野球ゲームを1年280試合!お見送り芸人しんいち上京初期の生活に高橋真麻驚き

お笑い芸人の大竹まことが同世代や全世代の男女に向けてお送りしているラジオ番組『大竹まことゴールデンラジオ』(文化放送・毎週月〜金曜11:30~15:00)。10月2日の放送は大竹まことがお休み。ゲストにお笑いコンビ「クロコップ」の荒木好之さんと、しょうたさんを招き、ピンチヒッターのお見送り芸人しんいちさんと、パートナーの高橋真麻さんが話を聞いた。

高橋「続いてはポッドキャストでも配信しています大竹メインディッシュ。今日のお客様はこのお2人です。まずはネタからお聞きいただきましょう」

――クロコップがネタ披露――

しんいち「ありがとうございました」

高橋「ありがとうございます」

しんいち「クロコップは、そうか、マーサさん初ですね」

高橋「初めてです。しんいちさんは?」

しんいち「いやもうね、初めてとかそんな、2回目3回目とかじゃなくて、一緒に住んでました」

高橋「え、3人で?」

しんいち「赤のTシャツの帽子被ったのが荒木さん。1こ2こ上の先輩なんですけども、荒木さんと一緒に住んでた時期がありました」

高橋「へぇ~」

しんいち「東京、来たての時に」

荒木「そうですね」

高橋「クロコップは、荒木さんと、しょうたさんからなる、お2人ということですね」

しんいち「荒木さんとは大阪の松竹芸能の時に出会ってて、ずっとピン芸人やってたんですよ、荒木さん。逆にボクがコンビでやってたぐらいのその時に出会ってて」

高橋「へぇ~」

しんいち「で、仲良くなって、ボクが先、東京出てきて解散したんですよ、コンビ。解散したら部屋、空くじゃないですか。もうお金ないから。そこの部屋、相方と住んでたんですけど、そこに荒木さんがスッと入ってきて一緒に住む、みたいなことで」

高橋「おお~」

しんいち「で、何にもせえへん時期があったりしてて、ほんで、ある日、しょうたっていう同級生とコンビ組んで、ちょっとコントやっていこうと思うねんっていうのでクロコップっていうのが作られたということです」

高橋「どうして一緒に住むのを解消しちゃったんです?」

荒木「たぶん普通に、このままじゃダメだと。ずっと修学旅行の夜みたいな、ずっと楽しいだけで。大阪から夢持ってきたのに、これじゃダメだってことで」

しんいち「結構前ですけど、来て、みんなライブとかオーディションとか、それこそ事務所にも入ってなかったんで、2人で、芸人…。芸人っていう作業、一旦やってなかったですよね」

高橋「何してたんですか?」

しんいち「何してました?」

荒木「ゲーム」

スタジオ(笑)

高橋「えぇ? 生計はどうやって立ててたんですか?」

荒木「バイトです」

しんいち「バイト、ゲーム」

高橋「この2人がコンビ組もうとは思わなかった?」

しんいち「そういう感じじゃなかったんです」

荒木「それは全くなかったっすね」

しんいち「ゲームって言っても…なんて言ったらいいのかな? プロ野球ゲーム」

荒木「プロ野球スピリッツっていうゲームがあって、ペナントレースってあるじゃないですか、野球の。あれを2人がチームになって」

しんいち「140試合」

荒木「あれ、1年間で2シーズンやった」

スタジオ(笑)

高橋「本物より働いてた」

しんいち「ずーっとそのゲームやって」

荒木「それしかなかったんですよ」

しんいち「同じチームやからキャッチャーとピッチャーみたいな設定でできるんですよ」

荒木「で、ボクが「ストレートで行きたいと思う」と言うと「絶対打たれるんでやめてください」みたいな。で、「荒木さん信じてやりますわ」って投げて、ホームラン打たれて「ほらー!」とか言うのに「はぁっ」て言うため息になって」

しんいち「ほんまに腹立ったりして。で、仲悪なって。仲悪なったから一旦バイト行くかって。で、バイト行って。で、また次の日ゲームやってだけしてた」

高橋「ええ~?」

荒木「ずっとそれやってた」

高橋「じゃあ、荒木さんがしょうたさんと出会って、本格的にちょっとお笑いに本腰入れるのが結構きっかけになったのかしら」

しんいち「そうですね。だからそこが早めに動いたんですよ。荒木さんがしょうたを呼んできて、なんか紹介されてな。そこで初めて会って」

高橋「しょうたさんはそれまで何してたんです?」

しょうた「ボクは相方と中学同級生なんですけど、高校以降ちょっと別々になって、大学まで卒業して、1回アルマーニで働いてた」

高橋「うわっ! え~? なんかそう言われてみれば、今日も黒いシャツがスタイリッシュ」

しんいち「これアルマーニなん?」

しょうた「これコント衣装ですよ」

スタジオ(笑)

