青二は"ぶっちぎりのやっべぇ事務所"!? 『神谷浩史・小野大輔のDear Girl〜Stories〜』

文化放送で毎週土曜日25時から放送中、人気声優二人がお送りする『神谷浩史・小野大輔のDear Girl~Stories~』。6月1(土)の放送では、青二プロダクション公式Twitterで神谷さんのコメント動画を見ましたというお便りが届き、動画を撮った経緯や内容が詳細に語られました。

 

【予約受付中】「DGS VS MOB LIVE SURVIVE」

お便り

青二プロダクションのTwitter公式アカウントで、Twitterをやっていない神谷さんからのコメント動画を見ました。完全に原稿を読んでいてたどたどしい神谷さんや後ろにちらちら映る銀河万丈さん、短い動画に見るべきポイントがたくさんでした。

もしかしたら神谷さんは嫌だなと思っているかもしれませんが、これから所属声優さんのお仕事の様子が公式アカウントを通して知ることができると思うと楽しみです。

 

青二がTwitter開設! 人気声優陣の動画をUP

5月1日に開設された青二プロダクションのTwitter公式アカウント。記念すべき初回ツイートとして、野沢雅子さんの驚きのコメント動画がアップされたらしく──

 

神谷「弊社青二プロダクションがですね、まぁその50年の節目にですね、Twitterを始めるという」

小野「最初が確か」

神谷「マコさん......野沢雅子さんがその第一弾の動画としてアップされまして、弊社事務所のですね、廊下の一番奥から『うりゃぁぁぁぁぁぁぁ!!! 絶対見てくれよな!!』って言うっていう、完全にネタじゃないですかっていうのが上がりまして(笑)」

小野「本家のね(笑)」

神谷「バカみたいに再生されるっていう」

小野「いやぁー素晴らしかったですよ」

神谷「恐ろしいほど再生されてますね、あれ(笑)」

小野「いや、俺も何回か見ましたあれ。ヘビロテしちゃった」

神谷「いやー、僕最初見たときに分かんなくて。だって、マコさんすげー遠くから走ってくるのに、音がずっとオンなんだもん。(小野くん、)言ってること分かる? 全然遠くから聞こえる音じゃないの。もう全然ガツガツ聞こえてくるわけ」

小野「がっつりマイク乗っちゃってるっていうね」

神谷「八十歳超えてんだよ、あの人」

小野「声量が半端ねぇってことね」

神谷「声量半端なさすぎるでしょ。なんか、マコさんに聞いたんだって。『向こうからワー! って言って走ってきて、何か喋るとかってできます?』って、『いや、無理ですよね』って言ったら、『いやぁ、できますよ』みたいな。で、やってくれたんだって。やらせないでしょ、普通(笑)」

小野「普通はね」

神谷「普通やらせないでしょ」

小野「俺の事務所は」

神谷「なんかね、青二プロダクションやべーんだよね。どうかしてるんだよ」

小野「(笑) やっべーぞ」

神谷「やべーぞ、青二プロダクションなんか」

小野「でぇじょうぶか?」

神谷「ベテランにあんなことやらせて大丈夫かぁ?」

小野「(笑)」

■このパートを聴く

 

■次の記事
流れない神谷浩史の"ちゃんとした"動画? 神谷浩史の動画にGalaxy登場!? 『神谷浩史・小野大輔のDear Girl〜Stories〜』

神谷浩史・小野大輔のDear Girl~Stories~
放送局:文化放送
放送日時:毎週土曜 25時00分~25時30分
出演者:神谷浩史、小野大輔

■メールアドレス
dgs@joqr.net

※該当回の聴取期間は終了しました。

亡き親友との約束胸に「スタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい」

プロ野球をはじめ、先日のメジャーリーグ開幕戦、そしてサッカーのJリーグでもよく目立つのが、巨大なフラッグによる応援です。今回は、このスポーツ応援に欠かせないビッグフラッグを染め上げている男性のお話です。

影山洋さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

日本一小さな市・埼玉県蕨市に、一軒の工房があります。有限会社染太郎、スポーツの試合で現れる大きな旗を作る会社です。トップは、影山洋さん、昭和30年生まれの69歳です。

蕨出身の影山さんは、小さい頃は空き地で友達とサッカーボールを蹴ったり、お小遣いがたまると後楽園球場へ行って、王さん・長嶋さんの野球を見て育ちました。そして、百貨店で催事のお知らせをする巨大な垂れ幕を作る会社に勤めます。

