ホークス・又吉投手「先発」として完封も!これまでの野球人生を振り返る

福岡ソフトバンクホークス・又吉克樹選手(左)ととらんじっとあらた ©RKBラジオ

シーズン中にもホークス選手に話を聞きたい!その強い思いから始まった、RKBラジオホークス応援団長のよしもと芸人・とらんじっとあらたがお送りする「ホークス、週刊実は…」。月ごとにホークス選手といろんな話をRKBラジオ「ホークスイニング0」で毎週木曜日に放送している。7月は、沖縄県出身で背番号14、又吉克樹投手に迫る。18日の放送では、又吉投手が野球をはじめてから印象に残っている試合について語ってもらった。

あらたもビックリ!又吉投手は完封していた!

まさかのエピソードにびっくりのあらた ©RKBラジオ

又吉克樹投手(以下、又吉):ソフトバンクホークスの又吉克樹です、よろしくお願いします!

とらんじっと・あらた(以下、あらた)よろしくお願いいたします。今日は野球を始めてから今まで、印象に残っている試合について聞きます。野球を始めたのはいつですか?

又吉:本格的に少年野球やり始めたのは小学3年生ぐらいですね。

あらた:そして今は…

又吉:今年 34歳になりますね、本当にあっという間…

あらた:ということは、野球をもう25年やっているということですね。プロに入ってから中日、ホークスと渡り歩かれていますけども、プロの中で印象に残っている試合はいつですか?

又吉:中日で初完封したときですかね。僕、実は完封しているんですよ。

あらた:これまた失礼いたしました。…僕のデータにはないところで…何年目の時ですか?

又吉:2017年…井口さんが引退される年ですね。交流戦のロッテ戦で完封しました。

あらた:その年はずっとシーズン中、先発だったんですか?

又吉:最初、中継ぎで入って3回、ロングで投げて、1日空いて、4回3分の2投げて、もう先発できるなとなって、そこから中5日ぐらいで8イニング投げて…。そのあと先発もやりました。でも、先発としては9試合しか投げてないんですよ。チーム内で、やっぱり中継ぎが足りないからということで、中継ぎに戻ってその年50試合投げました。

あらた:キャンプではもちろん、中継ぎのスタンバイ、準備をしてきてるわけですよね?

又吉:そうですね。ただ、一応ロングも含めた準備をしていました。

あらた:それで、いきなりシーズン中に先発になって、完封までいったんですか?

又吉:はい、行きましたね。でも、完封した次の試合で打たれて、中継ぎに戻りました。

あらた:完封した試合で、特に印象に残っていることはなんですか?

又吉:最後ランナー1人出て、ストレートでファウルだったんですよ。でも、ちゃんと狙っているんです。その日、コントロールが良くて、狙ったところに入っていたのですが、なぜかボールになってしまって。その時、自分的にこのバッターとは勝負しちゃいけないんだという風に割り切ったら、フォアボール出したキャッチャーで、今オリックスのコーチしている松井佑介さんが、「どうしたん?やばいって!」って声かけてくれたのですが、そう言われてもしゃあないし、ストレート入らないしと思っていながら、次のバッターにチェンジアップか何かで、ファーストゴロで自分でボールを取って…という感じです。

長期離脱後のタマスタの歓声

タマスタの歓声が忘れられない又吉投手 ©RKBラジオ

あらた:ホークスの試合ではどれが印象に残っていますか?

又吉:おととし、骨折明けてから2軍で投げた試合ですね。あの時は泣きそうなりましたね。そもそも、それまでハビリをしたことがほぼなくて。その試合は、完封した達成感とはまた違った達成感でしたね。

あらた:戻ってきたというところですか?

