「良い睡眠をとるなら『寝床で考え事はNG』です!」眠りの専門家の解説に大竹・室井が驚き

著書『名医が答える! 不眠 睡眠障害 治療大全』が発売中の、睡眠が専門の精神科医・井上雄一さんが、9月22日の大竹まことゴールデンラジオに登場。良い眠りの条件に大竹・室井が驚いた。

大竹「質の良い睡眠をとるにはどうしたらいいですか?」

井上「特に社会人の睡眠で一番大事なことは、“寝床に考え事持って行かないこと”なんですよ。」

大竹「えー!?(笑)」

室井「やだ~、考えちゃダメって思うと考えちゃう。」

井上「最大の原則は、Todoリスト・考えることリストみたいなのをノートに書き留めて、最後にその日の分を完結させて、ノートをパタンと閉じて寝床に行く。」

大竹「えー!? いつも失敗した何かのイメージが浮かんで、それにこだわって眠れなくなるようなことがあるんですが…。」

井上「ベッドっていうのは寝るところで、嫌な考え事とかはリビングに持っていって欲しいんですよ。寝床にいて嫌なことを考え始めたら1回寝床を離れる。」

大竹「離れる!?」

井上「あのですね、「嫌なことを考える」「眠れない」っていう連鎖を寝床の中で作っちゃうと、これはもう不眠症に一番なりやすいパターンなんですよ。この連鎖を断ち切るためには、嫌なことはリビング。リビングに行って少し考え事して、何やかんやして、眠くなってきてから寝床に戻る。」

大竹「睡眠には、お風呂の温度とか、何時までに食べるのをやめるとか、そういうことも関係しますか?」

井上「ごはんは、満腹も寝にくいですし空腹ももちろん寝にくいので、腹7~8分目ぐらいの状態で。それから、お風呂に入ると体の中の体温は上がっていくんですよ。で、人間っていうのは体温が下がってくる時に眠くなるようにできてるんです。」

大竹「体温が下がる時に眠くなる?」

井上「例えば赤ちゃんが寝る時、手足がポカポカ暖かいじゃないですか。あれは体の中の温度が皮膚に逃げている証拠なんですね。人間は体温が下がる時に眠くなっていくので、寝る前に熱いお湯に入りすぎると寝にくいんです。熱いお湯に入りたいのなら、1時間半とか2時間ぐらい前に。寝る時間に近いのなら、今だったら39度とか40度ぐらいのにぬるめにした方がいいです。その方が寝やすいと思います。」

大竹「食事だったらちょうどいいのは何時間前ですか?」

井上「食事の時間に規定はないですけども、寝る直前に食べると腹がいっぱいになっちゃいますから、あんまりよろしくないですよね。だからそれよりも前がいいと思いますし、人間の体って体内時計で調整されていて、眠りも食事のリズムも体内時計に関係するので、食事の時間も一定に保った方がよいと考えられています。」

大竹「なるほど、そういうことも調整すれば、うまく眠れるようになるんですね。」

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みかんに魅せられた大学生、異郷の地で大挑戦「多くの人においしいみかんを食べてほしい!」

暦の上では春になっても、まだまだ「こたつ」が恋しい時期です。こたつに入ると食べたくなるのが、やっぱり「みかん」。

ただ、どんな方がみかんを作っているのか、あまり知らない方も多いと思います。今回は、果物好きが高じてみかん農家になった、北国出身の若い男性のお話です。

赤山大吾さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

昔、東京と沼津の間を結ぶ電車を「湘南電車」と呼んでいた時代がありました。車両のオレンジと緑のカラーは「湘南色」、俗にみかん色とも云われてきました。今はだいぶ本数も減りましたが、東京駅のホームに、「沼津」と行先が表示されると、何となく、潮の香りと柑橘系の爽やかな香りが漂ってくるような気分になります。

その静岡県沼津市・西浦地区は、駿河湾の最も奥まった所にあって、海越しの富士山を望むことが出来る、風光明媚なみかんの産地として知られています。看板品種は、寿という字に太郎と書いて、「寿太郎」。この「寿太郎」を、今シーズン初めて作り上げて、出荷した男性がいます。

