ホークス川瀬晃選手はピッチャーだった!?選手の本音に迫る「ホークス、週刊実は…」

福岡ソフトバンクホークス・川瀬晃選手(右)ととらんじっとあらた ©RKBラジオ

シーズン中にもホークス選手に話を聞きたい!その強い思いから始まった、RKBラジオホークス応援団長のよしもと芸人・とらんじっとあらたがお送りする「ホークス、週刊実は…」。月ごとにホークス選手といろんな話をRKBラジオ「ホークスイニング0」で毎週木曜日に放送している。6月は、大分県出身で背番号0、川瀬晃選手に迫る。20日の放送では、野球を始めてからの印象に残っている試合を振り返った。

忘れられない1軍初スタメンの試合

インタビューに答える福岡ソフトバンクホークス・川瀬晃選手 ©RKBラジオ

川瀬晃選手(以下、川瀬)どうも、福岡ソフトバンクホークス川瀬晃です。よろしくお願いします。

とらんじっと・あらた(以下、あらた)今週はですね、川瀬選手の野球を始めて印象に残っている試合を聞いていきます。まずはホークス入団してからの印象に残っている試合は?

川瀬:1軍初スタメンですね。7年前かな?

あらた:今よりももっと細い印象ですが…

川瀬:もう、細いっちゅうゃ次元やないっすよ、本当にすごかったです。食べてもあんまり大きくならなかったんですよね。でもコロナ禍で試合なかった時に、体をでかくしようと思って10キロを太りました。

あらた:10kg!?どういった食トレをしたんですか?

川瀬:お腹減ったら何かを口にする。そうした結果、多分1日6食7食ぐらい食べてました。炭水化物が多めでなんですが、そうなったら変な太り方になっちゃうので、バランスも考えて6食7食とればいいのかなとは思います。

あらた:その細かった頃の一打席目が印象に残っているということですけども、結果は…

川瀬:ゲッツー。アウトでしたね。西武戦で、浅村さんだったんですけど、うまく裁かれたっていう感じでしたね。ノー打席で、ゲッツーをとられたときの、この何て言うんですかね、球場の「あー」っていうその声を感じて、プロ野球選手になったなって思っちゃいました。アウトでしたけど…

あらた:今でも耳にしっかり残っているもんですか?

川瀬:残っていますね。あれは本当に忘れられないです。ふわふわした気持ちで…2軍だったら、あんまり応援歌とかも歌われないですし、ましてや登場曲も流れないので、いろんな何か感情…初めての経験だったのでやっぱ一番印象ありますね。

あらた:4万人の視線が川瀬晃のみに集まるあの瞬間ってどうですか?

川瀬:今でも緊張しますね。何年経ってもやっぱ慣れないものです。

あらた:そういうときのルーティンとか落ち着かせる方法ってあるんですか?

川瀬:僕はルーティンがないんです。僕はルーティンを作ったらこんがらがるタイプなんですよね。あれもしないといけない、これもしないといけない、気づいたらもう打席で立っちゃって…みたいな感じになっちゃうので、本当そのときの気分です。もうありのままの自分の気分で打席に立ちますね。

ピッチャー川瀬晃、延長戦でのサヨナラ負け

普段からコミュニケーションをとる二人 ©RKBラジオ

あらた:プロ以前で挙げるとすると、どの試合が印象に残っていますか?

川瀬:僕、中学時代はピッチャーだったんです。中学の軟式野球の試合は7回までなんですけど、秋の大会で延長10回まで投げたんですよ。

あらた:プラス3イニングっていうことですね。

川瀬:その時、球数が200ぐらいまでいったんですよ。でもその試合、サヨナラ負けなんですよ。その時の悔しさは今でも残っています。今までにない肩の疲れ、疲労…めっちゃくちゃ頑張ったなっていう思い出はあります。

あらた:絶対にそれはイメージに残る試合ですよね。

川瀬:しかも大会だったんで、なおさら負けたくなかったし…

あらた:ちょっとこれ他にも聞きたい試合ありますんで、ぜひオフにまた聞かせてください。

川瀬:「ピッチャー川瀬晃」で1番組いけますよ(笑)

あっという間のトークにもっと聞きたい…!と思ったそこのあなた!今週のRKBラジオ「ホークスイニングゼロ」ではこの続きを、さらには川瀬選手の素顔にも迫る。ウィークリープレゼントは、2024年応援メガホンを3名様に、マンスリープレゼントは川瀬選手のサイン付き、今年のピンクフルデーユニフォームを1名様に!

番組の感想や出演してほしい選手のリクエストなども含め、メールball@rkbr.jpで応募を。

#さえのわっふる
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週月曜~木曜 13時00分~17時48分
出演者:とらんじっとあらた
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※放送情報は変更となる場合があります。

佐野史郎、50年来の憧れ・大竹まことと懐かしトーク

大竹まことがパーソナリティを務める「大竹まことゴールデンラジオ」(文化放送・月曜日~金曜日13時~15時30分)、6月26日の放送に俳優・佐野史郎が登場。50年前が初対面だったという大竹まことと、懐かしい話に花を咲かせた。

壇蜜「(大竹・佐野が)初めて会ったのはどこですか?」

佐野史郎「50年前ですね。高田馬場の(こまば)アゴラ劇場というところで。『表現劇場』っていう劇団があって」

大竹まこと「よく憶えているねえ(笑)」

佐野「僕は10代でした。そういうアングラ演劇をしている人たちに憧れて。大竹さんと、きたろうさんを古関さん、斉木(しげる)さんを斎藤さんといって、この3人が『巌窟王』という芝居をしていて」

大竹「佐野さんは当時、新進気鋭の、ジーパンでシェイクスピアを演じるという舞台でね。そこに田代(隆秀)とか」

佐野「渡辺哲とかとね」

大竹「TBSのディレクターになった人もいるよね」

佐野「田代冬彦。ロミオをやっていました。みんな仲間で」

壇蜜「冬彦さん、っていうとどうしても冬彦さん(ドラマ『ずっとあなたが好きだった』で佐野が演じた役)を……」

佐野「そうそう。彼の名前を貴島誠一郎プロデューサーが、僕と田代冬彦氏を友達だと知らずに、TBSの社員、先輩ということで(つけた)」

大竹「それで“冬彦さん”になって、一世を風靡しました」

佐野「迷惑をかけました、30年も前の話です(笑)」

大竹「佐野さんと当時、そんなに親しくしていたわけじゃないんだけど、なんでだろう。佐野さんが来ると本当に『懐かしい人に会ったな』って」

佐野「思いますよ。(初対面が)50年前だもの。あのころから一緒にいる人は特別な家族というか、あの時代を知っているというだけで……」

大竹「俺たちも海のものとも山のものともわからずに。この先どうなるかもわからない、そんなの知ったこっちゃねえや、みたいに演劇にハマっていた」

佐野「青山の大竹さんのバイト先へ僕も飲みに行ってね。大竹さんがつくったナポリタンを食べたことがある」

壇蜜「え~っ、すごい経験されているじゃないですか」

大竹「素人が見よう見まねでつくったナポリタン(笑)」

壇蜜「おいしかったですか?」

佐野「おいしかった。いつも腹ペコだったからね(笑)」

このあとも大竹・佐野が昔を懐かしみ、6月29日から公開される佐野の出演映画『幽霊はわがままな夢を見る』も紹介した。詳しくはradikoのタイムフリー機能で確認してほしい。

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