ウィシュマさん死亡事件の映像公開。衝撃映像に大竹も思わず…大竹「これ、日本だよ」

4月7日の大竹まことゴールデンラジオでは、ウィシュマさん死亡事件の映像が公開されたことを受けて、日本の収容制度のあり方について青木、室井、大竹がコメントした。

ウィシュマさん死亡事件は、2021年3月6日、名古屋出入国在留管理局に収容中のスリランカ国籍の女性、ウィシュマ・サンダマリさんが死亡した事件。彼女は、自身の体調不良を訴え続けていたにもかかわらず、適切な治療を施されないまま亡くなったため、出入国在留管理庁の体制そのものが問題視される事態となった。

ウィシュマさんが不法滞在となったそもそもの原因は、同居していたスリランカ人男性からの暴力と、母国からの支払いの滞りによる日本語学校の除籍処分にあった。入管は彼女がDV被害者であることを認識していたが、それに取り合わず収容したことは「DV被害者本人の意志に配慮しながら、人道上適切に対応しなければならない」「DV被害者が配偶者からの暴力に起因して旅券を所持していない時は、在留資格を交付する」などの内規に反していた疑いがあるという。

昨日、名古屋市にある入管施設で亡くなったスリランカ人の女性の遺族が国に賠償を求めている裁判で、遺族の弁護団は、証拠として提出された映像の一部を、報道機関に公開した。

遺族は「必要な医療を提供しなかった」などとして、国に賠償を求める訴えを名古屋地方裁判所に起こし、国側は「対応は違法ではない」として訴えを退けるよう求めている。

齋藤法務大臣は閣議のあとの記者会見で「これから裁判所で取り調べることになっている、およそ5時間分のビデオ映像の一部を、原告側が勝手に編集してマスコミに提供して公開したものだ」と述べている。

5時間のビデオ映像については、6月に行われる法廷で流される予定であり、齋藤法務大臣の言うような恣意的な編集かどうかは6月の法廷を待つ以外にない。

今回の問題について青木・室井・大竹は次のようにコメントした。

青木「一つは、入管の収容手続きに司法の判断が一切入らないという国家のシステムの問題。この番組でも、たびたび言及してきましたけれども、少子高齢化が止まらない中で外国人の方がいないと日本の社会システム経済システムがすでに事実上回らなくなっているのにこういうような形で外国人の人たちを使い捨てにするというような国家の外国人政策のありようの問題、それからもう一つこの入管の職員の人がことさら悪質だと僕は決して思わないんですけれども、国家のシステム、国家に限らないけど、組織とかっていうものの論理の中にからめとられていくと、これだけ人間性を失いうるのかっていう問題。我々は自分ごととして考えなくちゃいけない」

室井「何人もいたはずなのにねたったの一人でもそう言ってないのおかしいし、あとは、血液検査とかもしてたはずなんだよ。したらそれで異常って絶対出てるはずなんだよ。なのにそれで病院に連れて行かなかったっていうの?何人だって彼女と関わった?ありえないよね」

大竹「この病室をずっとビデオで撮ってるって言うのも、まあなんかすごい話だなっていうのが一つあります。で、今度私たちが見たのは7分間。ニュースで流れたのは7分間のその中のまた、一部ですよね。ということはこのテープは、あと何時間分あるんですか?」

鈴木アナ「国が保管しているのはほぼ300時間くらいウィシュマさんが3月6日になくなるまでの2週間分ですね。そのうち5時間分を名古屋地裁の強い求めに応じて国が証拠提出しまして、この5時間分の中で弁護団が公開したのは約7分です」

大竹「だから5時間のうちの僕ら7分、一部を見ただけでこれほど衝撃的なことが、ここの病室の中で行われてたっていうのは、しかもこれ、日本だと。日本かよと。人の人権をここまでこういうふうに扱うのかと」

青木「僕も入管の職員の人は取材で何度かあったことがあって、もちろん彼らも、本当にある種真面目な公務員。ひょっとすれば、このうちの一人が、おかしい病院に連れて行こうよって言えば変わったかもしれないし、その前段として入管という組織のありようをきちんと考える、あるいは考えさせるということが必要なんじゃないかって気がしますよね」

タグ

亡き親友との約束胸に「スタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい」

プロ野球をはじめ、先日のメジャーリーグ開幕戦、そしてサッカーのJリーグでもよく目立つのが、巨大なフラッグによる応援です。今回は、このスポーツ応援に欠かせないビッグフラッグを染め上げている男性のお話です。

影山洋さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

日本一小さな市・埼玉県蕨市に、一軒の工房があります。有限会社染太郎、スポーツの試合で現れる大きな旗を作る会社です。トップは、影山洋さん、昭和30年生まれの69歳です。