赤山大吾さんは、2000年生まれの24歳。赤山さんは、北海道・札幌のご出身で、小さい頃から果物が大好きでした。土地柄、みかんはあまり出回らないため、りんごを2個、まるかじりするのが日課。残すのは、わずかに芯の部分だけでした。

赤山さんは新潟の大学に進学しましたが、コロナ禍のために授業はリモートが中心。学ぶ内容も想像していたものと違って、あまり納得がいきませんでした。悶々とした日々を送る中で、赤山さんはたまたま近所のスーパーで「沼津・西浦みかん 寿太郎」と、ラベルが貼られた袋を手に取ります。

『寿太郎? 沼津ってドコ?』

赤山さんは、そう不思議に思いながら、家に帰って、さっそく皮をむいて、みかんの小さな袋を一つ、口のなかに入れると、いままでにない食感に感激しました。

『甘い! でも、甘いだけじゃない、甘みと酸味のバランスが絶妙だ!』

赤山さんは、「寿太郎」を食べて、食べて、食べまくりました。そのおいしさに満たされるうちに、自分でもみかんを作りたい気持ちが芽生えます。

沼津市西浦地区のみかん山(画像提供:JAふじ伊豆)

赤山さんは、居ても立ってもいられずに、寿太郎を出荷している沼津のJAに、直接電話をかけました。

「あの……、みかん作りに興味があるんです。教えてもらうことは出来ますか?」

2022年2月、赤山さんは大学を休学して、沼津にみかん作りの研修にやって来ました。地元の農家の皆さんも、北海道出身の赤山さんの挑戦に驚いたといいます。

その初顔合わせ、農家の皆さんは赤山さんの手を見るなり、思わず目を見張りました。

『おお、彼は本物だ! これだけみかんが好きなら、きっとやってくれる!』

そう、赤山さんの手は、みかんをいっぱい食べた、あの黄色い手になっていたんです。赤山さんは、西浦地区でもとくにおいしいみかんを作ると定評のある、御年80歳の大ベテランの農家の方に付いて、みかん作りを学び始めました。

「いいか、農家というものは、人に言われてじゃなくて、自分から動かないとやれないぞ」

「みかんは手間をかければかけるほど、ちゃんと応えてくれる。手間を惜しむな」

赤山さんは、師匠がかけてくれる言葉を一つ一つ噛みしめながら、その背中を追いかけていきます。厳しい言葉の後には、夕飯のおかずをおすそ分けしてくれたり、地元の皆さんの人柄の温かさも、故郷を離れた赤山さんには大きな励みになりました。

赤山大吾さん

籍を置いていた大学にも退学届を出して、退路を断った赤山さんは、2年間の修業を経て、2024年1月、晴れて独立を果たします。高齢でみかん作りが難しくなった方のみかん山・およそ1.5ヘクタールを借り受けて、自分の力が試される時がやって来ました。

いざ作り始めてみると、農家はみかんを作っていればいいわけではなく、事務手続きや生産計画作り、害虫や猛暑対策、アルバイトの雇用などを、全部1人でこなします。

それでも去年は概ね天候に恵まれ、周りの皆さんのサポートにも支えられながら、およそ1万キロの「寿太郎」が無事に実って、収穫することが出来ました。その出来栄えに、赤山さんも手ごたえは十分! 早速、地元の方に食べてもらうと、「おいしい!」と、味に太鼓判を押してくれました。

自分で収穫したみかんが出荷されていく様子を見て、赤山さんは胸が高鳴りました。

『自分で作ったみかんが誰かの手に渡っていく。ようやく自分で稼ぐことが出来たんだ!』

でも、赤山さんに収穫の喜びに浸っている暇はありません。まだ、みかんの管理に甘い点があったこと。そして、この冬は、越冬しているカメムシが多いため、今年は天敵への抜かりない対策が求められそうなことなど、しっかり気を引き締めています。

「もっとおいしいと言ってもらいたい! 多くの人においしいみかんを食べてほしい!」

その思いを胸に、赤山さんは2年目のみかん山に登ります。

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