菅井友香、料理教室に通い始める!「基礎から学びたかった」

10月16日(木)、女優の菅井友香がパーソナリティを務めるラジオ番組「サントリー生ビールpresents『菅井友香の#今日も推しとがんばりき』(文化放送・毎週木曜日21時30分~22時)が放送。菅井友香が、料理の腕を磨くために料理教室に通い始めたことを明かし料理教室で習った料理や起きたエピソードを語った。

-「このままじゃいけないなと思って」-

最近料理を頑張っているという菅井。番組内でもたびたび料理下手を逆手に取り「ゆっかーがクッカーに挑戦」とネタにしてきたが、「人生このままじゃいけない」と思い料理教室に通い始めたという。

月1回ではあるものの、基礎からしっかりと教えてくれるところを選んだそう。教室は少人数制で、多くても1回のレッスンは4人ほど。最近は10代の受講生と2人でカレー、グラタンを一緒に作ったという。

先生に作り方を教えてもらった後、受講生2人でどうやって作るのが効率がいいか話し合う時間があったそうで、「初対面の子と温めてる間に計量とかできますかねとか話し合いながら」と、緊張もありつつ楽しく作れたと振り返った。10代であることが判明したのは食事のタイミングで菅井が逆に年齢を尋ねられ正直に答えたところ「え?10代かと思ってました!」と言われたそうで、「お世辞ですけど、ちょっと嬉しかった。でも「同い年ぐらいかと思いました」なんてお世辞を受ける身になってしまったのかと思った」と笑いながら語った。

教室では学びも多く、そぼろ二色丼はプロの味付けになったと自信をのぞかせた。ポイントはそぼろに入れる生姜だという。また、特に印象に残ったのが、調味料の「大さじ」の測り方。「すりきりではなくて表面張力でぷくっとなるのが本当の“大さじ”なんだというのをちゃんと学びました」と新しい発見に感動した様子であった。

包丁の使い方も指導を受け、「体は正面じゃなくて斜め45度に構えるのが正しい姿勢というのを教えてもらって上手に素早く切れるようになりました」と成長を実感した。

母に教わることも考えたものの、もともと料理を始めたきっかけが、数年前の“母の日の失敗”であることを挙げ「母にパエリアを作ろうとしたけど全然うまくいかなくて(笑)。ちゃんと習ったほうがいいなと思ったんです」と明かし、「今度はおいしい料理を作って母を驚かせたい」と意気込みを語った。

現在は「豚汁、グラタン、カレー、二色丼、肉じゃが」と作れるメニューが少しずつ増えていっている様子。「あとは家で1人で料理できるかというところを頑張らないとなと思っています」と前向きに語った。

タグ

自動車修理工場の女性社長が「自動販売機のハンバーガー」を開発

トラックなどのドライバーさんのなかには、昭和の頃は、よく幹線道路沿いにあった自動販売機のハンバーガーで、お腹を満たした経験がある方もいらっしゃることでしょう。じつは最近、令和版の「自動販売機のハンバーガー」がじわりじわりと増えているんです。今回は、この自動販売機のハンバーガーを手掛けている自動車修理工場の方のお話です。

ハンバーガー自販機と小林さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

東京・新宿から中央道の高速バス、または新幹線と飯田線の特急「伊那路」を乗り継いで、およそ4時間の長野県飯田市に「ガレージいじりや」という自動車修理工場があります。敷地内には、トヨタ・パプリカ、マツダ・シャンテをはじめ、昭和の車がズラリ。しかも、工場の前にある懐かしい自動販売機コーナーが目を引きます。

お店の代表・小林由季さんは、埼玉県出身の41歳。小さい頃、ちょうどミニ四駆が大人気だったこともあって、クルマに興味を持ちました。19歳でオートマチック車限定の運転免許を取ると、街を颯爽と駆け抜けていった、白い「マツダ・RX7」に心躍ります。

