観客による映画の見方が変わる?映画「彼方のうた」の魅力
2月9日からKBCシネマで公開されている日本映画「彼方のうた」。
国内外で高い評価を集める杉田協士監督による長編4作目となる本作だが、
杉田監督の映画を見ることは、観客による映画の見方を新しくし、また皆さんの生きる日常や世界との関わり方、
そこへ向ける眼差しさえも変えてしまうような特別な映画体験だと、
RKBラジオ「田畑竜介GrooooowUp」に出演したクリエイティブプロデューサーの三好剛平さんが評した。
監督・杉田協士とその作品について
まずは杉田協士監督のご紹介から。まだそれほどご存じない方もいらっしゃるかもしれませんが、実は映画の世界では既に国際的にも高い評価を獲得している映画監督です。
2011年に「ひとつの歌」という作品で長編デビューし、その後2017年には「ひかりの歌」という作品を発表。この映画は、「光」をテーマに一般公募した1200首もの短歌のなかから4首を選出し、全4章からなる劇映画に仕上げた作品で、東京国際映画祭や韓国のチョンジュ映画祭などで上映され、注目を高めます。
続いて発表された長編3作目が2021年「春原さんのうた」という作品です。この映画でも再び短歌を原作にした映画に挑戦し、歌人・東直子さんによる歌集「春原さんのリコーダー」の表題歌を映画化します。本作は第32回マルセイユ国際映画祭で日本映画初となるグランプリをはじめ俳優賞、観客賞の三冠を達成したほか、世界各国の主要な映画祭をめぐり、2022年には日本でも劇場公開され多くの観客に愛される作品となりました。なお本作は、僭越ながら僕のアジア映画企画であるAsian Film Joint 2022でも上映させていただき、杉田映画に欠かせない福岡ご出身の撮影担当・飯岡幸子さんをお迎えし、お話も伺いました。
そんな監督による長編4作目となるのが今回ご紹介する「彼方のうた」です。この映画では近作の短歌原作の作品とは異なり、長編デビュー作以来のオリジナル脚本による作品となりました。既に第80回ヴェネチア国際映画祭への出品をはじめ、釜山国際映画祭ほか各国映画祭を巡りその評価を集めたうえでの、待望の劇場公開がいよいよ福岡にも上陸です。
映画の主人公は書店員の春という女性です。彼女は、駅前のベンチに座っているどこか悲しげな雪子という女性に声をかけます。そしてまた別の日には、剛という男性の後を尾けながらその様子を確かめていますが、どうやら彼にもまた深い悲しみに打ちひしがれた過去の経験があるようです。そして、二人を気にかける春もまた、その内側に今は亡き母親への思いを抱き続けているようで、幸子や剛らと過ごす日々を通じて、徐々に自らの悲しみとも向き合っていく、というような物語になっています。
杉田映画が教える、この世界との関係の結び方
さて、そんな杉田監督の映画は、その独特な作り方と、映画の題材の両方から、ずっとある姿勢が一貫しており、それこそが杉田映画の大きな魅力となっています。
まず、杉田監督の映画の作り方について。杉田監督は自身の映画から、出来得る限り作り手の都合や作為、段取りを排して、いかにその場で実際に立ち起こった「出来事」だけをカメラに収めることが可能か、ということを実践し続けます。
もちろん映画を撮る以上、キャストを決めて脚本を決めてロケーションを決めて、ということは必須になるのですが、それらを監督によるビジョンを描くコントロール可能な装置としてではなく、そういうセットアップさえ用意しておけば、あとは現場できっと何か”出来事」が起こるはずだという態度でもって、現場へと預けてしまうんです。
そうした「出来事」を捉えるとき、非常に重要な役割を果たすのがカメラです。彼の映画では、カメラはどのシーンもほぼ位置が固定されていて、昨今の多くの映画のようにかちゃかちゃ動いたり、カットを頻繁に割るようなこともありません。いかにして、そこで起きている「出来事」を「ただ眺めている」ように出来るか。監督は、映画においてカメラを構えることは、猟師による罠のようなもので、そこに仕掛けてさえおけば、あとはじっくり待つだけである、というようなお話をよくされています。
ここには、予期せぬもの、想像さえも及ばないものも含め、自分の外側にある世界に対する圧倒的な敬意や畏敬、信頼が表れているように思います。向こう側からやってくるものを信頼し、その訪れをじっくり待つ。そこにポイントがある。そして、こうした姿勢は、杉田監督の映画に登場する題材にも通底しています。
先ほどご紹介した今回の映画のあらすじも含め、監督がこれまで発表してきた長編作ではどの作品も、かつて大切な人との死別や大きな哀しみを経験した人物と、それをじっと慮り、寄り添う人物が登場します。
そうした、当人でさえも容易に言葉にしきれぬような深い悲しみや喪失、痛みを映画のなかで描くとき、杉田監督はそれを直接的・説明的には描写しません。作品によっては、結局映画の最後まで、この人が何を経験したのか具体的には明かされないまま終わる、ということもあります。しかし、映画を見ていたら、相手の中に何かがあるらしいようすだけはわかる。
このとき、観客は映画のなかの人物と共に、相手の内側にある、言葉にもかたちにもされない深い痛みに、ひたすら思いを至らせ、想像する。これが、彼の映画のとても大切なポイントとなっているように思うのです。
近年、ケアや人文学の分野においては「ネガティブ・ケイパビリティ」という概念が注目されています。これは「相手の気持ちや感情に寄り添いながらも、分かった気にならない“宙吊り”の状態、その不確かさのなかにいられる能力」を意味するものです。僕は杉田さんの映画を見ていると、まるで彼の映画はこのネガティブ・ケイパビリティの精神を体現しているような映画そのものだと感じることがあります。
自分都合で分かった気にならず、結果を焦らず、慎重さと、時に節度を持って、目の前の相手に、そして予期もできない現実の世界を見つめてみる。想像力を働かせて、じっくりと、ともに時間をかけて、何かの到来を待ってみる。そうして少しずつ現れてくる実像を、大切に扱い、思いやる。このような世界との関係の結び方を、杉田映画は教えてくれます。
…と、こんなふうに紹介するとずいぶん繊細な映画なのかしら?と思われるかもしれませんが、そうでもないところがまた杉田さんの映画の魅力でもあります。そうした真摯な姿勢と不思議と同居できてしまう人間くさい大らかさや、朗らかな愛嬌やユーモアもある映画でもあって、まったく息苦しいものにはなりません。
そもそも、誰かの心のうちを100%理解することなんて、絶対に不可能なはずなんです。その事実に一度真摯に向き合い、きちんと引き受けたうえでなお、それでも目の前の相手と、あるいは容易に手の及ばない現実と、ともに在ろうとすることなら出来るかもしれない。ただともに在ること。その先に宿る希望を感じさせ、少しだけ信じさせてくれるのが、杉田監督の映画です。
きっとご覧になる方にも「こんなふうに目の前の相手や世界を見つめられたなら」と感じ、ご自身の眼差しを新しくされるような映画体験になると思います。
「彼方のうた」、ぜひご覧になってみてください。
※放送情報は変更となる場合があります。