「パワーウインドウの悲劇」からハンドル握るリスナーに伝えたいこと

5月21日、東京で車の後部座席にいた2歳の女の子が、パワーウインドウに首を挟まれて亡くなるという痛ましい事故があった。元サンデー毎日編集長・潟永秀一郎さんは、24日に出演した『立川生志 金サイト』でこの事故を「他人事とは思えない」と前置きしたうえで「運転をしながらラジオを聴いているリスナーに伝えたい安全対策」を紹介した。

他人事ではない痛ましい事故

事故が起きたのは私も普段よく通る道で、同じ年頃の孫娘を車に乗せて走ることがあるので、とても人ごととは思えず「痛ましい」というほかありません。

この件をお話しするにあたってまずお伝えしたいのは、司法以外の誰も「母親を裁くことはできない」ということです。ネット上には厳しい声もありますが、こういう形で娘を亡くして、誰よりも自分を苛んでいるのは、きっと母親自身だからです。警察は事情聴取後に帰したはずですが、おそらく保護対象になっているでしょう。どんな思いで今を過ごしているのか、想像するだけで辛いですよね。

私ごとになりますが、実は私も不注意で子どもを亡くしかけたことがあります。二男が2歳の時でした。家族で出かけたプールで、水着に着替えさせた長男と二男が更衣室を飛び出して行って、着替えて追いかけたときにはもう3歳の長男は浮き輪を着けて飛び込んでいて、二男を探していたら、プールの底に沈んでいるのによそのお子さんが気付いて、引き上げられました。

奇跡的にその場に救急隊員をしている方がいて、人工呼吸で息を吹き返し、救急車で運ばれて助かったんですが、その間、私は何もできず、長男は泣きながら自分の頭をガンガン殴って自分を責めていたのを忘れません。あれでもし助かっていなかったら、家族はどうなっていただろうと考えることがあります。だからなおさら、今回の母親の気持ちを想うと辛いんです。

再発防止のために確認したい三つの約束事

それでもあえてラジオでこの話をするのは「再発防止」=それこそがこの事故から私たちが考えるべき、ただ一つのことだからです。車の中で聴いている方も多いであろう時間帯、くどいようですが三つの約束事を再確認します。

一つは、チャイルドシートの正しい着用です。道路交通法は6歳未満のお子さんを車に乗せる場合、チャイルドシートの着用を義務付けています。「着用」とはただ座らせることでなく、シートベルトを締めることまでが着用です。うちの孫も嫌がりますが、「じゃあ乗せられないよ」と言ってベルトを着けます。

これから暑くなると尚更ですが、3歳になったので自分で着けるように言って、出来たら褒めてあげようと思っています。ただし「自分で外すのはダメだよ」と言って。6歳を過ぎても、助手席はもちろん後部座席でも、シートベルトを着ける癖を付けたいですよね。

次は、子どもが自分で窓を開け閉めできないよう、運転席でロックすることです。最近の車は、走り出すとドアはたいてい自動でロックされますが、窓はロックボタンを押す必要があります。どこにあるのか、私もあらためて確認しました。

そして最後の一つは、子どもを乗せているとき、走行中は窓の開け閉めをしないことです。チャイルドシートは基本、後部座席に付けますから、運転中に後ろを見て前方不注意になるのも、見ないで開け閉めするのも危険だからです。

今回の事故が教えてくれたことを忘れない、それだけが私たちのできることですよね。

梅雨入り前に「雨の事故」対策をおさらい

この際、時節柄の交通事故対策についてもお話しします。福岡など北部九州の梅雨入りは、平年で6月4日。まもなくですが、JAF(日本自動車連盟)の調査によると、雨の日の事故件数は晴れた日のおよそ5倍に増えます。理由は視界が悪く、路面が滑りやすくなっているからで、さらに、歩行者や自転車を見落とすことによる事故も多発しています。

原因別に見ていきます。まずは雨の日の事故原因で最も多い「スリップ」です。これ、ぜひ見てほしい動画があって、スマホやパソコンで「JAF 雨の事故」で検索すると「雨の日に増えるのはどんな事故ですか?」というページが出るはずで、その後半にある「雨天時に初めてわかる摩耗タイヤの危険性」という動画です。