『カッコいい!あのクルマに乗りたい!!』

そう思った小林さんは、知り合いの自動車関係者に相談すると、軽くあしらわれました。「RX7? アンタ、あのクルマ、マニュアルだし、ロータリーエンジンって知ってるの? 乗りたいなら、自分で自動車が整備出来ないと、まず無理だよ」

愛車のマツダ・シャンテと小林さん

マニュアルもロータリーエンジンも、全くチンプンカンプンだった小林さんですが、乗りたい思いが高まって、マニュアルで免許を取り直し、自動車整備士を目指します。男社会の自動車修理工場で、厳しい試練を乗り越えて、見事、整備士資格を取得。縁あって信州に移り住むと、趣味で借りたガレージで、ノーマルタイヤからスタッドレスタイヤへの履き替えを請け負ったことをきっかけに、2010年、自ら自動車修理工場を立ち上げました。

やがて、工場のスタッフが昭和43年製・スバル360の修復を成し遂げたことから、小林さんも古い車に興味を持ち、旧車が続々持ち込まれて、車雑誌にも注目されます。あれよあれよと、旧車好きならまず知らない人はいない工場に成長。小林さんは雑誌連載企画で、旧車でレトロな自動販売機巡りをすることになりました。

ところが、ここで小林さんは大変なことが起きていたことに気付くんです。

『大きな道路沿いにたくさんあったハンバーガーやうどん・そばの自動販売機コーナーがどんどん無くなっている……』

24時間営業のコンビニエンスストアが増えた一方で、自動販売機は経年劣化、オーナーさんの高齢化も進んで、自動販売機コーナーは次々と姿を消していたんです。そんな折、小林さんはお祖父さまを亡くしたことで、小さい頃、自動販売機のハンバーガーをなかなか買ってもらえなかった記憶がよみがえりました。

『あの思い出の、自動販売機のハンバーガーを残したい。ならば、ハンバーガーを作っている食品メーカーを助けよう!』

自動販売機コーナー

そうひらめいた小林さんは、さっそく自動販売機用のハンバーガーを仕入れます。自動車工場の前に冷蔵機能付きの自動販売機と電子レンジを設置して販売を始めると、ちょうどコロナ禍と重なったことで、テイクアウトのニーズをつかんで大繁盛。各地のレトロ自動販売機で売れたハンバーガーのおよそ4倍を1台で売り上げました。

小林さんはもうイケイケドンドン、自動販売機を増やして各地で大人気となりますが、あまりの売れ行きにハンバーガーメーカーのほうが悲鳴を上げてしまいます。安定した納品が出来ないので、もう勘弁してくれませんか、と言われてしまったのです。代わる製造業者も無く、困り果てた小林さん、思い切りました。

『ハンバーガーを作ってくれる会社が無いなら、自分の会社で作ってしまおう!』

もちろん、小林さんは自動車整備士ではありますが、食品の知識は全くゼロ。体当たりで、様々な食品製造に関する許可や食品衛生を、片っ端から学んでいきます。食品部門の「いじりやフードサービス」も立ち上げ、ハンバーガーを作ってみましたが、パンはパサつき、肉の脂は溶け出し、レタスなどの生野菜は安全性の面で使えません。しかも、自動車修理工場と食品工場の二刀流で、睡眠時間3時間の日々が続きました。

ふんわりバンズのチーズバーガー

それでも試行錯誤を繰り返し、味やソースにもこだわったチーズバーガーに辿り着いて、安定した製造、出荷も出来るようになりました。今は、全国で39台の自動販売機が元気に稼働中。自動車修理工場生まれの自動販売機とハンバーガーは、各地域で話題になっています。

「気合と根性でやってきました」と笑う小林さんですが、やりたいことはいっぱいです。

「レストランもやってみたいですし、クルマのテーマパークがあっても面白いですよね。ハンバーガー片手にみんなに巡ってもらって。夢は大きく持てば、きっと叶います!」

「RX7に乗りたい」から始まった小林さんの夢、今はまだ、その途中です。

Facebook

ページトップへ