放送5分前に「ダメだ、変える!」毎日が戦いだった「梶原しげるの本気でDONDON」22年越しの秘話

2022年3月31日、文化放送は開局70周年を迎えた。それに伴って3月28日から4月3日までを「開局70周年ウィーク」とし、70時間特番が編成された。その中で4月1日の15時30分から17時45分まで、1988年4月から2000年3月まで放送されていた「梶原しげるの本気でDONDON」が復活した。

ー番組誕生のきっかけは作家の思いつき

梶原しげるさんを始め、井崎脩五郎さん(競馬評論家)や伊藤佳子さん(文化放送元アナウンサー)ら、当時の出演者が22年ぶりに集まった。復活ということで、番組にゆかりのあるメンバーを迎えて当時を振り返りながら番組が進行。最初のゲストとして、番組の生みの親であり、番組の方向性を示してきた放送作家の久利一さんを迎え、誕生秘話について語り合った。

「元々(平日午前)11時台というのは、『小倉智昭のとことん気になる11時』という番組をやっていました。3年くらいやった後、その番組が終わり、2時間の枠が空くということで、台本を書かない番組をやりたいと思い、『台本を書く準備の過程』を放送したらどうだろうと考えました。当時はニュースが商売になり出した頃だったので、2時間でニュースを1つテーマに取り上げて、素朴な疑問で攻めていく過程を生で放送しちゃおうと提案したら、ディレクターさんが懐の広い人で、それでいこうと実現してくれました」と久利さんは番組誕生のきっかけを語る。

続けて「朝、ディレクターや放送作家が5、6人集まって、その日の朝刊などからネタをホワイトボードに書きだし、良いと思ったニュースに対して素朴な疑問を挙げていきました。それを書いているうちに放送が始まっちゃうんですよ。みんな手分けして誰に取材をするかなど、その過程をドンドンやっていくというすごく乱暴な番組でした」と裏側も告白する。

当時アシスタントとして参加していた伊藤さんは「私も当時、新聞記事をとにかく切りまくってネタを出し、やっと決まったと思ったら久利さんが『ダメだ、変える』と言い出して、5分前にネタが変わることが何度もありました。本当に大変なことが色々ありましたね」と振り返った。

その後も番組にゆかりのあるゲストが多数登場。当時行ったゲリラ取材の数々も取り上げ、リスナーにも当時のアグレッシブさが伝わる内容となった。

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菊池桃子の初主演映画「パンツの穴」…すごいタイトルに清純派アイドルだった本人・家族の当時のホンネは?

4月4日に新装開店した「くにまる食堂」(文化放送)で最初にお招きしたゲストは、1984年にデビューした菊池桃子さん。初めは特に芸能界に入りを希望していなかったのに、なぜ荒波に飛び込んだのか?当時の思いをお聞きしました。

 

野村邦丸アナ「デビューしたころは、どんな感じの女の子でした?」

 

菊池「目立ちたがり屋ではない、おとなしい、自信がない。そんな感じですね。」

 

邦丸「それなのになんで芸能界という荒波に入ろうと思ったんですか?」

 

菊池「私は、中学校2年生の時にスカウトされて、準備をして高1でデビューしたんです。スカウトされた頃はちょうど反抗期。あまり自由にしてくれない家で、もうひどいんですよ。だって「門限が日没」。暗くなったら家にいないといけないから、中学の時はクラブ活動禁止だったんです。4つ年上の兄はOKだったんですけど「桃子は女の子だから」って、色々禁止されていたので「私だって外に出たい!」と思っていました。それでスカウトされたときに、もう今しかチャンスはないと思って、やりたいって言いました。」

 

邦丸「そして映画「パンツの穴」でヒロインを演じたわけですが、これタイトルだけ見ると…ちょっとねえ。清純派アイドルだった桃子さんは最初に仕事が来た時はどう思ったんです?」

 

菊池「これが正直「嬉しい」としか思わなかったんですよ。それまでは事務所のマネージャーさんといろんなオーディションに行って、落ちて、落ちて、落ちてばっかり。ドラマとか映画とかCMとか、落ちるたびに自信がなくなって、もうそろそろやめようかなと思った頃に合格したので、とにかく嬉しくって。それに「パンツの穴」のヒロインに合格した人は、本人の名前がついた雑誌が創刊されることになっていて、もうハッピーでしたね。親も驚いていました。」

 

邦丸「でも親は芸能界入は反対だったんじゃないの?」

 

菊池「そうです。だけど「本人の人生だから」と言って少しだけ譲歩してくれました。でもこんな長く続けるとは私も思ってなかったので、いつか就職するために勉強は頑張っていたんです。」

 

邦丸「その後「卒業」という歌が大ヒット。もう毎年2~3月になると必ずかかりますよね。この歌にはどうやって出会ったんですか?」

 

菊池「周りのスタッフが、卒業や入学などライフイベントに関わる曲が欲しいと作ってくれたんですが、まさかこんなに長く聞いていただけるとは思いませんでした。」

 

邦丸「あの時、文化放送のベストテン番組では、桃子さんの「卒業」だけでなく、〇〇さんの「卒業」もかかりました。」

 

菊池「あと〇〇さんの「卒業」と、〇〇さんの「卒業」と全部同じタイトルで時期が重なっていたんですよ。」

 

1985年にヒットした「卒業」を歌っていた人が気になる方はradikoのタイムフリー機能でご確認下さい。

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