戦前・戦中・戦後を語り継ごう。昭和館が育成する「次世代の語り部」を紹介

8月15日「西川あやの おいでよ!クリエイティ部」(文化放送)、特集コーナーは「戦争を語り継ぐ」をテーマにお届けした。東京都の昭和館で育成されている「次世代の語り部」について、昭和館の担当者・坂尻麻子さん、語り部の活動もしている長谷部愛さんに話を聴いた。

西川あやの「昭和館はどのような施設なのでしょうか?」

坂尻麻子「東京の九段下にあります。厚生労働省が戦没者遺族の援護政策の一環として、戦中戦後の国民生活の労苦を、次世代に伝えることを目的に設立しました。1999年に開館しまして今年24年目です。7階建てなんですけど、窓がないので、前を通る方は割と不審に思う(笑)」

山内マリコ「ランドマークみたいになっていますもんね」

坂尻「常設展示室では、激動の時代だった昭和10年から30年ごろの、戦争に翻弄された人々がどのような暮らしの変化をしていったのか時系列で展示しています」

重藤暁「へえ~……」

坂尻「戦争が始まる少し前から、戦争中心の生活になっていって。昭和20年の8月15日に終戦を迎えて。空襲におびえるような毎日からは解放されたんですが、家族を失ったり、住むところをなくしたり。そういう中から生活を再出発させていく方たちの苦しさみたいな、戦後の様子を知ることができる施設です」

昭和館を訪れたことのある山内が、特に印象的だった点を挙げる。

山内「玉音放送をフル尺で聴けるんですよ。初めてでした」

坂尻「その横に文章になっているものがあって」

山内「読みながら聴いて、こういう感じだったんだろうな、本当は、って思いました」

坂尻「玉音放送は当時の方も何を言っていたかわからなかった、というのがあって(笑)。小学生たちも興味を持って聴くんですけど、意味がわからない。その中に入ってくる『新型爆弾』みたいな単語を拾う、ということはあります。玉音放送を聴いている人たちの写真も飾ってあるので、『こういうことがあって敗戦を知らされましたよ』と説明しながら、理解してもらえていると思います」

坂尻さんは昭和館で実施している「次世代の語り部」の育成についても詳述してくれた。戦争を体験している人の減少を受け、2016年に厚生労働省が、昭和館をはじめとした3つの施設で、戦後世代による語り部の候補を一般公募し、これまでに1~3期までが育成授業を受けたという。今回はその中から1期生で、普段、気象予報士としても活動している長谷部愛さんが登場してくれた。

長谷部「小学6年生のとき、広島に行ったんです。平和式典に参加して、沼田鈴子さんという語り部の方にお会いして、語りを聴いたんです。すごく胸を打たれて。将来的には私も『伝える』というか、あったことをいろんな人に伝えることをやりたい、と思っていたので応募しました」

西川「小学6年生から、ずっと気持ちはあったんですね……!」

長谷部「社会人になったあとも体験者から話を聴く、ということはしていたんですが。やはり人に伝えるには知識もなければいけないし、それなりの覚悟もないと、と思っていたんですね。仕事もあるしまだ先かな、と思っていて。2011年に沼田さんがお亡くなりになって、ちょうど語り部の募集が出たときに永六輔さんが亡くなられたんですけど、永さんとは私、ラジオの番組でご一緒することが多くて、それがすごく大きかったんです」

西川「はい」

長谷部「なりふり構わず『もう始めよう』と思ったときにちょうど募集があったんですね。肩をポン、と押された気持ちで応募したのが始まりです」

「次世代の語り部」には3年間のカリキュラムがある。長谷部さんは受けてみてどうだったのだろうか。

長谷部「私も戦時中のことを学ぶという時間がなかったんですね。それを座学で体系的に教えていただけたので、戦前から戦後のことをまとめて昭和館の方がわかりやすく教えてくださったので、下地ができたというか。伝えるうえでの基礎知識みたいなものは学べたなと。安心感を得ました」

授業を受け、実際に講和をしている長谷部さん。講和で心がけていることや、実際にもらった感想などを聴かせてくれた。長谷部さんによる講和の一部も披露され、気象予報士であることを活かした内容に、スタジオからも拍手が起きた。

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