日向坂46・加藤史帆が新パーソナリティ! 『レコメン!』火曜日の24時台に
文化放送は、平日夜ワイド『レコメン!』(月-木曜午後10時00分~深夜1時00分)の3月27日の放送で、4月より新たに日向坂46・加藤史帆がパーソナリティに加入することを発表しました。改名前の「けやき坂46」の頃から含め、同グループのメンバーが在京ラジオにレギュラー出演するのは、今回が初となります。
加藤史帆は、けやき坂46の第一期生として2016年にデビューし、今年2月には人気ファッション誌『CanCam』の専属モデルに起用されるなど幅広く活躍中です。そんな彼女が、今度はラジオパーソナリティに挑戦。10代から高い支持を受ける『レコメン!』の火曜日の24時台パーソナリティとして、毎週23時45分から25時00分の約1時間、メインパーソナリティのオテンキのりとともに生出演します。なお、同番組の24時台パーソナリティは、月曜を欅坂46・菅井友香、水曜を乃木坂46・堀未央奈が担当しています。
昨日の『レコメン!』には、加藤史帆がゲストとして生登場。Wパーソナリティを務めるオテンキのりと対面し、和気あいあいとしたトークを繰り広げながら、意気込みを語りました。以下コメント抜粋です。
■グループの改名について
「パニックです、頭真っ白になりました。でも結構予想してるメンバーも実はいたりして、私はないだろうと思ってたんですけど。そしたら急に発表されて。でも可愛い名前なのですぐ受け入れました!」
■番組への意気込み
「来週から務めさせていただくんですけど、私本当に普段あんまりお喋りが上手じゃないので、このレコメンでどんどん成長できたらなと思います」
なお、これまで火曜日の24時台パーソナリティを務めていたタレントの小池美由は、一昨日のオンエアをもって番組を卒業しました。加藤史帆の初回登場は4月2日(火)のオンエアです。
※該当回の聴取期間は終了しました。
戦争を知らない世代へ平和の尊さを説く─東京大空襲を生き延びた女性が語る空襲体験
戦後81年が経ち、太平洋戦争を体験した方は、本当に少なくなりました。当時、空襲を体験した小学生たちも、いまや90歳前後です。今回は、戦争の悲惨さ、平和の尊さを語り継ぐ「空襲体験者」のお話です。
それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
B29による空襲は、昭和19年6月16日、北九州・八幡製鉄所から始まり、翌年の終戦まで、全国200以上の都市で続きました。中でも、昭和20年3月10日の東京大空襲は、およそ300機のB29から32万発ともいわれる焼夷弾が投下され、下町一帯は火の海に……わずか2時間半の空襲で、およそ10万人もの命が奪われ、「世界史上最大の空襲」ともいわれています。この東京大空襲の惨状を今に伝えているのが、東京都江東区北砂にある「東京大空襲・戦災資料センター」です。
江東区北砂一丁目にある「東京大空襲・戦災資料センター」
もともとは、東京都が「平和祈念館」の建設を進めていました。ところが、財政難から計画は凍結されてしまいます。「それではいけない」と、民間による建設の動きが始まり、4000名を超える人たちから、1億円を超える募金が寄せられました。そして2002年、民立民営の平和博物館、「東京大空襲・戦災資料センター」が開館しました。
焼夷弾のレプリカ。その構造や威力もわかりやすく展示
館内では、空襲の悲惨さを伝える写真や映像、絵画、地図、焼夷弾などが展示され、講演会やシンポジウム、特別展などが行われています。開館当時は、20人ほどの「空襲体験者」が戦争の悲惨さを伝えていました。しかし今、その数は少なくなりました。その中の一人が、二瓶治代さんです。二瓶さんの空襲体験の一部をご紹介します。
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昭和20年3月10日、私は8歳で、家は亀戸駅の近くにありました。その夜、父が「今夜はいつもと違う、起きろ!」と叫んだので、私は飛び起きました。外に出ると、砂町方面が真っ赤に見えました。家族で防空壕に避難しましたが、やがて人々の叫び声が聞こえてきました。父が「ここにいたら、蒸し焼きになるぞ。防空壕から出ろ!」と言いました。私たちは線路の土手に登りました。そこから見た下町一帯は火の海でした。
燃え盛る炎がゴーッと音を立てて家々をのみ込み、人々は燃えながら走っていました。背中に背負った赤ん坊が燃え、手を引かれた子どもが燃え、転んだ子どもは、その場で火の塊になって燃え尽きていきました。やがて、土手にも火が迫ってきたので、私たちは炎が渦巻く火の海の中を、亀戸駅方面へ逃げました。その途中、被っていた防空頭巾が燃え出し、「頭巾をとれ!」と父が叫び、私はあわてて紐を解こうとしました。その時、父とつないでいた手が離れ、強い風に煽られ、私は炎の中に吹き飛ばされてしまったのです。
気がつくと、家族とはぐれて、一人で逃げ回りました。うずくまっている人が、緑色の炎をあげて燃えているのを見ました。馬が燃えながら走っているのを見ました。どこからか、「こんなことで死んでたまるか。みんな生きるんだ!」と叫ぶ男の人の声を聞きました。
私は動けず、その場にうずくまっていると、意識が遠のいていきました。明け方、私は重なり合った人たちの一番下から、父に引きずり出されました。私の上に重なっていた人たちは、真っ黒な炭になって亡くなっていました。この日、私は、生きたまま焼き殺された多くの死者たちに、命を助けていただいたのだと思っています。
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二瓶さんが「東京大空襲・戦災資料センター」を初めて訪れたのは、2002年、開館して間もない夏の終わりでした。その時、センターの担当者から「当時の体験を語ってほしい」と頼まれます。「こんな私の話なんて……」と断ろうとしますが、岩手県から修学旅行でやってくる中学生50人のために話してほしいとお願いされます。
「東京大空襲のことは、我が子にも話さなかった」という二瓶さん。悩んだ末に、当日を迎えます。用意した原稿に目を落としたまま、20分間、顔を上げられず、空襲体験を語り終えました。「そっと顔を上げたんです。すると50人の生徒さんが全員、じっと私を見つめていたんです。身を乗り出して聞いてくれていた生徒さんもいて、ああ、戦争を知らない子どもたちに勇気をもらった……と涙が溢れました」これがきっかけとなり、二瓶さんは、今も空襲体験を語り続けています。
地図の丸印は東京大空襲の直後、仮埋葬が行われた場所
「戦争で一番の犠牲になるのは、いつの時代も、幼い子どもたちです」二瓶さんの言葉が、戦争を知らない私たちに平和の尊さを問いかけています。