又吉:それもあるし、ファンの方の声が一番鳥肌が立って、初めてマウンドで感情がいろいろ出ましたね。タマスタでした。

あらた:タマスタだと、このお客さんとの距離も近いですから、余計に体で感じられたんですかね。

又吉:すごい「うわー」ってなりましたね。忘れられないです。

プロ入りを決めた奇跡の試合

ドラマチックな一試合を振り返る又吉投手 ©RKBラジオ

あらた:アマチュア時代だとどうですか?

又吉:独立時代に、1安打無四球完封っていうのがあるんですよね。

あらた:独立時代も、かなりやっぱ先発されてたんすね。

又吉:その試合にスカウトが10球団ぐらい来ていたんですよ。たまたまその前まで良くて、もう1人投げ合った方がフプロ注目で、この2人が投げ合うからということで、みんなが来た試合で8回2アウトまで完全試合しちゃって…

あらた:勝負強い!!

又吉:内野安打になって、ノーヒットノーランも消えて、次のバッターで抑えて9回も3人で抑えて、結局その1安打だけっていう…その試合で僕のプロ入りが決まったようなもんなんで…

あらた:じゃあ人生を決めた、変えた試合だったんですね。

又吉:それで、その試合サヨナラホームランなんですよ。

あらた:ドラマティックだな~!1-0ですか?

又吉:そうです。相手のピッチャーもすごい良くて、9回終わって、沖縄の島袋さんという先輩が「ちょっと決めてくるわ」って言ってホームラン打つっていう…

あらた:すごいっすねそれ。

又吉:今まで見た独立リーグの試合で、一番盛り上がったんじゃないかって思います。その日チケットを配ってて、結構観客が入ったんですよね。スカウトにはあとで、一番印象残っていると言われました。

あらた:まさか、完封の2試合が上がると思ってなかったです。

又吉:珍しいですよね。中継ぎの試合ないっていう…

あらた:なんで~!!でも、これを聞いてる人たちは、又吉克樹の知らないところを知れてすごい嬉しいと思います!

又吉:先発やったのも相当昔なんでね。

あらた:先発の経験があったからこその、あのマウンドでの落ち着きとか、酸いも甘いもっていう感じがやっと伝わってきました。今日もありがとうございました。

又吉:ありがとうございました。

ということで、又吉選手との本音トークで盛り上がった。今週のウィークリープレゼントは、「白のキセキ ホームユニフォーム(レプリカ)Lサイズ 3名様に、マンスリープレゼントは又吉選手のサイン付き、今年のピンクフルデーユニフォームを1名様に!

番組の感想や出演してほしい選手のリクエストなども含め、メールball@rkbr.jpで応募を!

#さえのわっふる
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週月曜~木曜 13時00分~17時48分
出演者:とらんじっとあらた
番組ホームページ
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※放送情報は変更となる場合があります。

みかんに魅せられた大学生、異郷の地で大挑戦「多くの人においしいみかんを食べてほしい!」

暦の上では春になっても、まだまだ「こたつ」が恋しい時期です。こたつに入ると食べたくなるのが、やっぱり「みかん」。

ただ、どんな方がみかんを作っているのか、あまり知らない方も多いと思います。今回は、果物好きが高じてみかん農家になった、北国出身の若い男性のお話です。

赤山大吾さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

昔、東京と沼津の間を結ぶ電車を「湘南電車」と呼んでいた時代がありました。車両のオレンジと緑のカラーは「湘南色」、俗にみかん色とも云われてきました。今はだいぶ本数も減りましたが、東京駅のホームに、「沼津」と行先が表示されると、何となく、潮の香りと柑橘系の爽やかな香りが漂ってくるような気分になります。

その静岡県沼津市・西浦地区は、駿河湾の最も奥まった所にあって、海越しの富士山を望むことが出来る、風光明媚なみかんの産地として知られています。看板品種は、寿という字に太郎と書いて、「寿太郎」。この「寿太郎」を、今シーズン初めて作り上げて、出荷した男性がいます。