しょうた「働いてて辞めて、どうしようかなっていう時に誘ってもらって、じゃあ一緒にやろうっていうので」

しんいち「やりたかったん?」

しょうた「いやでも憧れはありました」

しんいち「芸人っていう職業に?」

しょうた「そうですね」

荒木「舞台みたいなの、ちょっとやってたらしい」

しんいち「やってたんや」

しょうた「お笑いじゃなくて。表に出たい気持ちはあったんで、これはチャンスだと思って、東京に来ました」

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「バスの運転士」の一言が、10年前の記憶を呼び覚ました―ラジオが結んだ、不思議な再会

先日、ニッポン放送では『上柳昌彦 あさぼらけ スペシャル ~あけの語りびと~』をお送りしました。実は8人の方を取材させていただいたのですが、皆さんのお話が、どれもドラマがあって、ご紹介しきれませんでした。

※イメージ画像

そこで、ご紹介できなかった4人の方を、4週にわたって、『あけの語りびと』でお届けしています。今週は3人目の方です。不思議なご縁で繋がるラジオネーム「すみちゃん」の物語です。

7月28日に発生した「令和8年熊本地震」。その翌日は水曜日だったので、いつもの『あけの語りびと』は、急遽お休みして、熊本からメールを送ってくださったリスナーさんに電話をつなぎました。

実はその方、10年前にもお話を伺っていたんですが、いただいたメールでは、同じ方だと分からなかったんです。お話の中で、『10年前、バスの運転士だった…』と聞いた瞬間、「あっ、あの時の!」

私の脳裏に、10年前の記憶が、鮮明に蘇ってきたんです。不思議なものですね。「バスの運転士」という言葉が、10年の時を経て、私の記憶の引き出しを開いてくれたんです。

熊本市にお住まいのラジオネーム「すみちゃん」は、50歳です。ラジオを聞くようになったのは、中学三年生の冬。受験前にインフルエンザで寝込んだ時、枕元で聞いたラジオが、とても面白かった。それが、ラジオとの出会いでした。

当時、熊本ではニッポン放送が聞けなかったので、窓際にラジオを置いて、向きを傾けたりして、雑音の中、聞いていたそうです。

「そうそう、上柳さんの声を初めて聞いたのは私が高校二年の時でしたね。こちらのローカル番組が始まる前の、夜7時10分から20分だけ、熊本放送(RKKラジオ)で、『花の係長 ヨッ!お疲れさん』がネットされていたんです。東京のラジオ局は、めちゃくちゃ面白い!と思って聞いていましたよ」

高校へ通う電車の中でもポケットラジオで聞くほど、ラジオ好きになったすみちゃんは、大学を卒業すると教員免許を取り、中学校の「技術」の教師になりました。本棚を作る木材加工や、電子製品のはんだ付けなどを教えていたそうです。

しかし、教師の仕事は勤務時間が長く、生徒や保護者への対応など、さまざまなことが重なり、別の道を考えるようになります。

子どもの頃から乗り物が大好きだったすみちゃんは、36歳のとき、市内バスの運転士になりました。始発バスを担当する日は、朝5時過ぎには発車前の点検作業を始めます。

「朝早く起きるのは、やっぱりつらいんです。眠い目をこすってラジオをつけると、あれ?上柳さんの声が流れてきたんです。『あ、うえちゃんの番組が始まったんだ!』と、朝の楽しみが生まれましたね」

ところが、番組スタートから3週間後、2016年4月14日夜9時26分、熊本地震が発生しました。その夜、地震の様子をメールで知らせてくださったすみちゃんに、翌朝、スタジオから電話をつないだんですね。

あの電話から10年が経った今、バスの運転士さんをされていないと伺って、どうされたのか、ちょっと気になって、お話を伺うと、体調を崩されたとのこと…。検査を受けると腎臓の機能が低下していて、今は週に3回の透析を受けています。昼間の仕事は難しくなって、夜、ガソリンスタンドの事務をされています。そこでは、ラジオが聞けます。

オールナイトニッポンから「あさぼらけ」へ…「明け方、ラジオから、うえちゃんの声が流れてくると、ああ、そろそろ今日も仕事が終わりだなぁ、って思うんですよ。今は、ラジオから聞こえてくる、うえちゃんの声が、ホッとする一日の締めくくりになっています」

ラジオネーム「すみちゃん」、今朝もお仕事、お疲れ様です!

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