仕事に脂がのってきた30代のある日、影山さんは小さい頃のサッカー仲間で、当時の読売クラブに在籍していた奥田卓良選手から、こんな話を聞きました。

「今度、日本でもサッカーのプロリーグが始まるんだ。絶対応援してくれよ!」

「だったら、ヨーロッパみたいに、おっきな応援フラッグを作って、応援するよ!」

影山さんがそう答えて迎えた1993年5月15日のJリーグ開幕の日。国立競技場の熱狂の渦のなかに、奥田さんの姿はありませんでした。奥田さんは不慮の交通事故で、Jリーグを見ることなくこの世を去っていたのです。

『奥田との約束を守るためにも、日本のスタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい!』

そう思った影山さんは、会社勤めを辞め、自ら応援フラッグを作る会社を興します。地元・埼玉の浦和レッズの熱いサポーターたちとつながると、話が盛り上がって、今までにない幅50メートルのビッグフラッグを作るプロジェクトが始まりました。

影山さんが手掛けたビッグフラッグの数々

参考になったのはもちろん、影山さんが長年培ってきたデパートの垂れ幕のノウハウ。パソコンもあまり普及していない時代、設計図を元に1枚1枚刷毛で塗る手作業でした。ただ、ビッグフラッグを作っても、出来栄えを確かめられる広いスペースもなければ、対応してもらえる競技場もありませんでした。

ようやく人前で披露できる環境が整ったのは、2001年のJリーグ・レッズ対マリノス戦。埼玉スタジアム2002のこけら落としの試合でした。影山さんたちがドキドキ見守る中、ピッチに大きく真っ赤なフラッグが広げられると、スタンドからは「オーッ!」と地鳴りのような歓声が沸き上がりました。

翌日から、影山さんの会社の電話は、様々なチームからの問い合わせで鳴りやまなくなりました。

「私たちもレッズみたいな、熱い応援をしたいんです!」

数ある問い合わせの中に、情熱のこもったメッセージを届けてくれた人がいました。それは、プロ野球・千葉ロッテマリーンズの応援団の方々でした。影山さんは、競技の違いを乗り越えて、新しい応援スタイルが広まっていくことに、喜びを感じながら、さらに大きい幅75メートルものビッグフラッグを作り上げました。

このフラッグが、千葉・幕張のスタジアムの応援席に広げられると、今度はプロ野球チームの関係者からの問い合わせが相次ぎました。こうしてサッカーではレッズ、野球はマリーンズから始まったビッグフラッグによる応援は、今や多くのスポーツに広まって、当たり前の存在になりました。

蕨市の盛り上げにも活躍する影山洋さん

そしてこの春、影山さんは、東京ドームで行われたメジャーリーグのカブス対ドジャースの開幕戦でも、大役を任されることになりました。それは、初めての国旗。試合開始前のセレモニーで使われる、幅30メートルの日の丸と星条旗の製作でした。

国のシンボル・国旗に汚れを付けたり、穴を開けたりすることは決して許されません。3月10日に納品した後も、影山さんは毎日毎日東京ドームに通って、抜かりのないように、細心の準備をしました。そして、メジャーリーグ機構の厳しいチェックもクリアして、開幕当日を迎えます。

ベーブ・ルースから大谷翔平まで、日米の野球・90年の歴史の映像が流れて、無事に大きな日の丸と星条旗が現れると、影山さんも胸が熱くなりました。

『あの王さん・長嶋さんが躍動した後楽園球場を継いだ東京ドームで行われる、かつてない野球の試合で、自分の本業で関わることが出来ているんだ!』

そして、このメジャーリーグ開幕戦の興奮も冷めやらぬなか、今度はサッカーの日本代表が、8大会連続のFIFAワールドカップ出場を決めました。実は影山さんには、まだまだ大きな夢があります。

「いつか、サッカー日本代表がワールドカップの決勝戦を迎えた日の朝、富士山の近くで、おっきな富士山をバックにおっきな日の丸を掲げて、選手にエールを送りたいんです!」

亡き親友への思いを胸に生まれた、日本におけるビッグフラッグによるスポーツ応援。その応援文化のパイオニア・影山さんの夢は、きっと叶う日が来ると信じて、さらに大きく膨らみ続けます。

radikoのタイムフリーを聴く

Facebook

ページトップへ