で借りたガレージで、ノーマルタイヤからスタッドレスタイヤへの履き替えを請け負ったことをきっかけに、2010年、自ら自動車修理工場を立ち上げました。

やがて、工場のスタッフが昭和43年製・スバル360の修復を成し遂げたことから、小林さんも古い車に興味を持ち、旧車が続々持ち込まれて、車雑誌にも注目されます。あれよあれよと、旧車好きならまず知らない人はいない工場に成長。小林さんは雑誌連載企画で、旧車でレトロな自動販売機巡りをすることになりました。

ところが、ここで小林さんは大変なことが起きていたことに気付くんです。

『大きな道路沿いにたくさんあったハンバーガーやうどん・そばの自動販売機コーナーがどんどん無くなっている……』

24時間営業のコンビニエンスストアが増えた一方で、自動販売機は経年劣化、オーナーさんの高齢化も進んで、自動販売機コーナーは次々と姿を消していたんです。そんな折、小林さんはお祖父さまを亡くしたことで、小さい頃、自動販売機のハンバーガーをなかなか買ってもらえなかった記憶がよみがえりました。

『あの思い出の、自動販売機のハンバーガーを残したい。ならば、ハンバーガーを作っている食品メーカーを助けよう!』

自動販売機コーナー

そうひらめいた小林さんは、さっそく自動販売機用のハンバーガーを仕入れます。自動車工場の前に冷蔵機能付きの自動販売機と電子レンジを設置して販売を始めると、ちょうどコロナ禍と重なったことで、テイクアウトのニーズをつかんで大繁盛。各地のレトロ自動販売機で売れたハンバーガーのおよそ4倍を1台で売り上げました。

小林さんはもうイケイケドンドン、自動販売機を増やして各地で大人気となりますが、あまりの売れ行きにハンバーガーメーカーのほうが悲鳴を上げてしまいます。安定した納品が出来ないので、もう勘弁してくれませんか、と言われてしまったのです。代わる製造業者も無く、困り果てた小林さん、思い切りました。

『ハンバーガーを作ってくれる会社が無いなら、自分の会社で作ってしまおう!』

もちろん、小林さんは自動車整備士ではありますが、食品の知識は全くゼロ。体当たりで、様々な食品製造に関する許可や食品衛生を、片っ端から学んでいきます。食品部門の「いじりやフードサービス」も立ち上げ、ハンバーガーを作ってみましたが、パンはパサつき、肉の脂は溶け出し、レタスなどの生野菜は安全性の面で使えません。しかも、自動車修理工場と食品工場の二刀流で、睡眠時間3時間の日々が続きました。

ふんわりバンズのチーズバーガー

それでも試行錯誤を繰り返し、味やソースにもこだわったチーズバーガーに辿り着いて、安定した製造、出荷も出来るようになりました。今は、全国で39台の自動販売機が元気に稼働中。自動車修理工場生まれの自動販売機とハンバーガーは、各地域で話題になっています。

「気合と根性でやってきました」と笑う小林さんですが、やりたいことはいっぱいです。

「レストランもやってみたいですし、クルマのテーマパークがあっても面白いですよね。ハンバーガー片手にみんなに巡ってもらって。夢は大きく持てば、きっと叶います!」

「RX7に乗りたい」から始まった小林さんの夢、今はまだ、その途中です。

Facebook

ページトップへ