赤山大吾さんは、2000年生まれの24歳。赤山さんは、北海道・札幌のご出身で、小さい頃から果物が大好きでした。土地柄、みかんはあまり出回らないため、りんごを2個、まるかじりするのが日課。残すのは、わずかに芯の部分だけでした。

赤山さんは新潟の大学に進学しましたが、コロナ禍のために授業はリモートが中心。学ぶ内容も想像していたものと違って、あまり納得がいきませんでした。悶々とした日々を送る中で、赤山さんはたまたま近所のスーパーで「沼津・西浦みかん 寿太郎」と、ラベルが貼られた袋を手に取ります。

『寿太郎? 沼津ってドコ?』

赤山さんは、そう不思議に思いながら、家に帰って、さっそく皮をむいて、みかんの小さな袋を一つ、口のなかに入れると、いままでにない食感に感激しました。

『甘い! でも、甘いだけじゃない、甘みと酸味のバランスが絶妙だ!』

赤山さんは、「寿太郎」を食べて、食べて、食べまくりました。そのおいしさに満たされるうちに、自分でもみかんを作りたい気持ちが芽生えます。

沼津市西浦地区のみかん山(画像提供:JAふじ伊豆)

赤山さんは、居ても立ってもいられずに、寿太郎を出荷している沼津のJAに、直接電話をかけました。

「あの……、みかん作りに興味があるんです。教えてもらうことは出来ますか?」

2022年2月、赤山さんは大学を休学して、沼津にみかん作りの研修にやって来ました。地元の農家の皆さんも、北海道出身の赤山さんの挑戦に驚いたといいます。

その初顔合わせ、農家の皆さんは赤山さんの手を見るなり、思わず目を見張りました。

『おお、彼は本物だ! これだけみかんが好きなら、きっとやってくれる!』

そう、赤山さんの手は、みかんをいっぱい食べた、あの黄色い手になっていたんです。赤山さんは、西浦地区でもとくにおいしいみかんを作ると定評のある、御年80歳の大ベテランの農家の方に付いて、みかん作りを学び始めました。

「いいか、農家というものは、人に言われてじゃなくて、自分から動かないとやれないぞ」

「みかんは手間をかければかけるほど、ちゃんと応えてくれる。手間を惜しむな」

赤山さんは、師匠がかけてくれる言葉を一つ一つ噛みしめながら、その背中を追いかけていきます。厳しい言葉の後には、夕飯のおかずをおすそ分けしてくれたり、地元の皆さんの人柄の温かさも、故郷を離れた赤山さんには大きな励みになりました。

赤山大吾さん

籍を置いていた大学にも退学届を出して、退路を断った赤山さんは、2年間の修業を経て、2024年1月、晴れて独立を果たします。高齢でみかん作りが難しくなった方のみかん山・およそ1.5ヘクタールを借り受けて、自分の力が試される時がやって来ました。

いざ作り始めてみると、農家はみかんを作っていればいいわけではなく、事務手続きや生産計画作り、害虫や猛暑対策、アルバイトの雇用などを、全部1人でこなします。

それでも去年は概ね天候に恵まれ、周りの皆さんのサポートにも支えられながら、およそ1万キロの「寿太郎」が無事に実って、収穫することが出来ました。その出来栄えに、赤山さんも手ごたえは十分! 早速、地元の方に食べてもらうと、「おいしい!」と、味に太鼓判を押してくれました。

自分で収穫したみかんが出荷されていく様子を見て、赤山さんは胸が高鳴りました。

『自分で作ったみかんが誰かの手に渡っていく。ようやく自分で稼ぐことが出来たんだ!』

でも、赤山さんに収穫の喜びに浸っている暇はありません。まだ、みかんの管理に甘い点があったこと。そして、この冬は、越冬しているカメムシが多いため、今年は天敵への抜かりない対策が求められそうなことなど、しっかり気を引き締めています。

「もっとおいしいと言ってもらいたい! 多くの人においしいみかんを食べてほしい!」

その思いを胸に、赤山さんは2年目のみかん山に登ります。

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