蕨出身の影山さんは、小さい頃は空き地で友達とサッカーボールを蹴ったり、お小遣いがたまると後楽園球場へ行って、王さん・長嶋さんの野球を見て育ちました。そして、百貨店で催事のお知らせをする巨大な垂れ幕を作る会社に勤めます。

仕事に脂がのってきた30代のある日、影山さんは小さい頃のサッカー仲間で、当時の読売クラブに在籍していた奥田卓良選手から、こんな話を聞きました。

「今度、日本でもサッカーのプロリーグが始まるんだ。絶対応援してくれよ!」

「だったら、ヨーロッパみたいに、おっきな応援フラッグを作って、応援するよ!」

影山さんがそう答えて迎えた1993年5月15日のJリーグ開幕の日。国立競技場の熱狂の渦のなかに、奥田さんの姿はありませんでした。奥田さんは不慮の交通事故で、Jリーグを見ることなくこの世を去っていたのです。

『奥田との約束を守るためにも、日本のスタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい!』

そう思った影山さんは、会社勤めを辞め、自ら応援フラッグを作る会社を興します。地元・埼玉の浦和レッズの熱いサポーターたちとつながると、話が盛り上がって、今までにない幅50メートルのビッグフラッグを作るプロジェクトが始まりました。

影山さんが手掛けたビッグフラッグの数々

参考になったのはもちろん、影山さんが長年培ってきたデパートの垂れ幕のノウハウ。パソコンもあまり普及していない時代、設計図を元に1枚1枚刷毛で塗る手作業でした。ただ、ビッグフラッグを作っても、出来栄えを確かめられる広いスペースもなければ、対応してもらえる競技場もありませんでした。

ようやく人前で披露できる環境が整ったのは、2001年のJリーグ・レッズ対マリノス戦。埼玉スタジアム2002のこけら落としの試合でした。影山さんたちがドキドキ見守る中、ピッチに大きく真っ赤なフラッグが広げられると、スタンドからは「オーッ!」と地鳴りのような歓声が沸き上がりました。

翌日から、影山さんの会社の電話は、様々なチームからの問い合わせで鳴りやまなくなりました。

「私たちもレッズみたいな、熱い応援をしたいんです!」

数ある問い合わせの中に、情熱のこもったメッセージを届けてくれた人がいました。それは、プロ野球・千葉ロッテマリーンズの応援団の方々でした。影山さんは、競技の違いを乗り越えて、新しい応援スタイルが広まっていくことに、喜びを感じながら、さらに大きい幅75メートルものビッグフラッグを作り上げました。

このフラッグが、千葉・幕張のスタジアムの応援席に広げられると、今度はプロ野球チームの関係者からの問い合わせが相次ぎました。こうしてサッカーではレッズ、野球はマリーンズから始まったビッグフラッグによる応援は、今や多くのスポーツに広まって、当たり前の存在になりました。

蕨市の盛り上げにも活躍する影山洋さん

そしてこの春、影山さんは、東京ドームで行われたメジャーリーグのカブス対ドジャースの開幕戦でも、大役を任されることになりました。それは、初めての国旗。試合開始前のセレモニーで使われる、幅30メートルの日の丸と星条旗の製作でした。

国のシンボル・国旗に汚れを付けたり、穴を開けたりすることは決して許されません。3月10日に納品した後も、影山さんは毎日毎日東京ドームに通って、抜かりのないように、細心の準備をしました。そして、メジャーリーグ機構の厳しいチェックもクリアして、開幕当日を迎えます。

ベーブ・ルースから大谷翔平まで、日米の野球・90年の歴史の映像が流れて、無事に大きな日の丸と星条旗が現れると、影山さんも胸が熱くなりました。

『あの王さん・長嶋さんが躍動した後楽園球場を継いだ東京ドームで行われる、かつてない野球の試合で、自分の本業で関わることが出来ているんだ!』

そして、このメジャーリーグ開幕戦の興奮も冷めやらぬなか、今度はサッカーの日本代表が、8大会連続のFIFAワールドカップ出場を決めました。実は影山さんには、まだまだ大きな夢があります。

「いつか、サッカー日本代表がワールドカップの決勝戦を迎えた日の朝、富士山の近くで、おっきな富士山をバックにおっきな日の丸を掲げて、選手にエールを送りたいんです!」

亡き親友への思いを胸に生まれた、日本におけるビッグフラッグによるスポーツ応援。その応援文化のパイオニア・影山さんの夢は、きっと叶う日が来ると信じて、さらに大きく膨らみ続けます。

radikoのタイムフリーを聴く

Facebook

ページトップへ