結果を言うと、濡れた路面を時速100kmで走っていた時の制動距離=ブレーキを踏んでから止まるまでの距離=は、新品と5分山(残り溝4mm)のタイヤは50m前後なのに対し、2分山(残り溝1.6mm)は70.5mと一気に20mも伸びます。

例えば高速道路で前方に突然、停止車両が現れた時、なかなか止まらなかったらアウト、突っ込みますよね。また、カーブでは別の要素があって、時速60kmで曲がりながらブレーキを踏んだ時、止まるまでの距離は大差ないのですが、車体が横滑りして外に膨らむ幅が、新品のおよそ1mに対し、5分山は1.9~2.2m、2分山だと2.2~2.6mと2倍前後に増えます。これが、ガードレールなどへの接触事故が増える要因で、そこに人や自転車がいれば人身事故です。

JAFによると、スリップ事故が起きやすくなるのは時速60km以上なので、雨の日はまずはスピードを控えること。そして、急ハンドルは避けるということ。その前提として、溝の残っていないタイヤは梅雨入り前に替えておいた方がいいですね。

そして次に多い原因が「視界不良」です。雨粒で窓やサイドミラーが見えにくくなって、歩行者を見落としたり、歩行者側も傘で視界が狭くなって、車に気づかず車道に出たりします。

対策はまず、歩行者に車が来ていることを知らせるため、少しでも暗くなったらライトをつけること。そのうえでドライバーは、窓やミラーを綺麗にしておくことですね。以前、代車で古い車を借りた時、ワイパーは効かないわ、窓もミラーも油膜で見えにくいわ、怖い思いをしたことがありますが、実はこういう車、結構あります。ワイパーに拭き残しがあったり、窓がギラギラしていたり、内側が曇っていたり。

思い当たる方は、まずワイパーブレードを交換して、窓は外の油膜を取るだけでなく、内側もきれいに乾拭きする。サイドミラーは油膜を取ったうえで、スプレーで撥水コーティングしておくと安心です。おそらく全部で1万円もかかりませんから、安全を買うと思えば安いものです。

以上、東京での痛ましい事故をきっかけに、リスナーの皆さんに改めてお伝えしておこうと思った交通事故対策です。事故は人の一生を変えかねません。私も心します。

◎潟永秀一郎(がたなが・しゅういちろう)
1961年生まれ。85年に毎日新聞入社。北九州や福岡など福岡県内での記者経験が長く、生活報道部(東京)、長崎支局長などを経てサンデー毎日編集長。取材は事件や災害から、暮らし、芸能など幅広く、テレビ出演多数。毎日新聞の公式キャラクター「なるほドリ」の命名者。

ラジコプレミアムに登録して
全国のラジオを時間制限なし
で聴く!

立川生志 金サイト
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週金曜 6時30分~10時00分
出演者:立川生志、田中みずき、潟永秀一郎
番組ホームページ
公式X

出演番組をラジコで聴く

※放送情報は変更となる場合があります。

みかんに魅せられた大学生、異郷の地で大挑戦「多くの人においしいみかんを食べてほしい!」

暦の上では春になっても、まだまだ「こたつ」が恋しい時期です。こたつに入ると食べたくなるのが、やっぱり「みかん」。

ただ、どんな方がみかんを作っているのか、あまり知らない方も多いと思います。今回は、果物好きが高じてみかん農家になった、北国出身の若い男性のお話です。

赤山大吾さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

昔、東京と沼津の間を結ぶ電車を「湘南電車」と呼んでいた時代がありました。車両のオレンジと緑のカラーは「湘南色」、俗にみかん色とも云われてきました。今はだいぶ本数も減りましたが、東京駅のホームに、「沼津」と行先が表示されると、何となく、潮の香りと柑橘系の爽やかな香りが漂ってくるような気分になります。

その静岡県沼津市・西浦地区は、駿河湾の最も奥まった所にあって、海越しの富士山を望むことが出来る、風光明媚なみかんの産地として知られています。看板品種は、寿という字に太郎と書いて、「寿太郎」。この「寿太郎」を、今シーズン初めて作り上げて、出荷した男性がいます。

