劇場鑑賞を逃すべからず!映画「マッドマックス:フュリオサ」
5/31(金)より劇場公開中の『マッドマックス:フュリオサ』。2015年に発表され映画の歴史を根っこから変えてしまった歴史的大傑作『マッドマックス 怒りのデスロード』、そのなかで事実上の主人公として圧倒的な存在感を残した女隊長・フュリオサの前日譚を描くのが、今回ご紹介する『マッドマックス:フュリオサ』だ。劇場鑑賞逃すべからずの映画的事件となっていると、RKBラジオ「田畑竜介GrooooowUp」に出演したクリエイティブプロデューサーの三好剛平さんは熱く語る。
『マッドマックス』シリーズとは
さて、まずは『マッドマックス』シリーズについて簡単なご紹介です。『マッドマックス』はオーストラリア出身の映画監督ジョージ・ミラーが1979年から現在まで実に45年にもわたって続けている一大映画シリーズです。
1979年に監督自身のデビュー作として発表された第1作目に続き、1981年にはこれまで誰も見たことのなかった新たな世界観を打ち立てた『マッドマックス2』、そして1985年にはシリーズ3作目となる『マッドマックス サンダードーム』が続きます。シリーズとしては、核戦争後の荒廃した近未来の世界で、人間たちが生存と尊厳を賭けた戦いを繰り広げていくという話で一貫しており、ここまでご紹介した3作品は、それまでオーストラリアの演劇学生だったメル・ギブソンの出世作になったことに加え、それまで誰も見たことのなかった斬新な世界観の構築やカーチェイス、バトルシーンといったシリーズ独自のビジョンは、誇張ではなくその後の映画表現を変えてしまう一大シリーズとなり、この時点ですでに世界中で広く愛される作品となっていました。
革命的映画となったシリーズ4作目「マッドマックス 怒りのデスロード」
そして85年のシリーズ3作目から実に30年後、2015年に発表されたのがシリーズ4作目となる『マッドマックス 怒りのデスロード』です。この映画がどれほど凄い、革命的な作品だったかはどれだけ言葉を尽くしても足りないほど破格で、桁違いの、本当に本当に本当に凄い映画になりました。映画の歴史においては「その映画を公開当時に劇場で見られたことを未来永劫自慢できる」ような映画が数本ありますが、本作はまさしくその一本。数十年に一本、どころかおよそ130年の映画そのものの歴史に刻まれ、教科書に載ってその後の映画表現を根本的に更新してしまうような、圧倒的な映画だったのです。
『怒りのデスロード』のあらすじはこうです。水と石油をめぐる最終戦争から45年後の世界で、貴重な水資源を独占する独裁者イモータン・ジョー。そしてジョーが自らの子孫繁栄のために監禁していた「子産み女」たちを連れ、かつて自身が生まれ育った「緑の地」へ向けて決死の脱走を企てる女隊長フュリオサ。そこに彼女たちの脱走を手助けする元警官のマックスが加わり、3者を巻き込んだ壮絶な復讐劇、追走劇が展開していきます。
この映画の何がそんなに凄いのか。3つのポイントから見てみると、まずはやっぱり「それまでに見たことのない世界観の構築」。2015年にこの映画を初めて見た時、誰もが「こんな画面を見たことがない!」「どんな想像力があったらこんな世界観を思いつくんだ!」と圧倒されましたが、今となっては「マッドマックスみたいな」と言って伝わるほど新たな定番となるビジョンを映像音楽美術などすべてを高次に組み合わせ、まったくのゼロから生み出してしまったジョージ・ミラーの脅威的な創造主ぶりに圧倒されます。
