ニュースキャスターの長野智子がパーソナリティを務める「長野智子アップデート」(文化放送・月曜日15時~17時、火~金曜日15時~17時35分)、10月19日の放送に政治ジャーナリストの角谷浩一が出演。日本とロシアの関係の歴史と現状を解説した。
長野智子「日ソ共同宣言の調印から、きょうで70年ということです。この70年間、いろいろな時期がありました」
角谷浩一「プーチン(大統領)さんもラブロフ(外務大臣)さんも今年になってからの会見で、安倍晋三(元首相)さん側を『非常に熱心で真面目な交渉で一生懸命、がんばってくれた。官僚もよくやった』みたいなことを話しているんです。うまくいかなかったけど、それなりのやりとりをした。30回ほど会談した、というのは成就しなくても、話し合うという機会をつくったこと自体に意味がある。メディアは厳しく言うけれど、成果だけでなく信頼関係の醸造というのがいちばん外交に必要だ、と思えば悪くない」
長野「はい」
角谷「まさに70年前の色丹と歯舞の返還をベースにした友好条約ができること、というところまではなんとかなりそうで。安倍さんも、それでまとまるけど、この2島を返したところに米軍が基地を置くんじゃないだろうね、という一言で止まった。苦渋だったと思います。日本国憲法より上に日米安全保障条約があるわけで。そこまで来た、という外交努力は双方、認め合っている。成果がない、ゼロベースで終わってしまった、という意味では安倍さん、『失敗』という評価を受けたけど、僕はそんなものではないと思います」
長野「外交は2つの国が自分たちの望みをぶつけ合って、簡単ではない。それまでの信頼関係で、無理筋だろうと、この人となら交渉しようか、というまでには時間がかかる」
角谷「そのチャンネルができたことで、たとえば大使館に連絡をとればプーチンさんと会談ができる、外務省を通さなくても、という関係ができるかどうか。回線の業者がいないからG7の会議ができない、と説明する首相がどこかの国にいましたけど。そんなことあるはずない。大きなモニターがない、本当かよ、と。その場しのぎみたいなことを言うんだな」
長野「なんなんでしょうね。高市首相の話、すごく違和感がありました」
角谷「どうして名前を出すの(笑)。1954年、第5次吉田茂内閣が退陣する。吉田さんはサンフランシスコ講和条約など、どちらかといえば対米戦略をずっとやってきた人です。鳩山政権ができた、鳩山一郎さんは鳩山由紀夫さんのおじいさんです。当時、まだ自由民主というものはない。自由党の鳩山一郎さん、改進党の外務大臣、重光葵さんがいた」
長野「そうですね」
角谷「日本民主党の農水大臣は河野一郎さん、太郎さんのおじいさんです。アメリカとの調整をしていた吉田さんのあと、今度はロシアだ、と。鳩山一郎さんの就任会見のとき、第3次世界大戦回避のためにも、東西陣営は貿易を盛んにすべきだ、対ソ交渉をするんだ、と言い出した。共産主義とは付き合わない、アメリカはもうしていられない、と。皆で仲良くしないといけないんだ、と。国交のない、当時のソ連と始めるわけで」
長野「うん」
角谷「付き合いはない、でもやりたい、と。翌1955年、自由民主党になって政権は安定する。保守合同で一緒になった。一方で北方領土を返さないからダメだ、という当時の自民党の右派もいっぱいいた。ソ連と付き合う必要はない、と。その一方で日本は国際社会の復帰が目的でした。国連に入りたい。入るためには常任理事国であるソ連の了解がなければ入れない。そういうことでソ連と付き合うわけです。外交がすごく戦略的でしょう。ほしいものは遠回りして取りにいこう。それが外交というものです」
このあとも日露関係の歴史と現状を角谷が解説し、今月13日、北海道新聞の記者がロシアに拘束された問題にも言及した。