赤山大吾さんは、2000年生まれの24歳。赤山さんは、北海道・札幌のご出身で、小さい頃から果物が大好きでした。土地柄、みかんはあまり出回らないため、りんごを2個、まるかじりするのが日課。残すのは、わずかに芯の部分だけでした。

赤山さんは新潟の大学に進学しましたが、コロナ禍のために授業はリモートが中心。学ぶ内容も想像していたものと違って、あまり納得がいきませんでした。悶々とした日々を送る中で、赤山さんはたまたま近所のスーパーで「沼津・西浦みかん 寿太郎」と、ラベルが貼られた袋を手に取ります。

『寿太郎? 沼津ってドコ?』

赤山さんは、そう不思議に思いながら、家に帰って、さっそく皮をむいて、みかんの小さな袋を一つ、口のなかに入れると、いままでにない食感に感激しました。

『甘い! でも、甘いだけじゃない、甘みと酸味のバランスが絶妙だ!』

赤山さんは、「寿太郎」を食べて、食べて、食べまくりました。そのおいしさに満たされるうちに、自分でもみかんを作りたい気持ちが芽生えます。

沼津市西浦地区のみかん山(画像提供:JAふじ伊豆)

赤山さんは、居ても立ってもいられずに、寿太郎を出荷している沼津のJAに、直接電話をかけました。

「あの……、みかん作りに興味があるんです。教えてもらうことは出来ますか?」

2022年2月、赤山さんは大学を休学して、沼津にみかん作りの研修にやって来ました。地元の農家の皆さんも、北海道出身の赤山さんの挑戦に驚いたといいます。

その初顔合わせ、農家の皆さんは赤山さんの手を見るなり、思わず目を見張りました。

『おお、彼は本物だ! これだけみかんが好きなら、きっとやってくれる!』

そう、赤山さんの手は、みかんをいっぱい食べた、あの黄色い手になっていたんです。赤山さんは、西浦地区でもとくにおいしいみかんを作ると定評のある、御年80歳の大ベテランの農家の方に付いて、みかん作りを学び始めました。

「いいか、農家というものは、人に言われてじゃなくて、自分から動かないとやれないぞ」

「みかんは手間をかければかけるほど、ちゃんと応えてくれる。手間を惜しむな」

赤山さんは、師匠がかけてくれる言葉を一つ一つ噛みしめながら、その背中を追いかけていきます。厳しい言葉の後には、夕飯のおかずをおすそ分けしてくれたり、地元の皆さんの人柄の温かさも、故郷を離れた赤山さんには大きな励みになりました。

赤山大吾さん

籍を置いていた大学にも退学届を出して、退路を断った赤山さんは、2年間の修業を経て、2024年1月、晴れて独立を果たします。高齢でみかん作りが難しくなった方のみかん山・およそ1.5ヘクタールを借り受けて、自分の力が試される時がやって来ました。

いざ作り始めてみると、農家はみかんを作っていればいいわけではなく、事務手続きや生産計画作り、害虫や猛暑対策、アルバイトの雇用などを、全部1人でこなします。

それでも去年は概ね天候に恵まれ、周りの皆さんのサポートにも支えられながら、およそ1万キロの「寿太郎」が無事に実って、収穫することが出来ました。その出来栄えに、赤山さんも手ごたえは十分! 早速、地元の方に食べてもらうと、「おいしい!」と、味に太鼓判を押してくれました。

自分で収穫したみかんが出荷されていく様子を見て、赤山さんは胸が高鳴りました。

『自分で作ったみかんが誰かの手に渡っていく。ようやく自分で稼ぐことが出来たんだ!』

でも、赤山さんに収穫の喜びに浸っている暇はありません。まだ、みかんの管理に甘い点があったこと。そして、この冬は、越冬しているカメムシが多いため、今年は天敵への抜かりない対策が求められそうなことなど、しっかり気を引き締めています。

「もっとおいしいと言ってもらいたい! 多くの人においしいみかんを食べてほしい!」

その思いを胸に、赤山さんは2年目のみかん山に登ります。

radikoのタイムフリーを聴く

Facebook

ページトップへ