加えてもう一つは、「すべてをアクションだけで語り切る脅威の演出力」です。本作は120分の上映時間中セリフがほとんど無く、ひたすらアクションだけで物語が推進されていきますが、映画はそもそも無声映画に始まった誕生期から今まで「画面を見れば全部わかる」ことをひとつの卓越としています。ジョージ・ミラー自身も、アクションは世界共通で誰もが理解できる映画の言語でありまた映画そのものである、といった発言もしているほどです。物語を極限までシンプルに削ぎ落とし、言葉やセリフではなく、人物同士の何気ない振る舞いからチェイスシーンのアクションひとつひとつ自体が人々の感情に訴え、物語を運ぶ言葉となる。映画史に残る傑作と言える最たるポイントはここにあるかもしれません。
そしてもう一つ画期となったのは、それまで男臭いシリーズであった「マッドマックス」シリーズに、新たに社会における女性たちを主人公に据え、彼女たちの物語が加えられたことです。女隊長フュリオサとその仲間たちの姿がその後の映画や文学などに与えた影響は計り知れず、それこそいま放送中で僕も大好きなNHK朝の連続ドラマ『虎に翼』の脚本家・吉田恵里香さんもインタビューなどでこの『怒りのデスロード』からの影響を公言されています。社会における権力者たちによって不条理に奪われた、そして今も奪われ続けている人間としての尊厳を賭けて決死の闘いに挑む彼女たちの姿とその結末は、世界中の弱き人々に新たな希望と声を与えました。
「マッドマックス:フュリオサ」と通ずる点
さて。ここまで何でそんなに『怒りのデスロード』の話をしているかと言えば、今日ご紹介する『マッドマックス:フュリオサ』がその『怒りのデスロード』に直結する前日譚のスピンオフ作品であるからであって、もっと言えばこの『フュリオサ』を見てしまったら、ここまでご紹介してきたもうこれ以上の褒めようがない『怒りのデスロード』を、その何十倍何百倍もブッ刺さってしまうひとつの「神話」にまで仕立ててしまう重要なプレストーリーになっているからなんですね。
正直ストーリーとしては今回もきわめてシンプルで、少女だったフュリオサが生まれ育った「緑の地」から連れ去られ、どのようにして女隊長フュリオサになっていったか、というだけの話です。しかしまたしても見たことのないようなアクションの数々と素晴らしい俳優たちの演技も相まって、大満足な映画体験を味わうことができます。
実は僕も昨夜のレイトショーで『フュリオサ』を見てから、ついこの放送の2時間前まで改めて『怒りのデスロード』を再見していたんですが、もうそれまでとはまったく違う映画に感じられるようで、自分でも信じられないほど興奮し、朝からじょぼじょぼ号泣させられてしまいました。なぜ彼女は修羅の道を選ぶことになったのか。そしてなぜ彼女はそれほどまでに「緑の地」へ帰ることを悲願としていたのか。本当にとんでもない前日譚が加わってしまったと思います。
思えば、独裁と格差、権利と暴力で腐り切ったギリギリの現実のなかでなお、誰かから見たら取るに足らない、しかし当人にとっては決して譲ることのできない意思と覚悟、誇りと尊厳そして希望を賭けて戦うと決めた人々の話が「怒りのデスロード」と「フュリオサ」なのだとしたら、それだけでもこれらがいかに「今・わたしたちが」見るべき映画なのかともご理解いただけると思います。
見たことないあなたも大丈夫!
最後に。もしここまで紹介して万が一、「まだ『マッドマックス』シリーズを見たことが無いから」と今回の『フュリオサ』を映画館へ見に行くことを躊躇している方がいるなら、どうかご安心ください。メル・ギブソンによる3部作も、その後の『怒りのデスロード』も何ならご覧になっていなくたって大丈夫です。むしろそういう方は、今回の新作『フュリオサ』を見たあとに『怒りのデスロード』を初めて見られるという、信じられないくらい羨ましい特権を持った特別な観客なのだとも言えます。うらやましい!
『マッドマックス:フュリオサ』、この映画的大事件の新たな一章を、できる限り大きな画面と音響が楽しめるお近くの劇場へ足を運んでめいっぱいお楽しみいただき、後世までその鑑賞体験を自慢してもらえたらと思います!
※放送情報は変更となる場合があります。