F1界の帝王と呼ばれた男エンツォ・フェラーリの情熱と狂気を描いた衝撃の実話!映画「フェラーリ」の魅力
今日、7月5日(金)より公開される映画『フェラーリ』。F1界の帝王と呼ばれた男エンツォ・フェラーリの情熱と狂気を描いた衝撃の実話を、巨匠マイケル・マンが映画化した。監督のフィルモグラフィーにとっても、そして2024年公開作品のなかでも、新たな歴史を刻む傑作に仕上がっていると、RKBラジオ「田畑竜介GrooooowUp」に出演したクリエイティブプロデューサーの三好剛平さんが熱く語った。
映画「フェラーリ」とは
まずは作品のあらすじから。
元レースドライバーであり、カーデザイナー、そして妻ラウラと一緒に1947年にスポーツカー製造会社であるフェラーリ社を起業し、イタリア屈指の自動車メーカーへと成長させた稀代の経営者、エンツォ・フェラーリ。本作はそんな彼の1957年に起きた出来事を描きます。
1957年。難病を抱えた息子ディーノを前年に亡くしたエンツォ・フェラーリは、会社の共同経営社でもある妻ラウラとの関係も冷え切っていた。そんな中、エンツォは愛人リナとそのあいだに出来た婚外子である息子ピエロとの二重生活を妻に知られてしまう。さらに会社も業績不振によって破産寸前に陥っており、競合他社からの買収の危機に瀕していた。エンツォは自身の人生と会社の命運の再起を賭けて、イタリア全土1,000マイル(約1,600km)を縦断する過酷なロードレース「ミッレミリア」に挑むことになるが——。
現実のレース界そして自動車業界における偉大な業績を残したエンツォ・フェラーリですが、その評価とは裏腹に「不遜で冷酷な頑固者」「悪魔のように魅惑的」「他人を巧みに操る天才」など、そのカリスマ性と悪魔性の両方から毀誉褒貶の絶えない人物でもあります。そんなエンツォを本作で演じたのは、今やハリウッドを代表する実力派の名優アダム・ドライバー。そしてその妻ラウラ役には大女優ペネロペ・クルス、という豪華な二人をはじめ、実力派キャスト陣の熱演が物語を支えます。
しかしなんといっても本作はマイケル・マン監督です。この映画がここまでの傑作に仕上がったのは、他でもないマイケル・マン監督の手腕であり、監督の映画が持っている本来の資質と、作品の題材の相性とが完璧にハマった一本になっています。
マイケル・マン監督は70年代からTVドラマの脚本・監督からキャリアをスタートし、1981年に『ザ・クラッカー』で長編映画デビュー(傑作です)。以降も様々な作品を発表し現在81歳を迎えてなお現役として活躍する名匠ですが、彼のキャリアを確立したのはまずアル・パチーノ×ロバート・デ・ニーロが共演した1995年のアクション大作『ヒート』でしょう。後にクリストファー・ノーラン監督の傑作『ダークナイト』の銀行襲撃シーンでまるまるオマージュされた影響もはじめ、その後の映画を変えたアクション演出だけでなく、他人には理解されずとも自らの美学を貫く男たちの物語という点からも今でも映画界のクラシックとして高く評価されています。
その後もアメリカのタバコ産業の不正を告発したTVプロデューサーとタバコ会社の副社長のドラマを描いた1999年の名作『インサイダー』、そしてトム・クルーズが冷酷な殺し屋を演じた2004年の大傑作『コラテラル』など、素晴らしい作品をたくさん手掛けています。ちなみに今回ご紹介している『フェラーリ』は、マン監督の悲願の企画だったそうで、1991年に原作となる一冊の本と出会って以来なんと30年以上に及ぶ構想の果てに実現させたほどの入れ込みようで、関係者も「これはインディペンデント映画のマインドで作られた、スタジオ規模の超大作なんだ」と語っています。
巧みで鮮やかなマイケル・マンの演出
さて、ここから残りの時間は駆け足ですが、作品の中身にも触れてみたいと思います。今回、僕が本作を見てみてまず最初に驚かされたのは、冒頭30分。朝、愛人宅で目覚めたあと、妻のもとへ急いで朝帰りして一悶着。そして息子の墓を参り、教会に立ち寄った後、仕事場であるレース場でテストドライブを見届け、その後会社で同僚から「このままだと破産するから会社売却を本気で考えろ」と諭されるまで。ここまでをほぼちょうど30分で手際良く済ませるんですが、その間に、いまお伝えした大筋の物語を遥かに超える情報量のディテールが驚くほど鮮やかに織り込まれていったかと思えば、それはその後の映画全体を貫くテーマやキャラクターの本質を予告するものにもなっていく。とにかくお手本みたいに映画が上手い。
そこで描かれるポイントはいくつかあるんですが、特に強調したいのはこのエンツォという主人公が、息子ディーノや、先立って死んでしまった兄、そして自身が開発した車やレースによって命を落とした数多のドライバーや友人たちの死など「幾つもの死を背負っている人物である」点です。言い換えればエンツォは、自分だけが生き残ってしまっていることが最も相応しくない事実であるとばかりにずっと負い目を感じており、彼自身そして映画の画面全体に常に「死」の予感が張り付いている。しかし同時にエンツォは自身の手になる自動車や仕事については、並の人間では理解できないほど強いこだわりと美学を抱いておりそれを手離す事もない。どこかで死を願いながらも、同時に生にしがみついてもいる。その内面は複雑に引き裂かれています。
そんなエンツォの人生を映画にするとなれば、彼のそうした「狂気」めいた美学のありようを、いくらでもヒロイックに美談として描くことは出来たと思います。実際、仕事もプライベートもどん底に追いやられた人間が、持てる手札の全てを投げ打って一発逆転を賭けたレースに挑むわけですからそれ自体はたしかにエモーショナルで映画としてもそこで感情を見事にさらっていく部分もある。
だけど、そこはさすがにマン監督。これまで数多の映画で「男の美学」を描き続けその功/罪どちらも知り尽くしてきた彼ですから、本作においてはそんな美談にだけはおさめることはしません。どころか、その狂気の本当の意味での深く恐ろしい代償までをも容赦無く描き切ることで、本当に言葉通り「並の人間だったら続けていられない」、業の深い仕事と人生に賭けたエンツォの1年間をとんでもない気迫で描き切る。そこにこそ、この映画の真価が宿っていると思います。とにかく圧倒的です。
もちろんレース映画としても期待を軽々上回るほどの迫力も実現しています。実際に車の助手席に構えたカメラ位置、そして何より「音」がすごい。これは劇場で見ておつりが来るくらいの体験でもあります。
しかし本作の見どころは何といっても人物たちの情熱と狂気の物語です。これは必見です。ぜひ可能な限り大きなスクリーンと大音響が楽しめる劇場で、ご覧ください。
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